スナーク号の航海 (26) - ジャック・ロンドン著

第VI章

最高のスポーツ

それが、いわゆるロイヤル・スポーツ、地球上で生来の王たちが行っている最高のスポーツだ。ワイキキビーチでは、はてしなく広がる海から五十フィート足らずのところまで草が生え、木々も潮の気配が感じられるところまで枝を伸ばしている。ぼくはその木陰に腰を下ろし、海の方に顔を向け、波が音をとどろかせて浜辺に打ち寄せては足元にまで来るのを見つめている。半マイルも沖の岩礁では、波が砕けて白い水煙をあげ、ゆっくりとした青緑色のうねりは空に向かって隆起し、巻き波となって寄せてくる。一マイルもの長さの波が無限の海の軍隊のように次から次へとやってきては飛沫をとばす。ぼくは座ったまま、いつまでも続く咆哮(ほうこう)に耳を傾け、終わりのない光景を眺めているが、激しさは泡や音でも十分に伝わってくる。この途方もなく強大な力を前にして、ぼくは自分がちっぽけでもろい存在だと感じる。自分はとても小さいと感じるし、この海に立ち向かうと思っただけで、背筋がぞくっとするような不安、ほとんど畏怖に近いものを感じた。というのも、長さ一マイルもの雄牛のような口を持つこの怪物は何千トンもの重みがあり、それが人が走るより速く海岸まで突進してくるのだ。どんな生き残るチャンスがあるというのだろう? そんな機会はありはしない。委縮させられてしまう。腰をおろし、そうした光景を眺めながら、耳をすましている。そうするには草地や木陰はとてもよい場所だ。

遠くで大きな波しぶきが宙に舞い、白い泡まじりの波頭が大きく盛り上がる。そのままオーバーハングしつつ巨大な巻き波となり、と、そこに、ふいに海神のごときものが出現した。黒っぽい人間の頭だ。その人は押し寄せてくる白濁した波頭の前でさっと立ち上がった。よく日に焼けた肩、胸、腰、手足──そのすべてがいきなり視野に飛びこんでくる。ついさっきまでずっと遠くまで広がりをみせて轟音をとどろかせていた海に、いまはもう人間がいて立ち上がったのだ。混沌の極みのような海面で必死に戦っている風ではない。波にのみこまれることもなく、このパワフルな怪物にもみくちゃにもされず、その上に立ち、さりげなくバランスをとっている。足元は泡立つ波に埋もれているが、水しぶきで見えない足をのぞけば身体の他の部分はすべて空中に出ている。陽光をあびて輝きながら、波とともに飛ぶように滑っていく。いわば、ローマ神話の守護神メルクリウス、つまりマーキュリー、褐色のマーキュリーだ。かかとに翼がはえたように、海上をすばやく駆け抜けていく。本当のところは、海に浮かんでいて、波にあわせて乗ったのだ。轟音をとどろかせながら押し寄せてくる波は、しかし、その人間を自分の背から振り落とすことはできない。その人はあわてて手を伸ばしたりはせず、落ち着いてバランスをとっている。表には感情を出さず、何らかの奇跡によって深海からいきなり彫りだされた彫刻のように、立ち上がったまま微動だにしない。そうして、押し寄せてくる大波に乗ると、かかとに翼でもついているように、そのまま陸の方に向けて飛ぶように滑っていく。波は嵐のような音を立てて激しく泡立ちながら崩れ、浜辺まで寄せては消えていく。するとそこには、熱帯の太陽で見事に日焼けした一人のカナカが立っているのだ。数分前には四分の一マイル離れたところにいたはずだったが、「牛の口のような砕け波にかみつき」それに乗ってやってきたのだった。岸辺の木陰に座ったぼくと目が合う。すばらしい肉体を波に運ばせてきた腕前に誇りを持っているのが見てとれた。カナカ、この地の先住民だ──だが、それ以上に人間だ。波乗りを会得した、生物の長たる人間の一人なのだ。

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迫りくる波

ぼくは座ったまま、あの運命の日におけるトリストラムと海との最後の対決に思いをはせる。さらに、カナカはトリストラムがやったことのないことをやってのけたという事実、トリストラムが知らなかった海の喜びを知っているということも思う。思いはさらに続く。ビーチの涼しい木陰にこうして座っているのはとても気持ちのよいものだが、しかし、自分も生物の王たる人間の一人であり、カナカにできるのであれば、自分にもできるはずだ、と。さあ、行こう。この温暖な地では厄介物でしかない衣服は脱ぎ捨てよう。海に入り、海と格闘するのだ。技を身につけ、かかとに翼をはやし、自分のうちなるパワーで砕け波にいどんで勝利するため、王たる者がすべきこととして波に乗るのだ。

というわけで、ぼくはサーフィンを始めるようになった。そして挑戦し、最高のスポーツとして続けている。とはいえ、まずはこの現象を物理的視点から説明させてもらいたい。波とは動きが伝播されていくものである。波を構成している水そのものが動いて流れているわけではない。もし水自体が移動しているとすれば、小石を池に投げこむと波紋が円を描いて大きく広がっていく際に、その中心には移動した水の分だけ穴ができ、それが大きくなっていくはずだ。そうならないのは、波を構成する水自体は静止しているからだ。海の表面を微視的に見ることができれば、何千もの連続した波として伝達されてくる動揺に対して同じ水が何千回も上下動を繰り返しているのが見えるだろう。この動きが伝播されて陸の方へ向かうと想像してみよう。水深が浅くなるにつれて、波の下部の方がまず海底にぶつかり止められる。ところが、水は液体であり、波の上部は何にもぶつからず、そのまま動き続けて前へ進もうとする。波の上部は進み続けるのに、波の下方の海底に近い部分はそれより遅れるようになるが、そこで何かが起きるかというと、波の下部が前進する軍隊から脱落し、波の上部は落伍者を乗りこえて前へ進もうとして隆起し、巻き波となって轟音をとどろかせながら崩れ落ちていく。それがサーフだ。

とはいえ、スムーズな波のうねりから砕け波への変容は、海底が急激に浅くなっている場合を除き、いきなり発生するのではない。四分の一マイルから一マイルの間で徐々に浅くなっているとすると、この変容もそれに等しい距離をかけてなされることになる。そんな海底がワイキキビーチの沖にあって、それがサーフィンに適したすばらしい波を作り出しているのだ。サーファーはその崩れかけた波に乗り、そのまま陸の方へずっと、波が崩れてしまうまで乗り続けていく。

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リバイアサン号とスナーク号(左)

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