スナーク号の航海 (14) - ジャック・ロンドン著

サンフランシスコのボヘミアン・クラブには、何人かのベテランのヨット乗りのうるさがたがいた。なぜ知っているかといえば、スナーク号の建造中に連中がケチをつけたと聞いたからだ。スナーク号には一つだけ致命的な問題があるということだった。これに関しては連中みなの意見が一致していた。具体的には、スナーク号は風下への帆走(ランニング)では使い物にならないということだった。連中によれば、スナーク号はあらゆる点で申し分ないが、強風の吹きすさぶ大海原でランニングさせることは無理だろう、ということだった。「ラインズだ」と、連中はもったいぶって説明した。「欠点は船型だ。単純に、あれじゃランニングできるわけがない。それだけだ」 スナーク号にあのボヘミアン・クラブのうるさがたのベテランが乗っていて、あの強風が吹きあれた夜の走りを体験してくれていたら、連中が口をそろえた致命的という判断はくつがえったはずだ。ランニングだって? それはスナーク号は完璧にやってのけたぜ。連中は、ランニングって言ったっけ? スナーク号はバウからのシーアンカーを引きづったまま、締めこんだミズンで風下に走ってくれた。ランニングは無理だって? ぼくがこの原稿を書いている時点で、ぼくらは北東の貿易風を受けて六ノットで風下に帆走しているところだ。ランニングでは、きわめて規則正しい波にうまく乗っている。舵は誰も握っていないし、舵輪を縛ってもいないが、スポーク半分ほどのウェザーヘルムをこなせるよう当て舵はしてある。正確に言うと、風が北東から吹いていて、スナーク号のミズンは巻き取り、メインセールは右舷側に出し、ジブシートは一杯に締めてこんでいる。スナーク号の進路は南南西だ。とはいえ、四十年もの海の経験があり、操舵せずに風下帆走できる船はないと思いこんでいる連中もいるのだ。連中がこの原稿を読んだら、ぼくを嘘つきと呼ぶだろう。スローカム船長が世界一周したスプレー号についてぼくと同じことを言ったときも、連中はそう呼んだのだ。

スナーク号を将来どうするかについては、まだ決めていない。わからない。ぼくにお金か信用があれば、ちゃんとヒーブツーできるような船をもう一隻建造したいところだ。とはいえ、ぼくの資金はほぼ尽きている。現在のスナーク号で我慢するか、ヨットをやめるか――やめることなどできない。となれば、ぼくはスナーク号を船尾を前にしてヒーブツーさせるようにせざるをえないと思う。それを試してみようと次の嵐を待っているところだ。自分ではうまくいくと思っているのだが、すべては船尾が波にどう反応するかにかかっている。そのうちに、ある朝、中国の近くの海で、年老いた船長が凝視し、信じられないように目をこすってまたじっと見つめて、風変わりなスナーク号に非常によく似た小さな船が船尾を前にしてヒーブツーして嵐を乗り切っているところを目撃することになるかもしれないぜ。

追伸 この航海を終えてカリフォルニアに戻ったとき、スナーク号の水線長は四十五フィートではなく四十三フィートだとわかった。これは、造船所がテープラインまたは二フィート・ルールという条件を教えてくれなかったためだ。
訳注
ウェザーヘルム: 通常の帆走で船が自然に風上方向に切りあがろうとする傾向のこと。逆はリーヘルムと呼ぶ。この場面では、船を狙った方向に進ませるため、舵輪をスポーク一本分だけ風下側にまわしてある(これを当て舵という)。

スナーク号の航海(13) - ジャック・ロンドン著

とはいえ、またも信じられない、ひどい事件が鎌首をもたげた。なんとも不可解で、ありえない事態だ。信じたくもない。メインセールをツーポンリーフし、ステイスルをワンポンリーフしたのだが、スナーク号はヒーブツーしてくれないのだ。ぼくらはドラフトが浅くなるようにメインセールをきつく張ったが、船の向きは少しも変ってくれない。メインセールを緩めてみても結果は同じだ。ストームトライスルをミズンに上げて、メインセールを取りこんでみるが変化はない。スナーク号は波の谷間で横揺れしているばかりだ。美しい船首はどうしても風の来る方向に向いてくれない。

次に、リーフしたステイスルも取りこんだ。スナーク号で展開している帆はミズンマストのストームトライスルだけになった。これで船首が風上の方に向いてくれればよいのだが、そうはならなかった。話を面白くするための下心丸見えの筋書きと思うかもしれないが、実際にそうだったのだから仕方がない。どうやってもうまくいかなかった。信じたくはないのだが、これが現実だ。頭で考えたことを言っているのではなくて、実際に見たことを言っているのだ。

というわけで、心やさしき読者よ、小さな船に乗り、大海原の波の谷間で翻弄され続け、トライスルを船尾に上げても船が風に立ってくれない場合、君ならどうする? シーアンカーを取り出せって? いまやったところだ。特許を受けた沈まないと保証つきのものを特注して用意していたのだ。シーアンカーとは、巨大な帆布製の円錐形の袋で、その口を広げるために鋼鉄の輪がついている。ぼくらはロープの一端をシーアンカーに結び、もう一方をスナーク号の船首に結びつけた。そうしておいてからシーアンカーを海に投下した。すると、すぐに沈んでしまった。引き綱をつけていたので、それを引いて回収し、浮き代わりに大きな木片をつけてから、もう一度放りこんだ。こんどは浮いた。船首に結んだロープがぴんと張った。ミズンマストのトライスルには船首を風上に向けようとする性質があるが、それなのに、スナーク号はシーアンカーを引きづって進もうとした。波の谷間でシーアンカーが船尾にまわってしまい、それを引きずる形になって具合が悪い。ぼくらはトライスルを下し、もっと大きなミズンセールを上げてから、平らになるようぴんと張った。するとスナーク号は波の谷間で挙動不審になり、やたらシーアンカーを船尾の方向に引きずりまわしてしまう。ぼくの言うことを信じてないな。自分でも信じられないのだから仕方がないが、ぼくは見たままを話しているだけなのだ。

さて、ここで問題だ。ヒーブツーしたがらない帆船の話を誰か聞いたことがあるかい? シーアンカーを使っても駄目だった船の話さ。ぼくの短い経験でも、そういう話は聞いたことがない。ぼくは甲板に立ち、信じられない、とんでもない船、つまり、どうしてもヒーブツーしてくれないスナーク号をぼうぜんとして眺めているだけだった。嵐の夜で、とぎれとぎれに月光が差しこんでくる。空気は湿っていて、風上の方には雨を伴う突風の兆しがあった。大海原の波の谷間で冷たく無慈悲な月光を浴びて、スナーク号はやたら横揺れしている。ぼくらはシーアンカーを取りこみ、ミズンセールも下し、縮帆したステイスルを上げてから、スナーク号を風下に向けて帆走させた。そうしておいて下に降りた。暖かい食事が待っているというわけではなかった。キャビンの床は水びたしだし、コックと給仕は自分の寝床で死んだようになっていた。ぼくらはいつでも起きだせるように服を着たまま寝床に倒れこみ、船底にたまったビルジ水が調理室の床から膝の高さにまで達してピチャピチャいう音を聞いていた。

[訳注]

荒天時の帆船の対処法の基本は、
1.縮帆する
2.船首を風・波の来る方向に向ける(「風に立てる」と表現される)
の2点になる。

メインセールは数段階に帆の面積を減らせるようになっている。
ヨットでは一般に一段階目の縮帆(リーフ)をワンポン(ワンポイント)リーフ、さらに小さくする二段階目をツーポン(ツーポイント)リーフ(原文ではダブルリーフ)、、、と呼ぶ。

ステイスルは文字通りはステイ(支索)につける小さ目の帆のことだが、小型のヨットでは必ずしもステイに取りつけるとは限らない。メインセールの縮帆では追いつかないほどの強風では、メインセールを下し、ストームトライスルを上げる。

ジブセール(前帆)は何枚か用意しておいて、風の強さに応じて小さいものに取り替えることが多いが、以前にはジブも縮帆できるようになっているものがあった(現代は巻き取り式のファーラージブが普及している)。荒天用の特に小さく頑丈なものをストームジブという。

帆をすべて下してミズンセールだけ上げるというのは、現代でも釣り船や小型漁船が船を風に立てるのに使っているスパンカーと同じ原理だ。

船は構造や設計上、船首や船尾からの波には強いが、横から波を受けると、すぐに横倒しになってしまう。そのため、荒天では風や波に対して船腹を向けないようにするのがポイントになる。

シーアンカーは、頑丈な布製のパラシュートのようなもので、これを海中に投下すると、それが抵抗になって船首を風上の方向に引き戻してくれる。現代のヨットの航海記でも、シーアンカーの代わりにロープにタイヤをつけて流したりする様子がよく出てくる。ヒーブツーでダメなくらい風が強くなってしまうと、セールをすべて下し、シーアンカーを投入することになるが、これが抵抗になって船首が風上方向に向きやすくなる。これをライアハルとかライイングハルという。

シーアンカーは現代の釣り船でもおなじみで、潮に流されるのを遅くしたり船の向きを調整したりするために使用されたりもする。

本文にもあるように、ヒーブツーは陸から遠く離れた大海原での荒天対策の代表的な方法だが、船型によって反応が違ってくるので、特に帆が何種類もあり組み合わせも複雑な帆船では、その船に適した方法を見つけるには試行錯誤が必要になる。

ヒーブツーできないときは、ライアハル、それでもだめなときは、最後の手段として、本文にあるように風を受けて風下に向かって走るしかない。

速度調節や安定確保のため、船尾から長いロープを流したり、ドローグと呼ばれる抵抗物を流して引きづって走ることもある

スナーク号の航海-番外編1 艤装

実際に海に出るにつれて航海の専門用語が増えてきました。
番外編1として、簡単に整理しておきましょう。

スナーク号は水線長45フィートのヨットですが、現代のヨットと少し違っているところがあります。下の図をご覧ください(図をクリックすると拡大します)。

 

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現代の一本マストの一般的なヨット(スループ)は、マストの前と後ろ側に一枚ずつセールがあります。それぞれジブ(前帆)とメインセール(主帆)と呼ばれています。

メインセールは定規の直角三角形のような形で、前縁と下縁がそれぞれマストとブームに固定されています(このタイプをマルコーニリグとかバミューダリグ)と呼びます。

スナーク号は船尾に低いところに二本目のマスト(ミズンマスト)を持つヨール型のヨットです。

前帆は二枚以上あり、一番前がフライングジブになります。
メインマストの形状は三角定規ではなく、上縁にも帆桁(ガフ)を持つ四角形です。

ストームトライスルは荒天用の小さくて頑丈な特別な帆で、通常は使用しません。

セールの数が多いと、風を受けるセールエリア(帆面積)を変えずに一枚一枚のセールの大きさを小さくできるので、取り扱いが楽になりますが、それぞれのバランスをとって上手に帆走させるには経験が必要になってきます。

現代のマルコーニリグのメインセールは高さがどんどん高くなる傾向がありますが、これは、一般にセールの縦横の比率(アスペクト比)が大きいほど風上への切りあがり性能がよくなるためです。

レース艇では、同じ前帆でも大きくて軽いジェノアやジェネカー、風船のような追い風用のスピンネーカーなども使用されますが、煩雑になるので、ここでは割愛します。

次に、荒天対策としてのヒーブツーについて。

ヒーブツーとは要するに停船させることですが、ヨットでは荒天対策としてよく用いられます。デイセーリングなどで、ちょっと一休みというときにも便利です。

heave-to

図のように、ジブを裏帆にして、メインセールはシバーしない程度に出しておきます。舵は風上側に上る位置に(ティラーの場合は風下側に固定、ラットの場合は風上側に回して固定)しておくと、船首が風を斜め前から受ける形で停船します。

船のタイプによって癖があり反応が違ってくるので、最初のうちは試行錯誤が必要でしょうが、うまく安定すれば、急に風が弱くなったように感じられて、船は波が来るたびにゆっくり上下するだけになります。

スナーク号の航海(12) ジャック・ロンドン著

そこで、時間もお金もかけた、水密で頑丈なコンパートメントの出番なのだが──結局、これが水密ではなかったのだ。浸入した水は空気のように部屋から部屋へと移動した。おまけに、コンパートメントの背後から強いガソリン臭がしたので、そこに貯蔵していた六個のタンクのうちの一つか複数のタンクが漏れているのではないかと疑った。実際にタンクから漏れていて、それがコンパートメント内に密閉されていなかったのだ。さらに、ポンプとレバーと海水弁を備えた浴室だ──これも最初の二十四時間で故障した。ポンプを動かそうとすると、片手の力だけで頑丈なはずの鉄製レバーが折れてしまった。浴室はスナーク号で故障第一号になった。

スナーク号の鉄部は、材質はともかく、へにょへにょだと証明された。エンジンベッドのプレートはニューヨークから取り寄せたのだが、ぼろぼろだった。サンフランシスコから取り寄せたウインドラスの鋳物や歯車も同様だった。ついには、索具に使われている鍛鉄までも最初に負担がかかったときにあらゆる方向にちぎれてしまった。鍛鉄だぜ。それがマカロニみたいに折れてしまったんだ。

メインセールのガフ(斜桁)のグースネックが折れて短くなったので、ストーム・トライスルのグースネックと交換したが、二つ目のグースネックも使い始めて十五分で壊れた。いいかい、これって荒天用のストーム・トライスルのグースネックなんだ。嵐のときに頼りにしなきゃならないやつなんだ。グースネックの部分をぐるぐるに縛りつけてやったので、スナーク号は今はメインセールを折れた翼のようにひきづって帆走している。ホノルルでは本物の鉄が手に入ると思う。

奴らはこうやってぼくらを裏切り、ザルみたいな船で大海原へと送り出してくれたってわけだ。ところが、神様はちゃんとぼくらのことに気を配ってくれていた。凪が続いていたのだ。船を浮かせておくために毎日排水ポンプにかかりきりになっていなければならなかったが、船上で見つかる巨大な鉄のほとんどよりも木の爪楊枝の方がずっと信頼できるということもわかった。たまにスナーク号の頑丈さと強さがかいま見えたりもしたので、チャーミアンとぼくはスナーク号のすてきな船首をますます信頼するようになった。他にそういうものがなかったのだ。これが、ありえない、とんでもない話のすべてだが、少なくともあの船首だけは期待を裏切らなかったということになる。そうして、ある晩、ヒーブツーを開始した。

どう説明したらいいんだろう? まずヨットに不案内な人のために説明すると、ヒーブツーっていうのは、強風に備えて縮帆し、帆の展開具合や向きを調整して、船首を風や波の方に向けておく操船術の一つだ。風が強くなりすぎたり波が大きくなりすぎたとき、スナーク号のような船はヒーブツーでしのぐことができる。そうしておけば、船上では何もすることがない。誰も舵を持つ必要はないし、見張りも不要だ。全員が下に行って眠るかトランプをやったっていい。

ロスコウにヒーブツーした方がいいかなと声をかけたときは、ちょっとした夏の嵐の半分ほどの風が吹いていた。夜が近づいていた。ぼくはほぼ一日、舵を持っていたし、下にいると船酔いするので、ロスコウ、バート、チャーミアンの全員がデッキに出ずっぱりだった。大きなメインセールはすでにツーポンリーフ(二段階縮帆)していた。フライングジブとジブは取りこんでいたし、フォアステイスルは縮帆し、ミズンセールも取りこんだ。この頃になると、フライングジブのブームは波をすくうようになり、折れてしまった。ぼくはヒーブツーするために舵を切った。その瞬間、スナーク号は波の谷間に転がりこんでいた。船は谷間で揺れ続けた。ぼくは舵輪を押さえつけた。船は谷間から動こうとしなかった(心やさしき読者よ、波の谷間とは船にとって最も危険な場所なのだ)。スナーク号は谷間で横揺れしているだけだ。風に対して九十度に向けるのが精一杯だった。ぼくは、もう少し風の来る方に船首を向けようとして、ロスコウとバートにメインシートを引きこませた。スナーク号は波の谷間から抜けられずにいて、両舷は交互に下になったり上になったりしている。
訳注

メインセール(主帆):メインマストの後ろ側についている大きな帆。
ミズンセール:ミズンマスト(後檣)の後ろ側についている帆。
ジブ(前帆):マストの前にある帆。
フライングジブ:複数のジブがある場合、一番前のジブ。
ストームトライスル:荒天用の面積は小さいが頑丈な帆。
ガフ(斜桁):四角形の帆を張るため帆の上縁にある円材。
ブーム(帆桁):帆を張るため帆の下縁にある円材。
グースネック:マストとガフやブームの先端の接続部。

スナーク号の航海(11) ジャック・ロンドン著

もっと悪いことに、スナーク号が告発されたのは土曜の午後だった。ぼくは弁護士や代理人をオークランドとサンフランシスコに派遣したが、合衆国の判事はおろか保安官も売主一同氏も売主一同氏の弁護士も見つけられなかった。週末なのでみんな出かけていたのだ。それでスナーク号は日曜の午前十一時になっても出帆していなかったのだ。小柄な老人が担当のままで、どうしても出帆に同意してくれなかった。チャーミアンとぼくは反対側の埠頭まで歩いていき、スナーク号の美しい船首を見て慰めあった。この船が強風や台風にも堂々と立ち向かう様子について考えるようにしたというわけだ。

「ブルジョアのいやがらせさ」と、ぼくはチャーミアンに言った。売主一同氏と連中の訴えのことだ。「商売人ならパニックになるところだが、なに、気にすることはない。大海原に出てしまえば、この問題は終わるからな」

結局、ぼくらが出帆したのは、一九〇七年四月二十三日、火曜日の朝だった。白状すると、出だしからつまずいてしまった。動力伝達装置が壊れているので、アンカーも手で揚げなければならなかったのだ。おまけに、七十馬力のエンジンはスナーク号の船底のバラストとしてしばりつけてある。だが、それがなんだというのだ? エンジンはホノルルで修理できるだろうし、船の他の部分は立派なものだ! テンダーのエンジンが動かず、救命ボートはザルのように水漏れするというのは本当だが、そんなものはスナーク号そのものじゃない。単なる付属品だ。重要なのは、水漏れしないバルクヘッド、継ぎ目の見えない頑丈な厚板、浴室の設備-こういうものがスナーク号なのだ。なによりすごいのは、気品があって風を切り裂く船首だ。

ぼくらはゴールデンゲートブリッジを通過して太平洋に出ると南下した。北東の貿易風を拾えるだろうと思ったのだ。すると、すぐにいろんなことが起こった。雇った若者たちはスナーク号の航海に向いていると思っていたのだが、三分の二は当てがはずれた。スナーク号には三人の若者がいた──エンジニアにコックに給仕だ。ぼくは船酔いを計算に入れるのを忘れていた。コックと給仕の二人はすぐに船酔いで寝台にもぐりこんだまま、一週間というもの、まったく役に立たなかった。そういうわけで、ぼくらは食べるはずだった暖かい食事にはありつけなかったし、船室もきれいに整頓されることはなかった、わかるだろ? とはいえ、そんなことはどうでもいい。というのも、すぐに、凍らせてあった箱詰めのオレンジが溶け出しているのを発見したのだ。リンゴの箱も腐りかけて台なしになっていた。木箱のキャベツは届く前に腐敗していたので、すぐに海に捨てなければなかった。灯油はこぼれてニンジンにふりかかるし、カブはしぼんで薪のようになっているし、ビートもだめだ。たきつけは枯れた木だったが、燃えやしない。きたないジャガイモ袋に入れて届けられた石炭は甲板に巻き散らかされ、排水口から押し流されていった。

とはいえ、それがどうしたというのだ? そんなことは枝葉末節にすぎない。船があるし、それ自体にまったく問題はないじゃないか、そうだろ? ぼくはデッキを行ったり来たりしながら、ピュージェット・サウンド産の特注した美しい厚板材に一分間に十四もの継ぎ目を見つけてしまった。おまけに、甲板から水漏れした。それもひどくだ。ロスコウは寝台でおぼれかけたし、厨房の食料品がダメになったのはいわずもがな、機関室の工具も使い物にならなくなった。スナーク号の側壁からも水が漏れたし、船底も漏れているし、船を浮かべておくためにポンプで毎日排水しなければならなかった。排水して四時間もすると、厨房の床には船の内底から二フィートも海水が浸水し、厨房の床に立って冷たい食事にありつこうとすると、船室内で揺れ動く水に膝までつかるはめになった。

スナーク号の航海 (10) ジャック・ロンドン著

これはおそろしく厄介で、造船所ではなく海難救助業者の仕事だった。二十四時間に二度、満潮になる。夜だろうが昼だろうが満潮になるたびに、二隻の蒸気船のタグボートがスナーク号を引っ張った。スナーク号は水路と水路の間に沈み、船尾を下にして着底していた。この困った状況にある間に、ぼくらは地元の鋳造所に道具や鋳物を作らせて、エンジンからウインドラスまで動力を伝えた。例のウインドラスを使ったのは、このときが初めてだ。鋳物には割れ目があったため、バラバラになり、道具も壊れてしまって役に立たなくなった。ウインドラスが動かなくなり、その後で七十馬力のエンジンが故障した。このエンジンはニューヨークから運んできたのだ。土台になるエンジンベッドもそうだ。この台に傷が一か所あった。というか、たくさんの傷ができて、七十馬力のエンジンは土台から割れた。空中に跳ね上がり、接続部や締め具をすべて引きちぎって横倒しになってしまったのだ。それでも、スナーク号は水路の間に突き刺さったままで、二隻のタグボートはなんとか曳航しようと無駄な努力を続けていた。

「気にすることないわ」と、チャーミアンが言った。「船は一滴も水が漏れず頑丈だってことを考えましょうよ」
「そうだな」と、ぼくも答えた。「船首も美しいしな」
それで元気を取り戻すと、また作業に取りかかった。壊れたエンジンは、汚れた土台の上に固縛した。動力伝達装置の割れた鋳物や歯車は取り外し、保管しておいた──修理や新しい鋳物を作ることができるホノルルで、また取り出して使うつもりだった。はっきりとは覚えていないが、スナーク号の外側は一度白く塗っていた。日光の下ではっきり見えるようにするためだ。スナーク号の内部は塗装していなかった。逆に、グリースと、さんざん苦労させられたさまざまな技術者連中のタバコの唾が数インチも塗りこめられていた。気にしないようにしようと、ぼくらは言いあった。グリースや汚物は削り取ることができるし、いずれホノルルに着いたとき、本格的に修理し、塗装することもできるだろう。

奮闘努力した末に、スナーク号を難破状態から引きずりだし、オークランド市の埠頭に係留した。家から持ってきた衣類一式、本、毛布、各人の私物をすべて馬車で運びこんだ。それと一緒に、他のものもすべて船に持ちこんだりしたので、船上は大混乱だった──薪に石炭、水に水タンク、野菜、食糧、オイル、救命ボート、テンダー(足船)、友人たち、友人の友人たち、友人だと言い張る連中、乗組員の友人の友人の友人とでもいうほかない連中でごったがえした。おまけに、新聞記者やカメラマン、見知らぬ連中、変人、そうして極めつけは埠頭から流れてくる雲のような炭塵の煙。

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オークランド市の埠頭に係留

 

日曜の十一時に出帆する予定だった。すでに土曜の午後になっていた。埠頭には群衆が集まり、炭塵の煙も濃くなっていく。ぼくはポケットの一つに小切手帳と万年筆、日付スタンプ、吸い取り紙を入れ、別のポケットには一、二千ドル分の紙幣と金貨を入れていた。債権者が来てもすぐに対応できるし、こまごまとしたものの代金は現金で、大口は小切手で、というわけだ。あとは何カ月も作業を遅らせてくれた百十五もの会社の未払いの勘定書を持ってロスコウがやって来るのを待つだけだ。そうして──

それから、信じられない、ひどい話がまた起きてしまった。ロスコウが到着する前に別の男がやってきた。合衆国の保安官だ。スナーク号にはまだ未払債務が残っているという申し立ての通達を、埠頭にいる全員が読めるように、マストに貼りつけたのだ。スナーク号の管理人として小柄な老人を残し、保安官自身は行ってしまった。これで、スナーク号も、あの美しい船首も、ぼくにはどうしようもなくなった。この小柄な老人が今ではスナーク号の王であり主人なのだ。おまけに、ぼくはこの老人に管理料として毎日三ドルを支払うことになったらしい。ついでに言うと、スナーク号を訴えた男の名前も判明した。売主一同とある。債務は二百三十二ドル。この証書にはそれしか書いてない。売主一同だと! いやはや、売主一同だと!

とはいえ、売主一同とは誰のことだ? ぼくは小切手帳を調べて、二週間前に五百ドルの小切手をきっていた。別の小切手帳を見ると、スナーク号を建造している何カ月もの間に、ぼくは数千ドルも支払っていた。それなのに、なぜスナーク号を訴える代わりに、わずかな未収金を回収しようとしなかったのだろう? ぼくは両手をポケットに突っこみ、一方のポケットから小切手帳と日付スタンプとペンを取り出し、別のポケットからは金貨と紙幣を取り出した。このわずかな金の問題を解決する機会は何度もあったし、それに必要な金もあったのだ──なぜ、ぼくに支払うチャンスを与えてくれなかったのだろう? 説明はなかった。これがとんでもなくひどい話でなくてなんなんだ、というわけだ。