現代語訳『海のロマンス』139:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第139回)。

ブラジル滞在編は今回で終了し、次回(1月1日)から南大西洋、インド洋、再び太平洋へ、という後半の航海が開始されます。

八、移民の逃亡と地方気質

前に述べた第一の種類の仕事に従事する労働者が、毎朝コーヒー農園の代表者の点検を受けることは前記のごとくであるが、これらの人々は、午後の五時になると、再び整列して朝と同じように点検を受ける。このように朝夕二度の点検を受けるのは、一年の契約期日が終了しないうちに、比較的に収入の少ないこの仕事を見限って、一日に五円、六円になる大工仕事や都市の労働や鉄道工夫などに鞍替(くらが)えをする不届き者が多いためである。

彼らが逃亡しようと企てるときは必ず同室の者(同室の者とはいえ、決して常に夫婦と子供の三人ではない。あるときは日本を出るまでは住所や姓名(なまえ)も知らない無縁(あか)の他人であった者が、契約規則の表面上、戸籍ををごまかして名義上の夫婦や養子となるので、養父が三十で養子が二十五などということがあるくらいだから、逃亡後はふたたび路傍の人となるなども珍しくはない)が、共謀(ぐる)になって、数日分の食料を用意し、病気と言い張って休業し、監督の目を盗んでひそかに逃亡し、あるいは働き場所から直ちに姿を消し、コーヒーのふさふさと実った青葉を隠れ蓑(みの)にして畝(うね)から畝(うね)へ、耕地から耕地へと巧みに姿をくらまし去る。それに監督が気がついて馬上で追跡する頃には、すでにサンパウロ市あたりの家庭労働者くらいに化けているという具合である。

そういうありさまであるから、大工や左官、庭師などという手合(てあ)いが真面目(まじめ)に装って契約移民、自由移民より手軽なことを足がかりにしてブラジルに渡ってきても、一カ年も経たぬうちに耕地から町へと逃亡するという例は、現実に非常に多く見られる。

一九〇九年、竹村植民会社が水野龍(みずのりゅう)氏経営の興国移民会社の後を継いで、最初に組織的にブラジル移民を入国させたときには、八百二十七人の移民は、ほとんど全員が期限内に雲を霞(かすみ)と姿を消した。そのため、せっかく起こりかけたブラジル移民熱も見事に頓挫(とんざ)することとなり、翌年の一九一〇年には残念ながら、ついに移民は中止となった。

そうした原因は、移民会社の代理人が仕事先の農園の選択を誤ったことにもあるだろうが、大きな要素としては、会社が移民を日本全国に募(つの)る際、まだこの事業に不慣れであったため、移民として到底ふさわしくない地方的な色彩を持つ各県人の取捨選択をいい加減にやっていたからである。

当時八百余人の大部分は、鹿児島と沖縄両県を中心とする西日本出身者で、この事業が蹉跌(さてつ)した蟻(あり)の穴は、まさに両県人の逃走にあったのである。

鹿児島と沖縄の両県人はその地理的および歴史的関係から、一致団結という強烈な地方的な色彩を有するために、二、三の者が逃走して都市労働業において比較的しっかりした立場を築くと、他の者は必ず姿を消し、その配下へとはせ参じ、互いに庇護(ひご)し、互助しあうという特徴を持っている。

で、移民としてどこの県人が割合に成功しているかというと、最も評判のよいのは広島県人で、熊本、福岡、岡山、和歌山、東北、静岡がそれに次ぎ、鹿児島と琉球は最も悪いとのことである。

しかし、大体において、ブラジルのコーヒー園の日本人労働者は比較的に好成績の傾向を持っている。故に、怠惰(たいだ)で浮浪(ふろう)の徒(と)とつきあって、女色と富くじに大切な収入を浪費しない限り、確かに毎月三十円くらいの貯蓄はできるくらいの余裕はある。ことに、ブラジル在住の同胞のために慶賀すべきは、表向きとは別に日本人の植民地に必ず出没して同胞の信用と人気とを失墜させる売春婦が住み着いていないことである。

というわけで、政府において、移民会社に適当な権限と恩典とを与え、一方、文部省方面においては中学程度の諸学校の卒業生に向かって、海外発展の急務を知らせ、他方、移民者へは政府から何らかの形式の下にある奨励(植民補助金のごとき)を特例として支給し、会社には適当な教育のある移民のみを選択するようにさせたならば、ある程度まで、過去に実際にあった外国移民を排斥するか敬遠するような動きにも備えることができるだろう。*

* 明治時代、日本からハワイや米国への移民が増加し、文化や習慣の違いや、仕事を奪われるという不安から、特にアメリカ西海岸の諸都市で排日運動が盛んになっていたことが背景にある。
大成丸の世界周航からほぼ十年後の1924年には米国でいわゆる移民法が成立し、特にアジアや東欧、南欧からの移民が制限された。
日本では「排日移民法」と呼ばれたが、対象は日本人だけではなかった。
低賃金であっても労働意欲のある移民に対する、仕事を奪われると不安にかられた低所得の白人を中心にした排斥運動、という意味合いが強かった。

* * * * * *
練習船・大成丸のブラジル滞在編は、今回で終了です。
次回(一月一日掲載予定)から、いよいよ地球の裏側から帰国する航海――大西洋を南下し、インド洋を渡り、オーストラリアを経て、太平洋を北上する航海――が開始されます。
練習船大成丸の航海は、サンディエゴで船長が失踪するなどの問題はあったものの、航海自体はほぼ順調でした。

青線がこれまでの航跡。赤点線はこれからの航路

この世界周航の最大の試練は、実は、この残りの帰国に向けての航海中に訪れます(赤い点線が大きく湾曲しているところは、、、)。
原著には「惨憺(さんたん)たる航海を続けて」という手書きの文字が、一ページを割いて、わざわざ挿入してあります。いかにしんどかったか、実感が伝わってきます。


[ 戻る ] [ 次へ ]

 

2 thoughts on “現代語訳『海のロマンス』139:練習帆船・大成丸の世界周航記

  1. また重箱の隅になりますが・・・変換ミスが大成丸の航跡図の説明文にありますので。「青船」→「青線」
    「最後の航海」はほんとうに海の厳しさと美しさに満ちているように思われます。

    • いつもありがとうございます。
      修正しました。
      帆船物はフィクションでしか読めない時代になりましたが、
      冒険や航海という言葉は、いつの時代もきらきら輝いている印象があります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です