現代語訳『海のロマンス』143:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第143回)

恐ろしき一夜

連日の大シケで、空はもとより暗く、海はもとより荒れている。強い風にむち打たれ、荒れた海に蹴(け)られて、船は牝牛(めうし)のように泣きながら、夜となく昼となく、ひたすらに東へ東へと走っている。

「喜望峰通過、全員無事」の報告を無線電信で学校に知らせたのは、十七日の深夜であった。

喜望峰から三百マイルの沖を無事に通過した十七日は、風浪(ふうろう)によって示される最も偉大な活力による現象の、呪(のろ)われた対照的な物として、練習船は、最も貴重で最も堅牢(けんろう)な四枚の帆を、あわれなる犠牲(いけにえ)として風の神の御前(ごぜん)に献上(けんじょう)した。

十九日になると、風はその横暴の極に達し、呼吸(いぶき)するごとに、例の薄気味悪い烈風(ガスト)を送るようになった。

そして海はこれまで体験したことのない大シケとなり、犬歯(けんし)のようにかみ合う三角波の間を、見るだけで肝をつぶすような大きなうねりが、むんずとばかり横ざまに押しつぶすようにぶつかってきて、舵もほとんどきかない。こんな状態なので、波を鎮(しず)めようと機械油が船内の四カ所から流され*、舵手は四人に増加され、救命索(きゅうめいさく)が張られ、すべての艙口(はっち)は閉鎖され、帆は前帆一枚のみとし、ブレイス**には「増しがけ」をかけた。

* 油を流す  帆船の航海記を読んでいると、嵐で波を鎮めるために油を流すという表現がよく出てくる。これは、紀元前のギリシャから、大航海時代をへて、蒸気船の時代になっても、実際に行われていた。
タコを飛ばして雷の実験をしたフランクリンも、渡英したときにイギリスの湖で油による波の鎮静効果の実験を行っている。
油は水より軽く表層に薄い膜となって広がっていくため、物理的には波の「減衰効果がある」とされる。風が吹くと波が立つが、その主因は摩擦なので、油が摩擦を減らして風はそのまま滑り過ぎていくので波が小さくなるのだとか……
(どうにも信じられないので、このページの最後に、ハーバードの先生が実験をした動画(英語)を掲載しておきます。信じる信じないは、その人しだいということで……)

* ブレイス  帆船の横帆を展開する帆桁(ヤード)の角度を調節するロープ。増しがけは、固定するロープを増やして頑丈にすること。
ちなみに、縦帆は現代のヨットのように、縦方向のマストやワイヤーに取りつけた帆、横帆は江戸時代の千石船のように、水平方向の棒から下に垂らす形の帆。

こうして潜航艇のように防御態勢を備えた後、さて舷外(げんがい)は……と望めば、なんとも言えず心細い状況になっている。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』142:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第142回)

大シケに苦しめられる

ものすごく黒ずんだ、威嚇(いかく)するような空。むやみにさわぎ、シケる、かんしゃく持ちの海洋(うみ)。冷たい雨に、寒い風。連続した不快な印象だけを南大西洋から受けた練習船は、六月十日になって、ドサッと最後に圧倒的な大シケをくらった。

この、音に聞こえた喜望峰沖でのシケについての物語は、六月十三日に始まった。

海は、昨夜から根気(こんき)よく荒れに荒れて、今は必死の勢いで力のかぎり、根のかぎりに荒れている。晴雨計(バロメーター)は行きどまりなどないかのように、一時間に〇・〇五くらいずつ、ズンズン下がっていく。

しかし、船はシケに対する可能な限りの、あらゆる用意について、手がつくせるだけのことはすでにつくしていた。

これからさらに、いかに海が荒れようが、いかに晴雨計(バロメーター)が威嚇(おど)かそうが、いかに風が強くなってウミツバメ(ストームペトレル)が飛びまわろうが、仕方がない。どうとも勝手にしろと度胸を決めたら、気持ちは案外に落ち着いてきた。

うぬぼれではないが、これでも、この二年間というもの、南に北に、赤道直下や南極海域において、長い波、巨大な波、高い波、いろいろなおそろしい波を矢つぎばやにくらってきた船の兄さんである。少しくらいの波で驚くことはない。

この勇ましい兄さんをいやというほど驚かし、たまげさせた喜望峰の波は、さすがにものすごい。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』141:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第141回)

総員、上へ

強い北西の順風を受け、図に乗って走った練習船は、五月八日ごろから左まわりにグルリと向きを変えて南東に偏向した東方からの疾風(ゲール)のため、その船首を北へ北へと折って、ついに東北東にまで達したので、九日には「下手(したて)まわし」を行って針路を南南西とした*。

* 下手まわし(ウェアリング wearing)  帆船で風下に向かいながら風を受ける舷を左右逆にすること。
 帆船は風の吹いてくる方向に直接向かうことはできないので、風上に向かう場合、風を受ける舷を左右交互に変えながらジグザグに帆走することになる。
 風上への帆走性能が高い船(快速のクリッパー船や現代のヨット)は上手(うわて)まわし(タッキング)を行うが、あまり風上にのぼれない船では、いったん風下に向かって帆の展開を左右逆にしてから少しずつ風上へ向かう。ヨットでは、この操作はジャイブ/ジャイビングと呼ばれる。

黒装束に覆面(ふくめん)をした男がニュッと暗黒(やみ)のうちに入ってくる。夢であるか幻(うつつ)であるか……それは知らぬ。

ただ意識の眼だけは大きく開いている。音もなくスラスラと寄ってきたと思ったら……覆面(ふくめん)のあやしい男は、何の容赦(ようしゃ)もなくぼくの上に馬乗りになる。

すわとばかり眼を覚まして身構えする鼻先に、毛むくじゃらで太い一番大工(カーペン)の手が見える。よく見ると、ぼくの寝床(ボンク)に横ざまにおおいかぶさるようにして、雨ガッパに雨よけの帽子という格好のあやしい男が、一生懸命、船窓(スカットル)に窓のおおい(ブラインダー)をかけている。

まだ夜中の二時らしい。五月十九日である。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』140:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第140回)。

明治四十五年(1912年)七月、東京高等商船学校の練習帆船・大成丸は、東まわりでの世界一周航海に出発した。
千葉・館山を出て太平洋を横断し、米国西海岸のサンディエゴへ。
航海中に明治天皇の崩御と明治から大正への年号の変更があり、到着後には、サンディエゴで船長が失踪するなどの事件があった。
とはいえ、航海自体は順調で、サンディエゴを出てからは赤道を超えて太平洋を南下し、南米最南端のケープホーンをまわり、そのまま大西洋を横切ってアフリカ大陸の南端にあるケープタウンに入港する。
本来であれば、大西洋を北上してイギリスに向かうはずだったが、サンディエゴでの予期せぬ長逗留による日程の逼迫(ひっぱく)と予算削減のあおりを受けて、航海のハイライトとなるはずのロンドン訪問が割愛されることになった。
ケープタウンを出航した大成丸は、逆戻りする格好で南大西洋の孤島セントヘレナまで北上し、かつて流罪になっていたナポレオンの旧邸を訪れるなどした後、南米ブラジルのリオ・デ・ジャネイロへ。
リオでの滞在を終えた一行は、地球の裏側から、大西洋、インド洋を横断し、オーストラリアを経て太平洋へと、帰国のための残りの地球半周の航海に出るが、行く手には、それまでになかった試練が待ち受けていた、、、

トップスル四枚を破る


スワンリバー
(オーストラリア南西部の大都市パースを流れる川)


海岸の日没美

南大西洋の秋
一、帰帆(きはん)

練習船大成丸は五月三日、リオと訣別(わか)れた。

花のように美しい、多くの佳人(かじん)の、赤い唇で呼吸されていた、かぐわしい大気のうちに逍遙(しょうよう)しながら、花のように美しい享楽の都に遊んだ二十日間は、どこかぼんやりとしていて、まさに夢のようだ。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』139:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第139回)。

ブラジル滞在編は今回で終了し、次回(1月1日)から南大西洋、インド洋、再び太平洋へ、という後半の航海が開始されます。

八、移民の逃亡と地方気質

前に述べた第一の種類の仕事に従事する労働者が、毎朝コーヒー農園の代表者の点検を受けることは前記のごとくであるが、これらの人々は、午後の五時になると、再び整列して朝と同じように点検を受ける。このように朝夕二度の点検を受けるのは、一年の契約期日が終了しないうちに、比較的に収入の少ないこの仕事を見限って、一日に五円、六円になる大工仕事や都市の労働や鉄道工夫などに鞍替(くらが)えをする不届き者が多いためである。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』138:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第138回)

六、渡航の不便と奨励金

日本人のうち、最初に通商、あるいは植民の意思をもってブラジル入りしたのが誰であるかは、もちろん判明していないが、今日のブラジルへの移民の基礎を建設する上で鮮やかな功労を有する人々は、当時の公使にして、ついにその英姿をブラジル国の青山(せいざん)に埋めた杉村虎一(すぎむらとらいち)氏、アルゼンチンから帰国してブラジル国の珈琲(コーヒー)の直取引を画策し、南米通と呼ばれた水野龍(みずのりゅう)氏、山縣商会の長としてリオ市第一の日本商店を管理し、唯一の肝(きも)いり役となっている山縣勇三郎(やまがたゆうさぶろう)氏、その他に盬川伊四郎(しおかわいしろう)氏、上塚周平(うえづかしゅうへい)氏などであろう。

次に、ブラジルへの移民の数と年代と会社名の統計を記載する。

一九〇九年 竹村植民会社、八百二十七人、笠戸丸、大不成功。
一九一〇年 前回の失敗と小村外務大臣の満韓集中政策のため移民中止。
一九一一年 竹村、千二百人、旅順丸(りょじゅんまる)。
移民にも船員にも逃亡した者がいたが、まずは成功。
一九一二年 「竹村」と東洋移民会社、五百人。
竹村組は鹿児島人と琉球人を募集しなかったが、
東洋組は募集したので、そのうちの七割が逃げた。
厳島丸(いつくしままる)
一九一二年 「竹村」と「東洋」三千人、第二開運丸、若狭丸。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』137:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活
(連載の第137回)

ブラジルの移民事情が詳細に語られていますが、内容は、これまであまり報じられていない初耳のことも多いですね。
ブラジル滞在編は12月までです。
来年(1月1日)から、
リオを出て地球の反対側からオーストラリア経由で帰国する航海が再開されます。

五、移民優待法

移民は──自由移民か契約移民かに関係なく──すべて、いったんリオ市、あるいはサントス港の移民収容所に引きとられ、各耕地あるいは各州での需要や注文に応じて、沿岸航路船または鉄道の便によって移送される。

これらの汽車賃または汽船賃はむろん無料で、移民収容所内にある初めの一週間は、居住や衣食に必要なものはみな州庁から支給される。耕地に到着した後は、政府支給の仮小屋に居住し、農具は一切貸与され、すべての種子(たね)は支給され、数年間は無料にて医師の診断を受けることができ、薬代も一年間は無料など、各種の恩典がある。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』136:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第136回)

四、寄り合い所帯

ブラジル国における欧州諸国の移民は、イタリアの百三十万人を筆頭に、スペイン、ポルトガルの各八十万人、ドイツの六十万人等が最も優勢である。

これらの移民のうちで、その時々で莫大な黄金(かね)をつかんで帰国する者が十万人を超え、一九〇八年に、この種の帰国者はリオ港から四万六千人、サントス港から四万人あった。

これらは皆、プロパガンダ(カトリック教)の手を経て入国して来た者である。ブラジル政府はこれらの欧州移民に対して、おのおのその国民性に応じ、速やかに本国と似た風土気候を物や土地を選定するなど、すこぶる丁重に応じている。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』135:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第135回)
大成丸の世界周航が行われていた当時、ブラジルへの移民は日本においても世界においても最も注目を集める出来事の一つであったため、この航海記でも現地からの報告がもうしばらく続きます。
来年(2021年)一月から、オーストラリア経由で帰国の途に就く航海がはじまります。

三、各国からの移民の状況

ブラジルの移民には、自由移民と契約移民との二種がある。その名のごとく、後者は共和国または州との契約の下に行われるものであるが、前者はプロパガンダ(カトリック)教徒*に対する奨励を受けて欧州から入国し、過去の統計において最も多数を占めている。一九〇八年にこの種の移民で成功者として帰国した者がリオ州に四万六千人、サンパウロ州で四万人もあった。

* プロパガンダ  現在は特定の主義主張の宣伝戦略活動の意味で使われるが、カトリックの布教宣伝機関がプロパガンダ(布教聖省)という名称であったことから、カトリック教徒を指す言葉として使われた。
その後、特定の思想や信条を宣伝・勧誘すること自体をプロパガンダと呼ぶようになった。

一九一〇年に入国した欧州移民は総計八万八千六百人である。そのうちの四分の一はイギリス船で、五分の一はフランス船。各一割八分はドイツおよびイタリアの船で、一割五分はブラジル船で渡航した。

これを見ると、その国の南米に対する海運業の状況がわかる。しかして、六万二千人の自由移民の三分の一は家族をなすもので、二万六千人の契約移民の六割は家族同伴である。これは、日本からの移民関係者にとって大いに参考となるだろう(今後の移民は家族同伴で、事実上、永住する決心を要することになる)。さらに、八万八千人のうちの約四割は大工であることも、また別の意味で興味深い現象である。いかに高い工賃(大工一日の報酬は三円ないし六円)に苦しめられているブラジル人が外国からの大工の供給を切望しているかを物語っている 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』134:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第134回)

ブラジルは移民を欲す
一、日本移民の歓迎

Brazil wants colonist (ブラジルは入植者を欲す)の三語は、西暦一五〇〇年にブラジルがポルトガル人によって発見されて以来、渇(う)えた者が水を欲するがごとく、過去四世紀間にわたって全国のいたるところで提唱され、重要な問題であった。過去においてしかり、歴史はこれを証明している。現在においてしかり。(歴史)はこれを証明している。そして、近い将来においても、さらにまたそうであると思われる。以下に記すところの観察が、これを証明している。

しかし、移民については、オーストラリアで手を焼き、北米で背負い投げを食らわされ、少なからず苦い経験を味わわされた日本人士は、「近寄るまいぞ、信じずまいぞ、また例の、かの手段(あて)で……」とおじけをふるって怖(こわ)がるだろうが、例の移民という同一の素顔に「黄白両面(おうはくりょうめん)」の仮面(めん)をかぶらせて、愛情と憎悪、賞賛と悪口の両芸当を巧みに使い分けるアングロサクソンの人々とは違って、情操豊かにして華やかな名目を好み、感情の起伏が激しいブラジル人の観念には、こういった激烈な毛嫌い根性はないようである。コロニスト(入植者)という意味のうちには、モンゴロイド系(イエロー)とコーカサス系(ホワイト)という二つの人種が同等の待遇を受けていると解釈してさしつかえない。 続きを読む