スナーク号の航海(27) - ジャック・ロンドン著

というわけで、実際の波乗りの原理についての話になるが、まず長さ六フィート、幅二フィートの細長い楕円のような形をした平らな板(ボード)を手に入れよう。そこにソリに乗った小さな子供のように腹ばいになり、両手でこいで海に出ていく。波が盛り上がりはじめているあたりまで行き、そのままボードの上で静かに待つ。次から次へと波がやってきては、自分の前後左右のいたるところで崩れながら、君を置き去りにしたまま陸へと押し寄せていく。波は立ち上がるにつれて勾配が急になってくる。その急激に立ち上がった波の前面で、自分がボードに乗っていると想像してみよう。じっとしていれば、坂を滑り落ちるソリに乗っているように、その斜面を滑り落ちていくだろう。「待てよ」と、君は異議を唱える。「波は動いているじゃないか」。その通り。だが、波を構成している水は動かないのだ。そして、そこに秘密がある。もし君が波の前面を滑りはじめれば、君はそのままその滑り落ち続けていくが、決して海底にぶつかることはない。冗談じゃないぜ。波の高さはたかだか六フィートしかないとしても、君はその分の高さを落下する間に四分の一マイルか半マイルも滑っていくことができるんだ。海底にぶつかることなく、ね。というのも、波は水の動揺や運動の力が次々に伝達されているにすぎないからだ。波を構成する水はたえず入れ替わり、新しい水が波と同じ速さで持ち上げられては波になっていく。君は波における元の位置を保ったまま、次々に盛り上がっては波に加わってくる水の上を滑り降りていくことになるわけさ。きっかり波の速さと同じスピードでね。波の速さが時速十五マイルなら、君も時速十五マイルで滑っていくんだ。君と浜辺までの間には四分の一マイルほどの海面がある。波が進むにつれて、この海の水が積み重なって波となり、後は重力の作用で下降していく。滑っていく間も、水が自分と共にずっと動いていると思うんだったら、もし滑りながら腕を水に突っこんでこいでみればいいさ。君は驚くほどの早く水をかかなければならなくなるだろうよ。というのも、そこにある水は君が前進するのと同じ速さで後方に落ちていくからだ。

お次は波乗りだ。規則には常に例外がある。波を構成する水自体が前へ進むのではないというのは本当だ。だが、いわゆる海に送られるという現象は存在する。走っていてつまづくと体が前に投げだされるように、立ち上がって勢いあまって巻き波になりかけた水は、なおも前進しようとする。崩れ落ちる波の下敷きになってしまったら、ものすごい力で打ち倒されて海中にしずめられ、息をしようと三十秒ほども口をぱくぱくやるはめにもなる。波の頂点にある水は下の方にある水の上に乗っかっている。が、下の方の波が海底にぶつかり動きが止まってしまっても、上の方の水はそのまま前進しようとする。下の波はもう支えることができない。そうなれば、上の方の波の下には空気しかないことになり、水は重力の力で落下していく。と同時に下の方の遅れた波とは離れて前方へ投げだされてしまう。この点が、サーフボードに乗るのとソリで斜面をおとなしく滑り降りるのとの違いだ。実際に、巨人のタイタンの手でつかまれて、浜辺に投げ飛ばされるような感じなのだ。

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腹ばいになったり、立ち上がったり

ぼくは涼しい木陰を出た。海水パンツをはき、サーフボートをかかえた。ぼくには小さすぎたのだが、だれも何も言わないし、気がつかなかった。ぼくは、浅いところで、カナカの少年たちに加わった。そのあたりは波も小さくて、いわば波乗り幼稚園といったところか。少年たちをじっと観察する。よさそうな波が来ると、彼らはさっとボードに腹ばいになり、足を必死にばたばたさせ、そのくだけ波に乗って岸までいく。ぼくも真似をしてやってみた。観察し、同じようにやってみたが、まったくうまくいかない。波はあっというまに通り過ぎてしまい、ぼくだけとりり残されてしまう。何度も何度もやってみた。連中の倍ほども足をばたばたさせたが失敗した。周囲には半ダースほどの子供がいた。みんな、いい波がくるとボードに飛び乗り、川を行き来する蒸気船のように足を動かして行ってしまい、ぼくだけみっともなく残される。

ぼくは丸一時間もやってみたが、波に乗って岸に向かうことはできなかった。そうこうするうちに、一人の友人がやってきた。何かわくわくするようなものを求めて、仕事で世界各地を旅行しているアレクサンダー・ヒューム・フォードという男だ。そして、ワイキキでそれを見つけたのだ。オーストラリアに行く途中で、波乗りがどんなものか体験しようと一週間ほど立ち寄るつもりが、そのとりこになってしまったのだ。彼はひと月のあいだ、毎日波乗りをしていたが、飽きた様子はなかった。その彼が厳かにこう言った。「そのボードから降りなよ」と。

「すぐに捨てろ。自分が何に乗ろうとしているかわかってんのか。そのボードの鼻先が海底にでも刺さったら、脳天かちわられるぜ。ほら俺のボードを使えよ。これが大人用のサイズってやつだ」

スナーク号の航海 (26) - ジャック・ロンドン著

第VI章

最高のスポーツ

それが、いわゆるロイヤル・スポーツ、地球上で生来の王たちが行っている最高のスポーツだ。ワイキキビーチでは、はてしなく広がる海から五十フィート足らずのところまで草が生え、木々も潮の気配が感じられるところまで枝を伸ばしている。ぼくはその木陰に腰を下ろし、海の方に顔を向け、波が音をとどろかせて浜辺に打ち寄せては足元にまで来るのを見つめている。半マイルも沖の岩礁では、波が砕けて白い水煙をあげ、ゆっくりとした青緑色のうねりは空に向かって隆起し、巻き波となって寄せてくる。一マイルもの長さの波が無限の海の軍隊のように次から次へとやってきては飛沫をとばす。ぼくは座ったまま、いつまでも続く咆哮(ほうこう)に耳を傾け、終わりのない光景を眺めているが、激しさは泡や音でも十分に伝わってくる。この途方もなく強大な力を前にして、ぼくは自分がちっぽけでもろい存在だと感じる。自分はとても小さいと感じるし、この海に立ち向かうと思っただけで、背筋がぞくっとするような不安、ほとんど畏怖に近いものを感じた。というのも、長さ一マイルもの雄牛のような口を持つこの怪物は何千トンもの重みがあり、それが人が走るより速く海岸まで突進してくるのだ。どんな生き残るチャンスがあるというのだろう? そんな機会はありはしない。委縮させられてしまう。腰をおろし、そうした光景を眺めながら、耳をすましている。そうするには草地や木陰はとてもよい場所だ。

遠くで大きな波しぶきが宙に舞い、白い泡まじりの波頭が大きく盛り上がる。そのままオーバーハングしつつ巨大な巻き波となり、と、そこに、ふいに海神のごときものが出現した。黒っぽい人間の頭だ。その人は押し寄せてくる白濁した波頭の前でさっと立ち上がった。よく日に焼けた肩、胸、腰、手足──そのすべてがいきなり視野に飛びこんでくる。ついさっきまでずっと遠くまで広がりをみせて轟音をとどろかせていた海に、いまはもう人間がいて立ち上がったのだ。混沌の極みのような海面で必死に戦っている風ではない。波にのみこまれることもなく、このパワフルな怪物にもみくちゃにもされず、その上に立ち、さりげなくバランスをとっている。足元は泡立つ波に埋もれているが、水しぶきで見えない足をのぞけば身体の他の部分はすべて空中に出ている。陽光をあびて輝きながら、波とともに飛ぶように滑っていく。いわば、ローマ神話の守護神メルクリウス、つまりマーキュリー、褐色のマーキュリーだ。かかとに翼がはえたように、海上をすばやく駆け抜けていく。本当のところは、海に浮かんでいて、波にあわせて乗ったのだ。轟音をとどろかせながら押し寄せてくる波は、しかし、その人間を自分の背から振り落とすことはできない。その人はあわてて手を伸ばしたりはせず、落ち着いてバランスをとっている。表には感情を出さず、何らかの奇跡によって深海からいきなり彫りだされた彫刻のように、立ち上がったまま微動だにしない。そうして、押し寄せてくる大波に乗ると、かかとに翼でもついているように、そのまま陸の方に向けて飛ぶように滑っていく。波は嵐のような音を立てて激しく泡立ちながら崩れ、浜辺まで寄せては消えていく。するとそこには、熱帯の太陽で見事に日焼けした一人のカナカが立っているのだ。数分前には四分の一マイル離れたところにいたはずだったが、「牛の口のような砕け波にかみつき」それに乗ってやってきたのだった。岸辺の木陰に座ったぼくと目が合う。すばらしい肉体を波に運ばせてきた腕前に誇りを持っているのが見てとれた。カナカ、この地の先住民だ──だが、それ以上に人間だ。波乗りを会得した、生物の長たる人間の一人なのだ。

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迫りくる波

ぼくは座ったまま、あの運命の日におけるトリストラムと海との最後の対決に思いをはせる。さらに、カナカはトリストラムがやったことのないことをやってのけたという事実、トリストラムが知らなかった海の喜びを知っているということも思う。思いはさらに続く。ビーチの涼しい木陰にこうして座っているのはとても気持ちのよいものだが、しかし、自分も生物の王たる人間の一人であり、カナカにできるのであれば、自分にもできるはずだ、と。さあ、行こう。この温暖な地では厄介物でしかない衣服は脱ぎ捨てよう。海に入り、海と格闘するのだ。技を身につけ、かかとに翼をはやし、自分のうちなるパワーで砕け波にいどんで勝利するため、王たる者がすべきこととして波に乗るのだ。

というわけで、ぼくはサーフィンを始めるようになった。そして挑戦し、最高のスポーツとして続けている。とはいえ、まずはこの現象を物理的視点から説明させてもらいたい。波とは動きが伝播されていくものである。波を構成している水そのものが動いて流れているわけではない。もし水自体が移動しているとすれば、小石を池に投げこむと波紋が円を描いて大きく広がっていく際に、その中心には移動した水の分だけ穴ができ、それが大きくなっていくはずだ。そうならないのは、波を構成する水自体は静止しているからだ。海の表面を微視的に見ることができれば、何千もの連続した波として伝達されてくる動揺に対して同じ水が何千回も上下動を繰り返しているのが見えるだろう。この動きが伝播されて陸の方へ向かうと想像してみよう。水深が浅くなるにつれて、波の下部の方がまず海底にぶつかり止められる。ところが、水は液体であり、波の上部は何にもぶつからず、そのまま動き続けて前へ進もうとする。波の上部は進み続けるのに、波の下方の海底に近い部分はそれより遅れるようになるが、そこで何かが起きるかというと、波の下部が前進する軍隊から脱落し、波の上部は落伍者を乗りこえて前へ進もうとして隆起し、巻き波となって轟音をとどろかせながら崩れ落ちていく。それがサーフだ。

とはいえ、スムーズな波のうねりから砕け波への変容は、海底が急激に浅くなっている場合を除き、いきなり発生するのではない。四分の一マイルから一マイルの間で徐々に浅くなっているとすると、この変容もそれに等しい距離をかけてなされることになる。そんな海底がワイキキビーチの沖にあって、それがサーフィンに適したすばらしい波を作り出しているのだ。サーファーはその崩れかけた波に乗り、そのまま陸の方へずっと、波が崩れてしまうまで乗り続けていく。

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リバイアサン号とスナーク号(左)

スナーク号の航海(25) - ジャック・ロンドン著

ぼくらは広くて立派な芝生の上を、ロイヤルパームの並木のある通りまで歩いた。芝生はさらに続いていて、風格のある巨木の緑陰を歩いた。あたりには小鳥の鳴き声や、風にそよぐ大きなユリや燃えるような花の開いたハイビスカスの濃厚で暖かい芳香が満ちていた。何もなく絶えず揺れている海の上にずっといたぼくらにとって、ほとんどありえないような美しさだった。チャーミアンは手を伸ばしてぼくにしがみついた──言葉では言い表せない美しさに負けないようにするためだろうと思ったのだが、そうではなかった。ぼくは彼女を支えようと足を踏ん張った。が、ぼくらの周囲の花や芝生もよろめき、揺れ始めた。地震のようだったが、被害もなく一瞬で通りすぎた。こんなに大地が揺れていては、立っているだけでもかなりむずかしかった。警戒していると、何も起こらなかった。だが、注意をそらすと、地面はまたすぐに揺れ始め、周囲の景色すべてが揺れて持ち上がり、あらゆる角度に傾いた。一度さっと振り返ったのだが、ロイヤルパームの堂々とした並木も宙に弧を描いていた。しかし、それを目撃した瞬間に、穏やかな夢に戻った。

それから、とても見晴らしのいいベランダのある瀟洒な建物までやってきた。楽園で悠々自適の人の住居だ。風を入れるために窓もドアも大きく開けてあり、小鳥の鳴き声が聞こえ、あたり一帯にいい香りもただよっていた。壁にはタパ布がかけられていた。長椅子には植物を編んだカバーがかけられていた。グランドピアノもあった。子守歌よりうるさい音楽は演奏されたことがないように思われた。召使たち──着物を着た日本の女性──が音を立てずに蝶のように動きまわっている。すべてが、ありえないほどすばらしかった。ここでは恐ろしい海にいて燃え上がる熱帯の日差しに焼かれたりすることはない。あまりにもすばらしすぎて、本当のこととは思えなかった。現実ではなく、夢の世界の出来事なのだ。ぼくにはわかっていた。というのも、さっき振り返ったとき広々とした部屋の隅でグランドピアノが跳ねまわっていたのを見たのだ。ぼくは何も言わなかった。というのも、ちょうどそのとき、上品な女性、優美な白い服を着た美しい女主人から歓迎されているところだったからだ。女主人はサンダルばきで、ずっと前からの知り合いのように、ぼくらを迎え入れてくれた。

ぼくらはベランダのテーブルについた。蝶のようなメイドに給仕してもらい、見たことのない食べ物やポイと呼ばれるどろどろした汁を食した。しかし、夢はさめるものだ。世界は虹色の、まさにはじけようとするシャボン玉のように揺れ動いた。ぼくは緑の草地や風格のある木々やハイビスカスの花を見ていたのだが、いきなりテーブルが動き出したように感じた。テーブルと、テーブルの向こうにいる女主人が、ベランダが、緋色のハイビスカス、緑の芝生や木々が──すべてが持ち上がり、目の前で傾き、揺れ動き、巨大な波の谷間に沈んでいく。ぼくはひきつったまま椅子に手をやり、しっかりと握った。椅子にしがみつくのと同じように自分は夢にしがみついているとも感じた。波が押し寄せて、おとぎの国を水びたしにするのは驚くべきことではなかったし、自分がスナーク号の舵輪を持っていて、対数の勉強から何気なく顔を上げただけだとも思っていた。しかし、夢はさめなかった。ぼくは女主人とその夫をそっと見た。彼らはまったく動揺していなかった。テーブルの上の皿も動いていかった。ハイビスカスも木々も芝生もそこにあった。何も変わっていなかった。ぼくは飲み物をおかわりした。夢はさらに現実のものとなった。

「紅茶にアイスを入れましょうか」と女主人がたずねた。それから、彼女の側のテーブルがゆっくり沈み、ぼくは「はい」と四十五度の角度で見おろしながらこたえた。
「サメと言えば」と、女主人の夫が言った。「ニイハウに一人の男がいたんですがね──」 そして、その瞬間にテーブルが持ち上がって揺れた。ぼくは四十五度の角度で彼を見上げた。

昼食はさらに続いた。チャーミアンがあぶなっかしく歩く様子を見ていられなかったので、まだ座っていられることにほっとした。ところが、いきなり、不可解なおそろしい言葉がこの人たちの唇からもれた。「ああ、やっぱり」と、ぼくは思った。「ここで夢が消えていくんだな」 ぼくは椅子を必死につかもうとした。この桃源郷のかすかな名残りをスナーク号の現実に戻っても忘れないようにしなければと決意していた。すべてが揺らめいて夢が消えていくのを感じた。そのとき、不可解なおそろしい言葉が繰り返された。それは「マスコミだ」とも聞こえた。三人の男が芝生を横切ってやってくるのが見えた。なんと、記者連中だ! ということは、結局、夢だと思いこもうとしていたことは、誰もが認める現実だったのだ。光り輝く海面の向こうに、錨泊しているスナーク号が見えた。サンフランシスコからハワイまであの船で航海してきたこと、ここがパール・ハーバーであること、さらに、自己紹介して、最初の質問に「そうです。ぼくらはずっと素晴らしい天候に恵まれていたのです」と答えたことを思い出した。

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ドリーム・ハーバー

スナーク号の航海 (24) - ジャック・ロンドン著

これがスナーク号での最初の陸地視認の顛末だ──なんというランドフォールだったことか。ぼくらは二十七日間、何もない大海原にいたので、世の中にこんなに生命に満ちあふれているとは思いもよらなかった。頭がくらくらしてしまい、すぐには、すべてを受け入れられなかった。ぼくらは眠りからさめたリップ・ヴァン・ウィンクルみたいに、まだ夢を見ているようだった。こちらには波が打ち寄せる青い海があり、はるか水平線をこえて青い空まで続いていた。もう一方の側では、近づくにつれて隆起したエメラルド色の大波が砕け散って雪のように白いサンゴの浜辺に舞っていた。ビーチの向こうにはサトウキビを栽培する緑の大農場が山へ、急峻な斜面へと続いていた。その先は荒々しい火山の稜線となり、熱帯地方の夕立が激しく降り注ぎ、頂上には貿易風にたなびく途方もなく大きな雲がかかっていた。いずれにせよ、とても美しい夢ではあった。スナーク号は向きを変え、押し寄せるエメラルド色の波の方に船首を向けた。波に大きく持ち上げられたかと思うと、轟音とともにたたき落とされた。反対側には長く続く淡緑色の岩まじりの砂州が牙をむき出していて、恐ろしい光景だった。

と、ふいに陸地が、多彩なオリーブグリーンに満ちあふれた陸地から腕が差し伸べられ、スナーク号をすっぽり抱えこんでくれた。青い空の下で岩礁を抜けるときには、エメラルド色の波による危険はなかった──何もなかった。あったのは暖かくやわらかな大地と静かな礁湖、現地の日に焼けた子供たちが泳いでいる小さなビーチだけだ。大海原は姿を消していた。スナーク号から錨を落とすと、チェーンがガチャガチャ音を立てて錨鎖孔から出ていって、浅い平らな海底に食いこみ、船の動きがとまった。そこは、現実として受け入れることができないほど美しく、不思議なところだった。この場所は海図ではパールハーバー(真珠湾)と記載されていたが、ぼくらはドリームハーバー(夢の入り江)と呼んだ。

小さな船がやってきた。ハワイヨットクラブの人たちだ。心のこもったハワイ流のもてなしで挨拶と歓迎に来てくれたのだ。この人たちはごく普通の人間、血も涙もある人間で、ぼくらの夢をこわそうとする人種とは違っていた。ぼくらの記憶にある最後に会った合衆国本土の人間は保安官やうろたえた小金持ちの商売人たちだったが、煤塵や炭塵まみれで悪臭ふんぷんとしていて、薄汚れた手でスナーク号をなでまわしては、この航海をやめさせようとしたのだ。しかし、ぼくらに会いに来たこの人たちはクリーンだった。顔は健康的に日焼けし、札束に目をぎらつかせてもいなかった。というより、彼らはぼくらの夢は現実だと証明しにきてくれたのだ。不愛想だが、しっかりと受けとめてくれた。

そこで、ぼくらは彼らと一緒に穏やかな海から緑豊かな陸地へと向かった。小さな桟橋に上がり、夢はさらに強固なものとなった。二十七日間というもの、ぼくらは海に浮かんだ小さなスナーク号で揺られていた。この二十七日間、一瞬たりとも動きがやむことはなかった。この絶え間ない動きが体にしみこんでいた。体も脳も揺れていたが、この小さな桟橋に上がってからも揺れは続いた。当然のことながら、ぼくらはそれを桟橋のせいにした。よくあるパターンだ。ぼくは桟橋にそっておおまたで歩こうとして海に落ちそうになった。チャーミアンを見ると、彼女の歩き方もひどかった。桟橋は船の甲板と変わりがなかった。持ち上がったかと思うと傾き、うねりを受けて上昇しては沈んだ。手すりなどないので、チャーミアンとぼくは落ちないようにするので精一杯だった。こんな妙な桟橋は初めてだった。確かめようとするのだが、そのたびに横揺れは消えてしまう。ぼくが目をそらしたとたん、すぐにスナーク号みたいに揺れ出すのだ。世界がひっくり返るかと思うくらい派手に揺れた瞬間、長さ二百フィートほどの桟橋は巨大な向かい波に突っこんだ船の甲板のように見えた。

出迎えてくれた人たちの助けを借りて桟橋を渡りきり、ようなく陸に足をおろした。とはいえ、陸地も桟橋と似たようなものだった。足で踏んだその瞬間、地面は目の届く限りが一方に傾き、ゴツゴツした火山の稜線もはっきり見えたし、斜面の上には雲も見えた。大地は不安定で、がっしりした地盤がなかった。でなければ、こんなに揺れるわけがない。上陸した足元以外の場所はすべて現実のものではないようだった。夢だった。変化の激しいガスのように今にも消えてしまいそうだった。おそらく自分の方がおかしいのだろう。めまいがしているのか食当たりでもしたのだろうかとも思った。しかし、チャーミアンを見ると、彼女の歩き方も妙だったし、彼女がふらついて横を歩いていたヨット乗りにぶつかったのが見えた。声をかけると、彼女も「地面が変なのよ」とブツブツ文句を言っていた。

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じっとしていない桟橋

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熱帯の恵み

訳注
リップ・ヴァン・ウィンクル: 米国の作家ワシントン・アービングが1820年に発表した短編集『スケッチ・ブック』所収の同名短編(オランダ移民の、眠っているうちに二十年が経過してしまったという伝承譚)の主人公。森鴎外が1889年(明治22年)に「新世界の浦島」と題して訳出している(三年後に刊行された単行本『水沫(みなわ)集』では「新浦島」と改題)。

スナーク号の航海(23) - ジャック・ロンドン著

第五章

陸地初認

「海じゃ退屈するなんてことはないぜ」と、ぼくはスナーク号の乗員たちに保証した。「海には生き物がいっぱいいるんだ。数が多くて、毎日、新顔が現れてくれるんだ。ゴールデンゲート・ブリッジを通過してすぐ南に向かうとするだろ、そしたらトビウオが飛びこんでくるのさ。フライにして朝飯に食おうぜ。カツオやシイラも取れるだろうし、バウスプリットから丸い顔をしたイルカだって突けるぜ。おまけにサメも──サメは無限にいる」

ぼくらは実際にゴールデンゲート・ブリッジを通過して南へ向かった。カリフォルニアの山々が水平線に没し、太陽は日ごとに暖かくなった。だが、トビウオはおろか、カツオもシイラもいなかった。大海原から生き物が消えていた。ぼくはこれほどまでに見捨てられ荒涼とした海を航海したことはない。これまではいつだって、この緯度あたりまで来るとトビウオに遭遇していたのだ。

「がっかりするな」と、ぼくは言った。「南カリフォルニアの沖まで待ってようぜ。そうすればトビウオが捕まえられるから」

南カリフォルニアの沖、カリフォルニア半島南部、メキシコの海岸沖まで来たが、トビウオはまったくいなかった。何もいなかった。動いている生物がいないのだ。生物を見ないまま航海日数を重ねていくのは異様としか言いようがない。

「がっかりするなよ」とぼくは言った。「トビウオが飛びこんでくれば、他の魚もみんなとれるようになるはずだから。トビウオは海にいる他の生き物すべての生命の糧だから、トビウオさえ見かれば、他のもどっと登場するだろうよ」

ハワイに行くにはスナーク号の進路を南西に向けるべきだったが、ぼくはまだ南下を続けた。どうしてもトビウオを見つけたかったのだ。ぎりぎりのところまで南下し、どうしてもハワイに向かわなければとなったら、進路を南ではなく真西に向ければいいと思っていた。北緯十九度まで来たところで、最初のトビウオを見た。一匹だけだ。ぼくは確かに見た。他の五人は目を皿のようにして、一日中、海を見張っていたというのに何も目撃しなかったらしい。トビウオは非常に少なくて、最初の一匹目を見つけるまで一週間かかった。シイラやカツオ、イルカや他の生物群にいたっては皆無だった。

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北東の貿易風を受け、ヒールして帆走

サメのあの不気味な背びれすら海面には見当たらなかった。バートはバウスプリットの下からステイにぶら下がって海水浴をした。そして泳ぎながら流れていくものを観察していた。というわけで、海の生物についてのぼくの面目は丸つぶれだった。

「サメがいるとしたら」と、やつは言ったものだ。「なぜ姿を見せないんだ?」

ぼくは、お前が手を離して流れていけば、連中はすぐにやってくると請け合った。これは、こけおどしだった。自分ですら信じていなかった。こんな状態が二日続いた。三日目に、風が落ちて凪になり、非常に暑くなった。スナーク号は時速一ノットほどで動いていた。バートはバウスプリットにぶら下がっていたが、異様な気配を感じて神経質にきょろきょろしていた。ぼくらは大海原を二千時間も航海してきて、一匹のサメも見なかったが、バートが泳ぐのをやめてから五分もしないうちに、サメの背びれがスナーク号の周囲の海面で円を描いてまわりだした。

だが、そのサメについては何か妙なところがあり、それが気になった。陸の近くにいるはずの種類が、こんな沖合にいるのは変だった。考えれば考えるほど、わからなくなった。しかし二時間後に陸地を視認したので、この不可思議な現象の謎が解けた。やつは何もいない深海からではなく、さっき見えた陸地から来ていたのだ。陸地初認の予兆、陸からの使者だったというわけだ。

サンフランシスコを出てから二十七日目に、ハワイのオアフ島に到着した。早朝に潮流に乗ってダイヤモンドヘッドをまわると、ホノルルの全景が飛びこんできた。そうすると、大海原にふいに生き物があふれ出てきた。トビウオはきらきら輝きながら編隊となって宙を切り裂いた。五分もしないうちに、それまでの全航海で目撃したより多くを見た。さらに大きな、さまざまな種類の魚たちもしきりに跳ねた。海にも陸にも、いたるところに生命があふれていた。港には帆柱や蒸気船の煙突が見えた。ワイキキのビーチにはホテルや海水浴客も見えたし、パンチボウルやタンタラスなど、火山から連なる斜面の高いところにある住宅からは煙が立ち上っていた。税関のタグボートはぼくらの方に突進してくるし、大量のイルカが舳先の下にもぐりこんで跳ねまわった。港の修理業者の船がやってきて料金を請求し、大きなウミガメが海面に甲羅を出したまま、ぼくらを眺めいたりした。これほど生命にあふれていたことはなかった。スナーク号の甲板には見知らぬ連中があふれ、聞きなれない声が飛び交った。世界中のニュースを満載した今朝の朝刊も持ちこまれていて刺激的だった。偶然にも、ぼくらはスナーク号の記事を目にしたのだが、それによれば、乗員全員が海で行方不明となったそうだ。スナーク号は耐航性のない船だということが実証された、とも。ぼくらがこうした記事を読んでいる間にも、ハレアカラ山頂では、スナーク号が無事に到着したことを告げる無線電信が受信されていたのだった。

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航海に出て最初の寄港地に停泊するスナーク号