現代語訳『海のロマンス』153:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第153回)

三、シャンペイ

練習船は遠浅の海を、抜き足差し足、こわごわと探りつつ港に入っていって、上陸場から二海里も手前に投錨する。

入ってみると、案外にやせた、うるおいのない荒れた土地である。心に描いた南洋とはだいぶ違う。これでは、得意のゴムも育つまい。

しばらくすると、変な端艇(ボート)がたくさん、船の周囲(まわり)に集(たか)ってきた。中をくりぬいて左右に一対(いっつい)の防波材(ローリングチョック)をつけている。音に聞いた独木船(カヌー)だ。船の中には魚類、果物、ニワトリなどが積んである。やがて、半裸体の船頭が(さすがに商人だけあって下半身は婦人の腰巻きのような布片(きれ)で覆(おお)っている)、杓子(しゃくし)のような櫂(かい)で巧みにカヌーを進退させながら、口々にシャンペイ、シャンペイと呼び、シャーツルピーと叫び、バジュー、アイアンなどと吠(ほ)える。

いやはや、とんだ港に入ったものだ。これこそ掛け値も飾りもない、正真正銘の外国語で、ちんぷんかんぷんである。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』152:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第152回)

美果が実る南洋の島 一、ロムボク海峡

八月二十七日に汽走をやめて、勢いのある南東貿易風に総帆(そうはん)を展開した練習船は、昼は海洋(うみ)のひょうきん者のトビウオを伴侶(とも)とし、夜は南十字星(サザンクロス)やオリオン座のさやけき星光(せいこう)に輝くノクチフホリスの海を眺めて、すこぶる平穏で刺激のない航海を続けた。

しかし、一瞬の安らぎも許さぬ海洋(うみ)の変化は、この貿易風帯の航海にも長く続く平穏を与えてはくれず、南東の恒常風(こうじょうふう)が強東風に偏向するに及び、船の針路は世にも物騒(ぶっそう)なものとなり、いかに「一杯開き」にしても、とうてい北オーストラリアの突角(とっかく)を右にまわれそうもない姿となった。


* 水色の点線が当初予定の進路。

こういうときには決まって根拠のない憶測や噂話が飛び出すもので、ロムボク海峡を通過してジャワのスラバヤに寄港するだろうとか、セレベスのマカッサに錨を投(い)れるだろうという者があれば、いや違う、スンバワのビマ港だと打ち消す者がある。勝手気ままの憶測が勝手気ままに勢いに乗って横行する。

九月四日に総帆(そうはん)をたたんで汽走に移るとき、一等航海士が訓示した。最後の寄港地たるアムボイナに着く前に、都合でスンバワ島のビマ港にちょっと立ち寄ると……。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』151:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第151回)

海洋の日没美 ――故山のT君へ――

T君――海を恋し、俗世の束縛(そくばく)にしばられない船乗りの生活をうらやみ、広く青い海洋(うみ)で人知れず生まれては消え、散っては砕ける白い雲の運命に悲しき思いをはせるT君よ。

八月二十三日にフリーマントルを辞した練習船は、折からの南東風を受けて、日夜走り続け、シケと無風との境で、今や航海三昧(ざんまい)に入りました。

神秘の多い南インド洋の海を飾るこの頃の日没美は、平素、自然美に対してさしたる反発も興奮も起こらない免疫性の船乗りにとっても、賛嘆のあまり、その色彩は、強く美意識を刺激する十分な力があります。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』150:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第150回)

六、わが豪州の娘よ

うるわしき豪州の娘よ、
いざや、別離(わか)れん。
われは忘れず、永久(とこしえ)に、
君と送りし、楽しき月日(とき)を。

(古船調)

世界のどこへ行っても、無邪気(むじゃき)にして、こぼれるほどの真情(しんじょう)の流露(りゅうろ)を、知らぬ外国(とつくに)の人にまでそそいでくれる者は、いつでも七、八才から十二、三才の子供である。

すでに述べたように、西オーストラリアは、カリフォルニア州や南アフリカのケープタウンなど、排日的傾向が強烈な土地を歴訪してきた練習生をして、さらにアッと驚かせたほどに、排日的色彩の強烈なところである。しかし、それは坑夫(こうふ)あがりの成金党(なりきんとう)や、女性の権威の尊重を声高に主張する女たちの間だけである。

目の当たりにした、惨憺(さんたん)たる排日の真相や、悲痛(ひつう)極まる在留同胞(ざいりゅうどうほう)の悲憤(ひふん)慷慨(こうがい)を見聞したものでも、さびしい冬の雨がもの寂しく灰色のカテドラル寺院の尖頂(スパイヤー)に降りそそぐ電車道をたどるとき、行き違う少年少女が手を挙げ、洋傘(パラソル)を振って、なつかしげに挨拶(あいさつ)するのを見たりすると、盛んに心の奥から沸き起こってくる敬愛の真情を唇に顕わさないわけにはいくまい。かわいい白い顎(チン)をした少年(こども)が笑いながら二、三間(げん)の遠方(むこう)から盛んにうなづいてくるかと思えば、また、道の向かい側では、気のきいた小さなナップサックを背負った少女(おとめ)が、金髪(ブロンズ)を波うたせながら、匂いこぼれるばかりの愛嬌(あいきょう)を振りまいていく。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』149:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第149回)

五、激烈なる排日熱

ぼくの記憶がしっかりしていて確かならば、かつて在シドニー日本総領事の齋藤氏は、休暇で帰国する途中、オーストラリアにおける排日思想の傾向について、すこぶる楽観的な説を述べられていたようである。しかし、それは政府の立場から概括的に、つまり、全オーストラリアとして見た場合の抽象的な所感のようである。

「王侯は山河を見、田舎者は畑の生育具合を見る」である。

二十日あまりのフリーマントル停泊中に、親しく在西オーストラリアの労働者から聞いた当地の日本人に対する感情は、さすがにいろいろ考えさせられるものであり、得るところも多かった。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』148:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第148回)

三、プリンセス劇場

西オーストラリア新聞社の主催によるキングス劇場(シアター)観覧の招待を受けたのは、一昨夜(おととい)のことである。その享楽の色美しい印象の消えぬ今宵(こよい)、またもやプリンセス劇場(シアター)から、独唱(ソロ)と歌劇(オペラ)と器楽(オーケストラ)と茶番とのプログラムを並べての招待を受けた。

バイオリン、チェロ、ギター、クラリネット等の管弦の響きが、心地よい享楽の感興を人々の胸に残して、そのととのったリズムの音波は、なめらかに湾曲したドーム型の天井の奥に消える。

中入りである。

巧みに十七、八の「ボニ・レシー」に化(ば)けおおせた四十女の化粧の技巧(たくみ)さや、うす絹を透(すか)して大潮の寄せるがごとく胸郭(むね)を波打たせながら、錐(きり)のごとく鋭い声で何やらを歌った独唱女(ソロイスト)のことなどを思いめぐらせていると、突然、耳にニワトリの声が聞こえた。

オヤと、ちょっとキツネにつままれたような気持ちになる。

続いて、またも二声(ふたこえ)三声(みこえ)……。驚きと、晴れがましさと、欣(よろこ)びとを表しているニワトリの声が……。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』147:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第147回)

フリーマントル
一、暖かき泊地の灯

八月二日の深更当直(ミッドナイト・ウォッチ)に立った三十人の船乗りの心は、ただもう、らちもなくはしゃぎきって、晴れやかな軽い、喜ばしい情緒は、穏やかに伸びた眉のあたりにはっきり示されている。

寒い、辛い九十日の大航海の後、安らかな泊地に入るという嬉しい期待は、人々が描いている美しい想像をさらに美しく描く。

煌々(こうこう)と眉に焦げつくように、右舷(うげん)船首(バウ)近くで光っているロットネス島の灯台を見ては、喜びの情は目にも輝き、静かなる湾内の水を染めては、かのなつかしい、豊かな、暖かい港の灯(ひ)が、紅(あか)く、青く、紫(むらさき)に映(うつ)りあう様(さま)を見ては、思わず、

妖女(ようじょ)の叫喚(さけび)ものすごき!
「カボ・トーメント*」の冬の夜(よ)や!!
災禍(まがつみ)の雨よ、怪異(ふしぎ)の霧!
自然の暴威(あらび)、世にも怖(おそ)ろし!
四季の色なす花の雲、
匂(にお)うは甘き潮(しお)の香(か)よ、
舟歌のせて我が船は、
今日の泊(と)まりに急ぐなる。
藻(も)の花しづく、華(はな)やかに、
荒(すさ)みし心、ひきたつる、
紅(あか)き暖かき、泊(と)まりの灯(ひ)、
アルハンブラの夜(よ)はふくる。

* カボ・トーメント  アフリカ大陸・喜望峰の旧称(「暴風の岬」)

と口ずさむ……。静かに、嬉しき胸を抱(いだ)いて。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』146:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第146回)

級友二人を失う

六月二十日。海洋(うみ)の雄大な美は、依然として、その色彩を増し、船の動揺(ローリング)は依然としてその鋭い矛(ほこ)を収(おさ)めないが、うららかな太陽がのどかな南インド洋の雲に映って、久しぶりに心の平安と身体に倦怠(けんたい)とを覚えるような、好日和(こうひより)である。

悲しい雨に泣き、むごい風に痛めつけられながら、恐るべき猟犬の噛みつき食いちぎろうとする歯から逃れた雌鹿(めじか)のように、身を戦慄(ふる)わせて南大西洋のシケから逃れ出た練習船は、静かに、濡(ぬ)れしおれた黒い帆を、穏やかな光線(ひ)に乾かしながら、受けた創痍(きず)を、安らかなる南インド洋の懐(ふところ)に養っている。

この一月半(ひとつきはん)の惨憺(さんたん)たる航海を回想すれば、そぞろに身震(みぶる)いするような畏怖(いふ)の念が全身に行き渡るのを感じる。

雄大なる自然の侵略に対する人間の悪戦苦闘の活演劇! 一月(ひとつき)にわたって光線(ひ)を見なかった苦しい航海! 一週間にわたって艙口(ハッチ)をずっと閉鎖していた辛(つら)い航海! 雨として海洋(うみ)に下るべき使命を授かった水のしずくが、途中で理不尽(りふじん)にも雪となり、みぞれとなり、あられとなって、甲板上を白く冷たくおおった寒い航海。憂(う)きことのなおこの上に積もれかし*などと、こたつで寝そべりながら気楽な戯言(ざれごと)をほざいた先人ののんきさをのろいたくなる現実の、その苦しさ! そのつらさ!! その寒さ!!

* 「憂きことのなおこの上に積(つも)れかし 限りある身の力試(ため)さん」は、江戸時代の陽明学者、熊沢蕃山(1619年~1691年)の歌とされる。
「つらいことがさらに多くこの身にふりかかってこい、命に限りがある身ではあるが、自分の力をためしてみよう」というほどの意味。
蕃山は陽明学者・中江藤樹に師事し、十代で岡山藩に出仕。治山治水や藩政改革を進めて重用されたが、守旧派に追い出され、私塾を開いた京都でも、その影響を懸念した京都所司代に追放された。その後、江戸幕府から出仕を乞(こ)われたが拒否し、幕政改革案を上申したりしたため、北関東の古河藩に幽閉され、その地で没した。

かくして、あくまでも傷ついた船に、こうしてあくまでも疲れたる船に、悪魔の黒い手は無残にもその侵略を始めた。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』145:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第145回)

喜望峰付近の天候

一四八六年にポルトガル人のバースロミュー・ディアズによって発見された喜望峰は、はじめはカボ・トーメント(暴風の岬)と命名されたが、暴風(あらし)の岬では縁起が悪い、ぜひとも喜び望む岬に改正(なお)せなどと、王侯の権威をもって、命がけの実験からえた船乗りの尊い印象を踏みつぶし、くだらない字句の改正を施したポルトガル王ジョン*の剛毅(ごうき)をもってしても、ついにその実質はこれを征服することができなかった。

* ポルトガル王ジョアン二世(1455年~1495年)。アフリカ西岸の開拓を行ったエンリケ航海王子(1394年~1460年)の事業を継承した。

そして、今でも、喜望峰と聞けば、驚くべき険悪の強い偏西風が連続して吹き続くところ、肝をつぶすような大きな三角波が立ち騒ぐところとして、世界の海洋でも最大級の難所という先入観を与えるに至ったのは、ジョン王にとっては小気味(こぎみ)よくもあり、喜望峰にとっては気の毒でもあり、船乗りにとってはおかしくもある。

この恐ろしい喜望峰は、南緯三十四度二十二分、東経十八度三十二分、例のテーブルマウンテンを頭部(かしら)に、十二使徒峰(アポストル)を脊髄骨(せきずいこつ)にしたケープ半島が南へ南へと伸びたその突端(さき)に位置している。で、この喜望峰を境界(さかい)として、今まで南に向かっていた南アフリカの西の海岸線は急に東に向かうのは事実であるが、本当のアフリカ大陸の南端は、喜望峰ではなくて、例のアガラス岬というやつである。

すべて、地理的な関係から、岬や鼻や半島などが遠く海洋(うみ)に突き出したところは、風浪が概して険悪のようである。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』144:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第144回)

スコールと虹

「おい! スコールは、たしか前後に二本の足を持っている、とかいったっけな?」
「うん、いわゆる佐々木氏の説によれば……だ。そうして、後足の方がことに猛烈だそうだ。気まぐれなやつになると、三本も四本もあるとさ」
「へえ! その中央(まんなか)のやつは短いだろう」
「ウフッ……。だれだ、そんな馬鹿なことをいって茶化すやつは……? しかし、足はね、例の黒雲のブラック・スコールに限るらしい」
「それで、今、通過したやつはその前足かな」
「そうだろう……まあ、ちょっと露払(つゆはら)いといった格だね。今に本隊がやってくるよ」
「しかし、それならもう来そうなものだぜ。例の音沙汰(おとさた)もないが、ちょっと他(よそ)へそれたかな」
「ぼくはこう思うね。こいつはきっと、いろんなのがあるんだよ。スコールの変異株だね。かわいそうに後足は自由がきかないのかもしらん」
「……そうすると、スコール仲間の大隈さんか*……アハハハ……道理で鼻息が荒いと思った……」
「そいつはよかった……ハアアッ……」
「ハアアッ……」

* 大隈さん  東京専門学校(後の早稲田大学)を創設し、総理大臣も務めた大隈重信(1838年~1922年)。
外務大臣時代に条約改正をめぐって反対派に爆弾で襲撃され、右大腿骨から下を失った。

たった今、マストもヤードも飛んでいきそうな凶暴なスコールが来たばかりで、それっとばかりに、上(アッパー)トップスルを下ろし、ステイスル*をたたんで、緊張していた胸も興奮した頭も、まだ十分に落ち着いていない五、六人の若い船乗りが、一番のストーン・ポンプの周囲(まわり)に集(たか)って、罪のない話に花を咲かせている。

* ステイはマストを支えるために張られたロープ/ワイヤー(支索)で、それに取りつけた帆をステイスルという。スルはセイル。

連日のシケのおかげで、今日もまた事業学習は中止である。彼らの心情としては、シケでもかまわん、恐ろしくてもかまわん、ただ事業と学習が休みになって、グッスリと熟睡ができて、くだらない馬鹿ッ話ができれば不平はないであろう。スコールの絶対的価値というものは、彼らのように向こう見ずの連中も大いに尊重していると見えて、彼らの一人が記録しているこの頃の日記には、次のように書いてある。 続きを読む