スナーク号の航海(70) - ジャック・ロンドン著

方位磁石は油断がならない。北以外のあらゆる方向を指して船乗りをだまそうとするのだ。だから空の方角や太陽の方向を知ろうとしても、所定の時間に所定の場所にあるべきものがなかったりする。これが太陽となると大問題で――少なくとも、ぼくの場合は問題になってしまった。自分が地球上のどこにいるのかを知ろうとすると、まず、きっかり同じ時間に太陽がどこにあるのかを知らなければならない。いわば太陽は人間にとってのタイムキーパーなのだが、これが時間通りに動いてくれないのだ。それを知ったとき、ぼくは呆然となり、宇宙は疑問だらけになってしまった。万有引力やエネルギー保存のような不変の法則すら信用できなくなり、妙ちくりんなことを目撃しても驚かないよう心づもりまでした。たとえば、方位磁石が間違った方向を指すと、太陽の軌道も定まらなくなってしまい、互いの関係が失われて意味がなくなってしまう。永久運動だって可能になるし、ぼくははじめてスナーク号に乗船したやり手の代理人から永久機関と評判のキーリーという発明家のモーターを買おうかなという気になったくらいだ。日の出と日の入りは年に三百六十五回ずつだが、地球は本当は一年に三百六十六回自転していると知ったときには、ぼくは自分が何者であるかすら疑ってかかるようになってしまった。

これが太陽の流儀なのだ。とても不規則で、人間が太陽の時間を記録する時計を考案するなど無理な話だ。太陽は加速したり減速したりするので、それに応じた時計を作ることはできない。太陽の運行は予定より早くなることもあれば遅くなることもある。天空を移動するときに、あるはずの位置にいようとして加速して速度制限を破ることもある。早くなりすぎても速度を落として調整したりはしないので、その結果として、やはり位置がずれてしまう。実際、太陽が偶然にも所定の位置にあるというのは、一年のうち四日だけだ。残りの三百六十一日は予定より早かったり遅かったりしている。太陽にくらべれば人間はきちんとしていて、正確な時を刻むための時計を作った。さらに、太陽が予定よりもどれくらい早いのか、あるいは遅れているのかまで計算した。誇り高い太陽の実際の位置と、控えめに言っても太陽が本来あるべき位置との差については、均時差*1と呼ばれている。海上で自船の位置を割り出そうとする航海士は、まずクロノメーターを見て太陽があるはずの場所をグリニッジ標準時に基づいて確認する。それから、その場所に均時差を適用し、太陽があるべきだがない場所を割り出す。この後者の位置を、他のいくつかの位置と合わせれば、海のないカンザス州出身の男でも現在地を知ることは可能になる。

スナーク号は六月六日土曜日にフィジーを出帆し、翌日の日曜には大海原に出て陸は見えなくなった。ぼくはクロノメーターで時間を調べて経度を計算し、子午線観測で太陽の高度から緯度を求めた。午前中にクロノメーターで時間を調べて太陽の位置を確認したが、この午前の天測では、太陽の高度は水平線から二十一度だった。天測暦を見て六月七日当日の太陽が一分二十六秒遅れていることと、一時間に十四・六七秒の割で遅れを取り戻しつつあるのを知った。つまり、クロノメーターでは、太陽の高度を測定した正確な時間はグリニッジで八時二十五分過ぎだったのだが、この日付から均時差を補正するのは小学生でもできる計算だ。だが、残念ながら、ぼくは小学生ですらなかった。正午にグリニッジで太陽が一分二十六秒遅れているのは明白だ。測定時間が午前十一時だったとすれば、太陽はそれから一分二十六秒プラス十四・六七秒遅れだったことになる。午前十時だとすれば、十四・六七秒の二倍を加えればよい。で、実際には午前八時二十五分だったので、三と二分の一かける十四・六七秒を加えなければならない。これははっきりしているのだが、仮に午前八時二十五分ではなく午後八時二十五分だったとすると、八と二分の一かける十四・六七秒を、今度は足すのではなく引かなければならない。また、正午であれば、太陽は予定の時間より一分二十六秒遅れていて、一時間に十四・六七秒ずつ挽回していくのであれば、午後八時二十五分には正午のときよりも本来の時間に近くなってくる。

ここまでは問題ない。が、クロノメーターの八時二十五分というのは午前なのか、それとも午後なのか? ぼくはスナーク号の時計を見た。八時九分を指していた。朝食を終えたばかりで午前のはずだ。だからスナーク号の船上では午前八時だった。クロノメーターの八時はグリニッジの時間に設定してあるので、スナーク号の八時とは別の八時のはずである。となると、どういう八時なのだろう? 今朝の八時ではありえないと、ぼくは論理的に考えた。となれば今日の夕方の八時か昨夜の八時にちがいない。

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スナーク号のボートに乗った南太平洋の美女たち

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南太平洋の住民
自分の頭が底なし沼に入りこんで混乱するのはこの時だ。ぼくらは東経にいる、とぼくは理性的に考える。だからグリニッジより時間は進んでいるはずだ。もしぼくらがグリニッジより遅れているのであれば、今日は昨日ということになる。グリニッジより早いのであれば、昨日が今日であり、昨日が今日ならば、いまの昼間は今日なのだろうか! ──それとも明日なのだろうか? そんなバカな! だが、これで正確なはずだ。ぼくは午前八時二十五分に太陽高度を測定した。グリニッジにいれば昨夜の夕食を終えたところのはずだ。

「では昨日に対して均時差を補正しよう」と、ぼくの論理脳が言った。
「だけど、今日は今日だぜ」と、ぼくの融通のきかない頭が主張する。「昨日じゃなくて今日に対して太陽を補正しなきゃ」
「だけど、今日は昨日なんだ」と、ぼくの論理脳が言い張る。
「わかってるさ、そんなこと」と、ぼくの固い頭が語を継ぐ。「もしぼくがグリニッジにいるのであれば、ぼくは昨日にいる。グリニッジでは奇妙なことが起こるんだ。だが、ぼくは自分が今ここにいるということを知っている。で、今日は六月七日だし、ぼくはここで太陽を補正しなければならない。今、今日、六月七日でね」
「ばかなことを!」と、ぼくの論理脳が反論した。「レッキーによれば──」
「レッキーの言うことなんか気にするなよ」と、ぼくの現実的な頭がさえぎる。「天測暦になんて書いてあるか見てみよう。天測暦は、今日六月七日には、太陽は一分二十六秒遅れており、一時間に十四・六七秒の割で追いついてくる。昨日の六月六日には太陽は一分三十六秒遅れで、一時間に十五・六六秒の割で追いあげていく。わかっただろ、今日の太陽を昨日の時間表で補正しようとするのはバカのすることだって」
「愚か者め!」
「間抜けめ!」
[脚注]

*1: 均時差-真太陽時(目に見える実際の太陽)と平均した計算上の太陽の時間との差。

スナーク号の航海(69) - ジャック・ロンドン著

クロノメーターの誤差については、時間を三十一秒プラスして読みとることで妥協し、ニューへブリデス諸島のタンナ島へ向かった。闇夜で陸地を探しながら進むので、ウーレイ船長のクロノメーターに基づいてスナーク号の位置が七海里ずれていることを念頭においておくことにした。タンナ島はフィジーから西南西に約六百海里のところにあり、これくらいの距離だったら、ぼく程度の航海術でも正確に到着できると思っていたし、実際にも無事に着いたのだが、まず出くわしたトラブルについて話を聞いてほしい。航海術といっても、そうむずかしいわけではない。ぼくはいつも自分の航海術には満足していた。とはいえ、ガソリンエンジン三台と妻一人を抱えて世界一周するとなると、エンジンにはガソリンを補給し続けなければならないし、女房には真珠や火山を見せたりしなければならず、とにかく忙しいので、航海術を勉強する時間などない。しかも、そうした科学の勉強を緯度や経度が変わらない陸上の動かない家でするのならともかく、昼も夜も陸を探しながら動いている船上でやるとなると、まったく予想もしていない悪条件下で陸地を見つけだすはめになったりするのだ。

まず羅針盤で進路を設定する必要がある。ぼくらは一九〇八年六月六日土曜の午後にスバを出たのだが、ヴィティ・レヴ島とムベンガ島の間の狭くて岩礁だらけの航路を通過するころには暗くなった。前方には外洋が広がっている。ちょうど行きたい方向の西南西二十海里ほどのところに突き出ている小さなヴァツ・レイル島を別にすれば、通り道で邪魔になるものはなかった。むろん、その島の八海里から十海里ほど北を通過するよう進路をとれば楽にかわせそうだった。闇夜で、追い風を受けて帆走していた。当直で舵を持つ者には、ヴァツ・レイル島をかわす進路をとるよう命じなければならないのだが、どの角度にすればいいのか? ぼくは航海術の本のページをめくった。「真航路」という記載があった。これだ! 真航路にすればいいんだ。本にはこう書いてあった。

真航路とは、海図上で、船の位置と目的地を結んだ直線と子午線(経
線)のなす角(真方位)である。

知りたかったのはこれだ。スナーク号の現在地は、ヴィティ・レヴ島とムベンガ島の間にある航路の西側の入口だ。とりあえず目指す場所は、海図上でヴァツ・レイル島から北に十海里の地点である。ぼくは海図上のその場所にディバイダ*1の針を突き刺し、そこから平行定規を使って真航路が南西になると割り出した。で、その方位を舵の担当者に告げれば、スナーク号は外洋で問題なく進んでいけるわけだ。
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パウモタンの人々

しかし、そう簡単にはいかなかった。ぼくは続きを読み、航海者にとって永遠の友となるべき信頼できる羅針儀が常に真北を指すとは限らないことを知ってしまったのだ。北の位置が変わるのである。方位磁石は真北より東側を指すこともあれば西を指すこともある。場合によっては北に背を向けて南を指すこともある。これを偏差と呼ぶが、地球上でスナーク号のいる場所では、それは羅針盤の針が示している方角からさらに東に九度四十分の方向になる。つまり、舵をとる者には、それを考慮した方位を進路として伝えなければならないのだ。こう書いてある。

補正した磁針航路(方位)は、真航路に偏差を加減して得られる。

というわけで、羅針盤が真北より九度四十分も東の方を指すのであれば、仮に真南に行きたいとすれば、羅針盤が示す方向から九度四十分ずらした方向に船を向けるべきなのだが、そうなると方位磁石の北は北でなくなってしまう。というわけで、いまは南西に向かうべきなので、羅針盤のその方角から進行方向に向かって左に九度四十分を加えて補正した磁針方位を割り出した。これで外洋に出ても道に迷わないはずである。

とはいえ、まだ問題があった! 補正した磁針方位がコンパスコースになるわけではないのだ。別の小さな悪魔が船の針路を誤らせてヴァツ・レイル島の岩礁にぶつけさせようと手ぐすねを引いて待っているのだ。この小さな悪魔の名を自差という。こう書いてある。

コンパスコースとは舵をとる針路のことで、これは補正した磁針方位   に自差を加減して得られる。

自差とは、船に搭載している羅針盤の針の指す方向が船上の鉄の配置に影響されてずれてしまうことだ。これは船ごとに癖があって違っている。スナーク号では、標準として使用する方位磁石の自差を示したカードが用意されていて、それを見ながら補正した磁針航路に自差の分を加減して進むべき方位を導き出す。が、それだけではすまなかった。スナーク号で標準として使用する方位磁石は、コンパニオンウェイ*2の中央に設置されていた。操舵用の方位磁石は船尾のコクピットで舵輪のそばにあった。操舵用の方位磁石が西微南四分の三南*2を指しているとき、標準の方位磁石の方は、そこから西二分の一北にずれた方向を指していた。標準の方位磁石の指す方向が操舵用方位磁石の角度とは違っているのだ。ぼくはスナーク号の向かう方向を標準の方位磁石の指す方向から西微南四分の三南に向かうようにした。そうすると、操舵用方位磁石では南西微西になる*3。

進路を決めるための針路の設定とは、こうした一連の単純な操作でできている。面倒なのは、そうした正しい手順をずっと続けていかなければならないということなのだ。でないと、快適な夜間航海中に「前方に岩!」と誰かが叫ぶのを聞いたり、サメがうようよしている海に飛びこんで海岸まで泳いでいくはめになったりするわけだ。

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フィジー諸島のスバに停泊しているスナーク号

訳注
*1:ディバイダ - 海図で距離を測る道具。製図用のコンパスのような形をしているが両先端とも針がついている。

*2:コンパニオンウェイ-甲板から船室に降りていく出入口。

*3:方位(方角)を示す場合、東西南北の360度を十六分割して、北から時計回りに北北東、北東、東北東、東と22.5度ずつに区切っていくのが普通だが、それをさらに細かくしたものを微で示し、さらにそれを四分割して四分の一南といった表現を加える。現代では北を0度、東を90度、南を180度、西を270度というふうに度で示すのが一般的。

目標が見えない大海原では、羅針盤(=方位磁石、コンパス)の示す磁針方位を参考にして方角を判断するが、やっかいなのは、本文にもあるように、方位磁石の針の示す北が実際の北とは限らないこと。
理論的には、地球上のあらゆる地点で北に向かう線はすべて北極点(真方位の北、地球の自転軸の延長上)に集まるはずだが、実際には、磁石が示す北は北極点から少し離れたところにある。これを磁北という。
だから船で方角を示すときは、真方位なのか磁針方位なのかをはっきりさせておく必要がある。磁北が真北からどれくらいずれているかを偏差といい、これは地球上の地域によって、東にずれたり西にずれたりする。
現在の海図には、その海域の真方位と磁針方位の両方を示したコンパスローズ(羅針図)が印刷されているが、同じ場所の偏差といっても年ごとに少しずつ変化しているため、その分の計算も必要になる。
方位角の問題では、偏差だけではなく、自差も考慮しなければならない。
船に鉄などの金属が使ってあれば、方位磁石はその磁力の影響を受けるため、そのズレについても、あらかじめ調べておかなければならない。
細かいことをいうと、同じ船が同じ場所にあっても、船首がどの方角を向いているかで自差は変化する。さらに、船内に方位磁石が二個あれば、その置かれた場所でも自差は違ってくる。
そうしたことをすべてわきまえた上で進むべき方向を指示するのが航海士というわけで、GPSのない時代に航海士として一人前とみなされるまでには高いハードルがあった。

スナーク号の航海 (68) - ジャック・ロンドン著

第十四章

アマチュア航海士

世の中にはたくさんの船長がいるし、信頼できる立派なキャプテンがいるのも承知している。が、スナーク号の船長となると話は別だ。ぼくの経験では、小型船で一人の船長の面倒をみるのは、赤ん坊二人の世話をするより手がかかる。むろん、これは想定の範囲だ。優秀な人材にはそれに応じた立場というものがあるし、一万五千トンの船を操船できるのに、スナーク号のような十トンそこそこの小舟の船長の仕事を選ぶなんて人がいるはずもない。スナーク号では海辺で航海士を募集したのだが、そんなことで集められる人材が役立たずなのは当たり前だ。二週間も大海原にある島をめがけて航海したあげく見つけられず、そのまま戻ってきて、目当ての島は住民もろとも沈んでしまったと報告したり、海の仕事につきたいという渇望だけが先走って仕事にありつく前にお払い箱になるような連中ばかりだ。

スナーク号では、これまでに三名の船長を雇った。神のご加護か、四人目はもういらない。最初の船長は年をとりすぎて、ブームジョー*1の寸法を船大工に伝えることもできなかった。もうろくしていて、まったく使いものにならず、バケツで海水をくんでスナーク号の甲板に流すよう乗組員に命じることもできなかった。錨泊していた十二日間というもの、熱帯の太陽の下でほったらかしになった甲板はかわききってしまい、新調したばかりの甲板をコーキングし直すのに百三十五ドルもかかった。二人目の船長は怒ってばかりいた。生まれながらの怒りん坊なのだ。「パパはいつも怒っている」とは、血のつながっていない息子の言だ。三人目の船長は意地が悪く、性格がねじ曲がっていた。真実は言わず正直でもなかった。フェアプレーや公平な扱いというものにはほど遠く、あやうくスナーク号をリングゴールド島で座礁させかけた。

この三人目で最後の船長を放逐したぼくは、また自分でやることにした。またもや素人ながら航海士に復帰したのだが、それはフィジー諸島のスバでだった。そのことについては、前に最初の船長の指揮下でサンフランシスコを出たときの話として書いたことがある。そのとき、スナーク号は海図上でのこととはいえ、いきなり大跳躍をしてしまったのだ。何が起きたのか理解できるまで大変だった。要するに、船長が現在位置を正確に測定できず、海図上で船を二千百海里も先に進めてしまっていたのだ。ぼくは航海術については何も知らなかったが、何時間かかけて本を読み、六分儀を三十分ほど使って練習しただけで、太陽の南中高度の観測でスナーク号の緯度と経度を知ることができた。等高度法*2という簡単な方法を使ったのだが、これは精度が落ちるし、安全な方法とも言えないのだが、ぼくの雇った船長はそれで航海しようとしていたのだ。その方法は避けるべきだとぼくに教えてくれる人がいるとすれば、それは彼しかいなかったのだが、そう教えてはくれなかった。ぼくはなんとかスナーク号でハワイまでたどりついたが、これは条件に恵まれていたのだ。太陽は北よりだが、ほぼ真上にあった。経度を確かめるためにクロノメーター*3を使う観測方法について、ぼくはそれまで聞いたことがなかった。いや、聞いたことはあったが、一番目の船長はそれについてはあいまいにしか語らなかったし、練習で一、二度やってみて、その後はやらなかったのだ。

フィジーで、自分のクロノメーターを別の二つのクロノメーターと比べる機会があった。二週間ほど前、サモアのパゴパゴで、ぼくはスナーク号のクロノメーターとアメリカの巡洋艦アナポリス号のクロノメーターを比べてみるよう船長に頼んだ。船長はやったと言ったが、むろんやってはいなかった。しかも、差はコンマ数秒にすぎなかったと抜かしたのだ。この時計はすばらしいと大げさに絶賛までした。また繰り返しになるが、船長がすばらしいと言ったのは、恥知らずの嘘っぱちだったのだ。その十四日後、ぼくはスバでオーストラリアの蒸気船アトゥア号のクロノメーターと比較したのだが、ぼくらの時計の方が三十一秒も進んでいた。三十一秒を地球の表面を円弧にみたてて距離に換算すると七と四分の一海里(約十三・五キロ)にもになる。つまり、もし夜中に西に向けて航海していたとして、夕方にクロノメーターを使って位置を確認してから、水平線の見えない夜間は船の進行方向と速度で推測するデッドレコニング法で現在位置を推定し、陸地から七マイル沖にいると思ったら、なぜかまさにその瞬間に岩礁にぶつかりそうになってしまった、ということなのだ。その後、ぼくは自分のクロノメーターをウーレイ船長のクロノメータと比べてみた。ウーレイ船長はスバの港長で、週に三度、正午に銃を撃って知らせてくれる。それによれば、ぼくのクロノメーターは五十九秒も進んでいた。つまり、西に航海していて岩礁から十五マイルも沖にいると思っていたら当の岩礁にぶつかってしまったという事態になるわけだ。

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タヒチの有名な「ブルームロード」

翻訳メモ
*1:ブームジョー-帆の下縁を張るための帆桁(ブーム)がマストと当たる受け部。
*2: 等高度法(Equal Altitudes)-GPSがない時代に六分儀を使用して太陽の南中高度を知るための簡易位置測定法の一つ。
*3: クロノメーターは、航海で位置を確認するために必要なきわめて正確な時計のこと。

————————————————————— 補足 ——-—————————————————
ヨットのような小型船では、太陽が真南にきたとき(その場所での正午)に太陽の水平線からの高さ(角度)と時間を測って緯度経度を割り出すことが多い(子午線高度緯度法)。

太陽が真南(子午線上)にきた瞬間を正確に知るのはむずかしいので、その少し前に太陽の高さを測っておき、真南を通過してまた同じ高さ(等高度)になった時間がわかれば、ちょうどその中間が正午ということになる(等高度法)。

太陽が子午線上(真南)に来たときがその場所での正午ということになるので、航海用の正確な時計(クロノメーター)でグリニッジ標準時(経度0度)との時間差がわかれば経度が計算できる(1時間=15度)。

緯度については太陽が赤道上にある春分と秋分の日は「緯度=90度-正午の太陽高度」になるが、太陽は季節により北や南に移動するのでその分を補正しなければならない。そのための暦や計算表もある。

六分儀と天文暦などを使って位置を計算する天測術については、帆船時代までさかのぼらなくても、ほんの少し前までヨットの航海では必須の知識だった(日本では漁船用の簡易的な方法が用意されていたし、一級小型船舶操縦士の実技試験にも六分儀を使って位置を出す課題が含まれていた)。この知識があるかないかで、航海記のおもしろさが違ってくるので、こちらでも、いずれ整理して紹介する予定。

スナーク号の航海 (67) - ジャック・ロンドン著

現地人の牧師が釣りがうまくいくよう祈りをはじめると、皆、かぶりものをとった。次に漁労長とでもいう立場のリーダーがカヌーを割り当てて場所を指示する。皆、カヌーに乗りこんで出発した。とはいえ、女たちは、ビハウラとチャーミアンを除けば、誰もカヌーには乗らなかった。かつて女たちも刺青を入れていたものだったが、この漁では女たちは後に残り、水中に並んで足で魚をとめる柵になる役割だ。

浜には大型のダブルカヌーが残されていた。ぼくらは自分たちの舟に乗った。カヌーの半分は風下の方へ漕いでいった。ぼくらは残りの半分と共に一マイルほど風上へ向かい、そこで岩礁に達した。両者の中央にリーダーのカヌーがあった。リーダーが立ち上がる。体格のいい老人で、手に旗を持っている。カヌーの位置を指示し、ホラ貝が吹きならされ、その合図で、二手に分かれたカヌーが整列した。準備が整うと、彼は旗を右に振った。そっち側のカヌーすべてで石が投げられ、一斉に水しぶきがあがった。投げた石をたぐりよせる。石が水面下に沈むか沈まないかのうちに、間髪を入れず、旗が左に振られた。すると左側の海面で、すべての石が一斉に海面を打った。それが繰り返される。投げては引き上げ、右で投げては左で投げる。旗が振られるたびに、礁湖の海面に長く白いしぶきの線が描かれていく。同時にパドルを漕いでカヌーを前へ進める。こっちでやっているのと同じことが、一マイル以上離れた反対側でも行われていた。

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漁師の一人

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囚人たちに漕がせているボラボラ島の憲兵

ぼくの乗った舟の舳先では、タイハイイがリーダーを凝視しつつ他の連中と調子をあわせて石を操っていた。一度、石がロープから外れて落ちた。その瞬間、タイハイイはそれを追って海に飛びこんだ。石が海底に達するかしないかのうちに拾い上げ、舟の横の海面に浮き上がった。近くのカヌーでも同じようなことが何度か起きるのを目撃したが、いずれも投げ手自身が石を追いかけて飛びこみ、すぐに回収して戻ってきた。

岩礁の端に近いラインの両側でカヌーのスピードが増した。それに対して、浜に近い方では速度を出していない。二手に分かれていたカヌーの列は少しずつ円形になっていく。すべては、油断なく目を光らせているリーダーの監督下で行われていた。そうしてできたカヌーの輪が縮まりはじめる。かわいそうに、驚いた魚たちは海面をざわつかせながら猛スピードで浜の方へ向かった。ゾウだって、同じような方法で、丈の高い草むらにしゃがんだり木の背後に隠れたりしているちっぽけな人間がたてる奇妙な物音に驚かされてジャングルから駆りてられるのだ。人が並んでつくった足の柵はすでにできあがっていた。礁湖の穏やかな海面に、女たちの頭が長い線を描いているのが見えた。浜辺の近くに残っている者もいたが、それは例外で、背の高い女ほど沖側に出る形で、ほとんど全員が首まで海中につかっていた。

カヌーの輪はさらに狭められ、カヌー同士が触れあうほどになった。そこで一呼吸あった。長いカヌーが浜から飛び出してきて、輪に沿って進んだ。懸命に漕いでいる。船尾で、一人の男がココナツの葉を編んだ長く連続した幕のようなものを投げ入れていく。カヌーはもう不要になったので、男たちも海に飛びこみ、魚が逃げないように足で柵をつくった。幕は幕であって網ではないので、魚は逃げようとすれば逃げられるはずだ。だからこそ足で幕を激しく動かし、両手では海面をたたいて白濁させ、奇声を上げる必要がある。輪が縮められていくにつれて、魚は大混乱に陥るのだ。

とはいえ、今回は海面上に飛び出したり足にぶつかってくる魚はいなかった。しまいに漁労長自身が輪の内側に飛びこみ、あちこちを探って歩いた。が、一匹の魚も浮いてはこず、飛び上がって砂浜に落ちるのもいなかった。一匹のイワシもいないし、小魚もいなければ、オタマジャクシのようなものすらいなかった。あの大漁祈願に何か不都合があったに違いない。あるいは誰かがぶつぶつ文句を言っていたように、風がいつものように斜め後ろから吹いてなかったので、魚はどこか別のところにいたのだろう。いずれにしても、追い立てるべき魚の姿がまったくないのだ。

「こんな失敗も五回に一回はあるよ」と、アリコットがぼくらをなぐさめた。

そう、ぼくらがボラボラ島までやってきたのは、この石の漁のためだったし、その五回のうちの一回に遭遇したというのが、ぼくらの運だったわけだ。事前福引のようなものだったら逆になっていたはずだ。悲観論を言っているのではないし、世の中はこうしたものだという開き直りでもない。これは、ただ単に一日努力して徒労に終わったときに多くの漁師が抱く感情にすぎない。

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ぼくらには、こういう魚は捕らえられなかった