現代語訳『海のロマンス』148:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第148回)

三、プリンセス劇場

西オーストラリア新聞社の主催によるキングス劇場(シアター)観覧の招待を受けたのは、一昨夜(おととい)のことである。その享楽の色美しい印象の消えぬ今宵(こよい)、またもやプリンセス劇場(シアター)から、独唱(ソロ)と歌劇(オペラ)と器楽(オーケストラ)と茶番とのプログラムを並べての招待を受けた。

バイオリン、チェロ、ギター、クラリネット等の管弦の響きが、心地よい享楽の感興を人々の胸に残して、そのととのったリズムの音波は、なめらかに湾曲したドーム型の天井の奥に消える。

中入りである。

巧みに十七、八の「ボニ・レシー」に化(ば)けおおせた四十女の化粧の技巧(たくみ)さや、うす絹を透(すか)して大潮の寄せるがごとく胸郭(むね)を波打たせながら、錐(きり)のごとく鋭い声で何やらを歌った独唱女(ソロイスト)のことなどを思いめぐらせていると、突然、耳にニワトリの声が聞こえた。

オヤと、ちょっとキツネにつままれたような気持ちになる。

続いて、またも二声(ふたこえ)三声(みこえ)……。驚きと、晴れがましさと、欣(よろこ)びとを表しているニワトリの声が……。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』147:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第147回)

フリーマントル
一、暖かき泊地の灯

八月二日の深更当直(ミッドナイト・ウォッチ)に立った三十人の船乗りの心は、ただもう、らちもなくはしゃぎきって、晴れやかな軽い、喜ばしい情緒は、穏やかに伸びた眉のあたりにはっきり示されている。

寒い、辛い九十日の大航海の後、安らかな泊地に入るという嬉しい期待は、人々が描いている美しい想像をさらに美しく描く。

煌々(こうこう)と眉に焦げつくように、右舷(うげん)船首(バウ)近くで光っているロットネス島の灯台を見ては、喜びの情は目にも輝き、静かなる湾内の水を染めては、かのなつかしい、豊かな、暖かい港の灯(ひ)が、紅(あか)く、青く、紫(むらさき)に映(うつ)りあう様(さま)を見ては、思わず、

妖女(ようじょ)の叫喚(さけび)ものすごき!
「カボ・トーメント*」の冬の夜(よ)や!!
災禍(まがつみ)の雨よ、怪異(ふしぎ)の霧!
自然の暴威(あらび)、世にも怖(おそ)ろし!
四季の色なす花の雲、
匂(にお)うは甘き潮(しお)の香(か)よ、
舟歌のせて我が船は、
今日の泊(と)まりに急ぐなる。
藻(も)の花しづく、華(はな)やかに、
荒(すさ)みし心、ひきたつる、
紅(あか)き暖かき、泊(と)まりの灯(ひ)、
アルハンブラの夜(よ)はふくる。

* カボ・トーメント  アフリカ大陸・喜望峰の旧称(「暴風の岬」)

と口ずさむ……。静かに、嬉しき胸を抱(いだ)いて。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』146:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第146回)

級友二人を失う

六月二十日。海洋(うみ)の雄大な美は、依然として、その色彩を増し、船の動揺(ローリング)は依然としてその鋭い矛(ほこ)を収(おさ)めないが、うららかな太陽がのどかな南インド洋の雲に映って、久しぶりに心の平安と身体に倦怠(けんたい)とを覚えるような、好日和(こうひより)である。

悲しい雨に泣き、むごい風に痛めつけられながら、恐るべき猟犬の噛みつき食いちぎろうとする歯から逃れた雌鹿(めじか)のように、身を戦慄(ふる)わせて南大西洋のシケから逃れ出た練習船は、静かに、濡(ぬ)れしおれた黒い帆を、穏やかな光線(ひ)に乾かしながら、受けた創痍(きず)を、安らかなる南インド洋の懐(ふところ)に養っている。

この一月半(ひとつきはん)の惨憺(さんたん)たる航海を回想すれば、そぞろに身震(みぶる)いするような畏怖(いふ)の念が全身に行き渡るのを感じる。

雄大なる自然の侵略に対する人間の悪戦苦闘の活演劇! 一月(ひとつき)にわたって光線(ひ)を見なかった苦しい航海! 一週間にわたって艙口(ハッチ)をずっと閉鎖していた辛(つら)い航海! 雨として海洋(うみ)に下るべき使命を授かった水のしずくが、途中で理不尽(りふじん)にも雪となり、みぞれとなり、あられとなって、甲板上を白く冷たくおおった寒い航海。憂(う)きことのなおこの上に積もれかし*などと、こたつで寝そべりながら気楽な戯言(ざれごと)をほざいた先人ののんきさをのろいたくなる現実の、その苦しさ! そのつらさ!! その寒さ!!

* 「憂きことのなおこの上に積(つも)れかし 限りある身の力試(ため)さん」は、江戸時代の陽明学者、熊沢蕃山(1619年~1691年)の歌とされる。
「つらいことがさらに多くこの身にふりかかってこい、命に限りがある身ではあるが、自分の力をためしてみよう」というほどの意味。
蕃山は陽明学者・中江藤樹に師事し、十代で岡山藩に出仕。治山治水や藩政改革を進めて重用されたが、守旧派に追い出され、私塾を開いた京都でも、その影響を懸念した京都所司代に追放された。その後、江戸幕府から出仕を乞(こ)われたが拒否し、幕政改革案を上申したりしたため、北関東の古河藩に幽閉され、その地で没した。

かくして、あくまでも傷ついた船に、こうしてあくまでも疲れたる船に、悪魔の黒い手は無残にもその侵略を始めた。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』145:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第145回)

喜望峰付近の天候

一四八六年にポルトガル人のバースロミュー・ディアズによって発見された喜望峰は、はじめはカボ・トーメント(暴風の岬)と命名されたが、暴風(あらし)の岬では縁起が悪い、ぜひとも喜び望む岬に改正(なお)せなどと、王侯の権威をもって、命がけの実験からえた船乗りの尊い印象を踏みつぶし、くだらない字句の改正を施したポルトガル王ジョン*の剛毅(ごうき)をもってしても、ついにその実質はこれを征服することができなかった。

* ポルトガル王ジョアン二世(1455年~1495年)。アフリカ西岸の開拓を行ったエンリケ航海王子(1394年~1460年)の事業を継承した。

そして、今でも、喜望峰と聞けば、驚くべき険悪の強い偏西風が連続して吹き続くところ、肝をつぶすような大きな三角波が立ち騒ぐところとして、世界の海洋でも最大級の難所という先入観を与えるに至ったのは、ジョン王にとっては小気味(こぎみ)よくもあり、喜望峰にとっては気の毒でもあり、船乗りにとってはおかしくもある。

この恐ろしい喜望峰は、南緯三十四度二十二分、東経十八度三十二分、例のテーブルマウンテンを頭部(かしら)に、十二使徒峰(アポストル)を脊髄骨(せきずいこつ)にしたケープ半島が南へ南へと伸びたその突端(さき)に位置している。で、この喜望峰を境界(さかい)として、今まで南に向かっていた南アフリカの西の海岸線は急に東に向かうのは事実であるが、本当のアフリカ大陸の南端は、喜望峰ではなくて、例のアガラス岬というやつである。

すべて、地理的な関係から、岬や鼻や半島などが遠く海洋(うみ)に突き出したところは、風浪が概して険悪のようである。 続きを読む