現代語訳『海のロマンス』4: 練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

著者が乗船した帆船、大成丸

  • 四本マストのバーク型帆船
    ・総トン数:2439.97トン
    ・全長:277フィート(約92メートル)
    ・幅:43フィート(約14メートル)
    ・喫水:24フィート(約8メートル)
    ・総帆面積:27000平方フィート(約3000平方メートル)
    ・乗組員数:178人

第一章  さらば富士山

出帆前後

帆船乗りたちは、白い船体と高いマストを持っている練習船・大成丸を「花魁(おいらん)船」と呼び、品よく並んだ細いヤードを「かんざし」と言っている。
「越中島の子供」たちが喜んでうたう歌に

沖のカモメと商船校の生徒
どこのいずこで果てるやら

というのがある。

波に生まれて波に死ぬのは、あながち海のカモメばかりではあるまい。流れ藻に三月の春を知り、潮の香に錦繍(きんしゅう)の秋を知る、世の中で最も「男らしい生業」だと歌われている船乗りは、居住する場所すら定めていないカモメの、何ものにも拘束されることのない生活をこい願っている。

「カモメ」こそは、本当に「花魁(おいらん)船」にふさわしく、やさしい名前だ。花魁(おいらん)船は、今は多くの「カモメ」が群れつどい化粧したようになっている。

四百日余、四万海里の大航海の準備はすべて終え、大成丸は静かに品川埠頭に浮かび、
「さらば!」とばかりにほとばしる叫び声と、振られるハンカチと、輝くパラソルとを待つのみとなった。

今宵(こよい)は月もおぼろで、海風が涼しく、静かで心地よい夜だ。一人黙々と船首楼に立って、心ひそかに、一年半の後でなければ再び上陸できないわが品川に最後の別れを告げる。今宵に限って、とりわけて赤い品川の港の灯火と、とりわけて青黒い大盛りの山の影とを見つめていれば、知らず知らず熱い涙が目の縁を伝わってくる。

さらば情趣ある灯火の港、品川よ
さらば常に緑かぐわしき大森の松よ

そうして最後に、素朴なる品川の名物船頭、猪(い)のさんよ、

さらば、さらば、さらば!!

こうして「感慨の夜」は明け、はるか三海里の遠方から三百人の「越中島の子供」が、大成丸を見送るべくやってきた。十四隻のボートからあふれ出る大声の挨拶と、「ボンボヤージ」の歓声とに送られて、練習船・大成丸は七月六日午後二時半、、品川の海で抜錨し、同五時に無事に横浜に着いた。

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現代語訳『海のロマンス』3:  ルート&目次

海のロマンスの航海したルートと目次です。

世界周航の航海ルート

航海ルート_01

目 次

さらば富士山
出帆前後
砂とりと水泳
練習生の船内生活
水夫長と木工
美しきサンゴの墓
さらば富士山
帆船のロマンス
総帆をひらいて
船中の音楽と雌猫
風下当番、舵手、見張り
草の枕も結ばねば
カツオ釣り
霧中号角(むちゅうごうかく)
陣風(じんぷう)
ああ七月三十日
帆つくろい
七檎七縦(しちきんしちしょう)の妙計
無線電信
水の上で水の苦労
小さきホーム
人食い魚きたる
海洋の変化
けたたましき警鐘
有人情と非人情
アンクルサムと彼の郷土
サンディエゴ入港
手紙とミカン
お世辞しばり
サンディエゴの名物
船長、船に帰らず
先帝をしのびたてまつる
山田運転士の客死
欣葬遙拝式(きんそうようはいしき)
都市の飾り人形
海軍士官の逃亡
アメリカ女
仮面の使人
うぬぼれ挑発策
ヘレン嬢の信仰
邦人の懐郷病
闘牛見物
湖畔行き
ミセス・ホラハン
グラスカッター
ローマランドの一日
ラモナの話
世界一のテントシティー
サンディエゴ出帆
百十七日陸を見ず
沿岸風帯より貿易風帯へ
無風帯
アホウドリを釣る
赤道通過
島物語
咆哮(ほうこう)緯度
クリスマスイブ
餅つき
氷山の見張り
南極の元旦
海上の墓場
ケープホーンからケープタウンへ
南アの南端
ケープタウン入港の第一印象
ロンドン行き中止
予定航路の変更
しゃくにさわるケープタウン
テーブルマウンテン
連邦下院参観
やかましい選挙法案
フルーツカー(セシルローズを思う)
ケープタウン雑記
セントヘレナ
セントヘレナまで
五十年前の追憶
物語の島
奈良の妹から
その土を踏んで
南海の巨人
セントヘレナ奪取法
ミセス・ブリッチャー
おそろしきローラー
とり残された孤島
ナポレオンの墓
ロングウッドの館
ナポレオン臨終の室
館を振り返って
ああ、ボナパルト将軍
花雫せよ、沈黙の谷
セントヘレナの決別
鹿と亀とカメレオン
寂漠をなぐさめてくれる花と動物
上甲板の鹿
カメレオンの独り言
荷物倉の亀
南大西洋のサメ釣り
南米の美都
世界三景の一
港口の怪具足
蛍貌の韻、訣舌の調べ
雨のサンパウロ
埠頭の浮浪者
リオデジャネイロの美観
オピドールのカフェ
白川大路の美人
美術館のまがい物
活動写真と国民性
富くじ合衆国
事前救済の設備
リオ市民の特性
ペトロポリス行
あわれテラノバ
プレジデントメーカー
下院議員の日給
南米に向いている商品
三十二億円の借金
ブラジルは移民を欲す
惨憺たる航海を続けて
南大西洋の秋
時化(しけ)物語
おそろしい一夜
陣風と虹
喜望峰付近の天候
級友二人を失う
フリーマントル
南洋より故国へ
南洋の日没美
美しい果実がみのる南洋の島
赤道をこえて
ほほえみて泣く
あれ芙蓉峰が
鏡ヶ浦の抱擁
帰山の途
土産話

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現代語訳『海のロマンス』2: 練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼたちお)著

[著者 はしがき の続き]

   (三)

『海のロマンス』には、これぞと思う取り柄(とりえ)がない。

ただあるとすれば、米の値段を知らない風来坊が、浮き世となんら関係のない極端な非人情のことを長々とのんきに書きまくった、その気楽さを味わうくらいである。二つの世紀と三つの内閣とを送迎した日本の「陸の人」から見れば、実にふざけた戯言(たわごと)であるかもしれない。しかし、僕はこれが『海のロマンス』の取り柄であると思う。読む人が、うらやましくて、ついよだれがという、そういう境遇ではあると思う。

百二十日、ほぼ四ヶ月の間、口から空気と麦飯とを放り込んで、手にブレースたこ*1をこしらえる以外に、浮き世の規範も情実も義理もヘチマも度外視した無刺激な生活!! 金の「か」の字も心頭にのぼってこない気楽な生活!! いまから考えてみると、こんな月日は二度と世界のどこにも、一生涯のどこにもあるまいと思う。

(四)

東西の両朝日新聞*2に掲げられた断片的な『周航記』が一つのまとまった『海のロマンス』となったのは、まったく先輩の薄井秀一氏の友情ある犠牲的努力によるので、十月十八日に下船して、さらに十一月十六日に横須賀の砲術学校に派遣される……などと大騒ぎにせわしなかった自分のみであったならば、とうていこんな単行本はできなかったことと、心より感謝の念を捧げる。

(五)

また、この機会を利用して、序文をくださった夏目漱石先生、渋川玄耳(しぶかわげんじ)先生、鳥居素川(とりいそせん)先生、杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)先生に甚大なる謝意を表する*3。

横須賀楠ケ浦寄宿舎において

米窪太刀雄(よねくぼたちお)

大正三年一月中旬

脚注
*1 ブレースたこ: 帆船で横帆をつるす帆桁(ほげた)をヤードと呼び、ブレースはその両端につけたロープを指す。
このブレース(ロープ)を引いて帆の角度を調節するため、手にたこができる。

 

*2 東西の両朝日新聞: 明治12年(1879年)に大阪朝日新聞が創刊され、その後、東京にも進出して東京朝日新聞が発行された。両者が「朝日新聞」として統合されたのは昭和15年(1940年)。

 

*3 序文: 連載1で、漱石の序文のみをご紹介しましたが、渋川、鳥居、杉村の三氏も当時の著名人で、序文を書いています。
この三氏の序文は、連載の最後に掲載する予定です。

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新連載 現代語訳 『海のロマンス』 練習帆船・大成丸の世界周航記

今年はじめの新連載として、口語訳『海のロマンス』(米窪太刀雄著)をお届けします。

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この本は、商船学校の学生だった米窪太刀雄(よねくぼたちお)が商船学校の練習船・大成丸に乗船し、二年間をかけて世界一周したときの航海記です。

これはまず朝日新聞に連載され、夏目漱石が激賞したこともあって、出版されるやベストセラーになりました。

とはいえ、賞賛すると同時に、漱石は自分が『吾輩は猫である』を書いたときの文章に似て作者が悪達者にも思えるので、あまり「玄人っぽくなりすぎないように」と親身な忠告も与えています。

著者の簡単な紹介は末尾に記載します。
まずは、夏目漱石の愛情あふれる序文からお読みください。

現代語訳『海のロマンス』  1

米窪太刀雄 著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活文

夏目漱石の序文

 あなたの回航日記は、海を知らない人にとって、興味の深いものであります。また有益なものであります。私は『海のロマンス』という表題の下にこの回航日記が公にされるのを喜んでおります。

 概していうと、文筆は陸の仕事です。陸にいて海を書くコンラッドのような人はありますが、船にいて海の生活をその日その日に写していった人はあまりないと思います。それも暇のある人が道楽にならやれるかもしれませんが、あなたのように練習に忙しい身で、朝夕仕事に追いかけられながら、疲れた手にペンを持つことを毎日忘れずに何百日もやりとおすということは、とうていできる業ではありますまい。この点において、あなたの文章は他の人のそれよりもはるかに骨の折れた努力を示しています。この点において、たしかに世間に紹介される価値があると思います。

 あなたは普通の人にできないことをなすったのです。おかげで普通の人に知れないことを公にする機会を得たのです。今度の帆走は約四百日で三万六千海里(約6万4千キロ、地球を一周半できる距離)を走ったのだそうですが、この未曾有の回航中に含まれている暴雨だの時化(しけ)だの、波の山だの、雲の塊だの、陸では百年たっても見ることのできないものが、ただあなたの忍耐で握られたペンの先からのみ湧いて出たとすれば、あなたも嬉しいでしょう。陸にいるものも嬉しいのです。島国と名はついていても海の生活を知らない日本人はいくらでもいます。知らないで知りたがっている人もたくさんあります。あなたは、そういう人にケープタウンや、リオ・デ・ジャネイロやフリーマントルから、よい土産を携えて帰ってきたといわなければなりません。

 あなたの文章は才筆です。少しのよどみもなく、お手際はほとんど素人(しろうと)らしくありません。よくあの忙しい練習船のうちで、このくらいに念入りの文章が書けるかと思うと感服せずにはいられません。しかし、そこにあなたの弱点の潜んでいることを忘れてはなりません。あなたの筆は達者すぎます。あなたは才にまかせて書きすぎました。素人らしくないと同時に、少し玄人(くろうと)くさくなりました。私はあなたの文を読んで、なにゆえ延ばす一方にのみ走らないで、縮める工夫に少し頭を使わなかったかを遺憾に思うのです。あなたの文章は、私がむかし書いたものの系統をどこかに引いています。それが、私にはなおさら辛いのです。人の文章が自分の文章の悪いところに似ている。私にとって、これほど面目のないことはありません。私は「猫」を書いて何遍か後悔しました。そうして、その後悔の過半は「猫」らしい文を読んだときに起こったのです。あなたが私の文章を真似たといっては失礼です。しかし、私の文章の悪いところがあなたの文章にもあるということは疑いもない事実です。私はその後、自分の非を改めたつもりです。あなたも今度第二の『海のロマンス』を書くときには、どうぞ私の忠告を利用して、素人離れのした、しかも玄人じみない筆づかいで純粋なものを書いてください。

大正二年十二月二十日

夏目漱石

太刀雄 様

はしがき

(1)

今年の秋十月、ともかくも無事「世界周航」なるものをすまして帰朝したとき、一人の男がたずねて、
「君はあんなものを書いたが、いったい船乗り生活が面白いのか」と。
たずねた男の鋭い眼光には「やせ我慢はゆるさないぞ」という閃きがあった。

ぼくは当惑した。大いに当惑したぼくは、
「いや大いに不平がある」を答えざるをえなんだ。
そうして黙っていればよいのに、生意気にも、
「船乗りは嫌いだが、海洋(うみ)は好きだ。人間は嫌いだが自然は好きだ。白いきれいな雲の往来と赤い雄々しい太陽の出没とを眺めくらして、蒼茫(そうぼう)たる大洋(うみ)の真ん中に首だけ出して見ていたい」
などと古くさいことを長々と付け足した。

こしゃくな! とばかりに、その男はカラカラと笑った。口が干上がるのをおそれながらも、なおデイドリームにあこがれエヤキャッスルを築く*1笑止な男だと心ひそかに笑ったのか、嘘をつけ、いまの船乗りの意識と情操とを濾過(ろか)してくる海洋(うみ)の景象に、海のロマンスというべきものがあるのかと笑ったのか、いまだにそれはわからない。

このはしがきを読んで、その男は今頃どこやらで、またはカラカラと声高く笑っているだろう。その笑い声を聞きたいようでもあり、また聞きたくないようでもある。

(2)

『海のロマンス』は、商船学校練習船大成丸乗り組みの一学生が、明治四十五年七月から大正二年十月にわたる十五ヶ月、三万六千海里の大航海の間に、感じたこと、見たこと、聞いたことを、船務の余暇にそこはかとなく書きつづったものである。
その昔ただ海洋美とか、雲濤美(うんとうび)とか、または海洋精気(オーシャンスピリット)とかにあこがれて美しい着物を着て喜ぶ小児のようにただわけもなく、うっかり入校したその男は、船乗り生活の苦しいつらい非情緒的現実的の将来を覚知すると同時にそろそろ不平や悲観や失望を味わうようになった。

この心理は彼が練習船の人となって二年間の海上生活を送るようになったときに至るまで、この正直な男の頭脳(あたま)を悩まし、心にたたった。

このとき、この男の手元へ一本の手紙がとびこんだ……船乗りは最も男らしい生業だとか……今度の航海は空前無比の世界的大航海だとか……いろいろの扇動的辞令があった。

「正直な男」は首をかしげて「なるほど、そんなものかなあ」とつぶやいた。そんなに偉い生業なら悲観するにもあたらない。そんなに偉い航海なら、こいつを一つ新聞に書いてさらにほめられてやろうとと決心した。

『周航記』が東京朝日に現れたのは、こんなつまらぬ動機からである。
「彼」とか「その男」とかいうのは、かく申す拙者(せっしゃ)である。

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脚注
*1: デイドリームは白日夢や空想、エヤキャッスルは空中楼閣を意味する英語で、いずれも現実離れをしているという意味が込められています。作者はしきりに横文字を使いますが、よくいえば血気盛んな若者の意気込みの表れ、悪くいえば漱石のいう「達者すぎる/才にまかせて書きすぎる」ことにつながるのかもしれません。

米窪太刀雄(よねくぼたちお): 本名 米窪満亮(よねくぼ みつすけ)
1888年(明治21年)~1951年((昭和26年) 労働運動家で政治家
長野県生まれ。東京高等商船学校(東京海洋大学)卒業。在学中、訓練航海について書いた『大成丸世界周遊記』が朝日新聞に連載され、『海のロマンス』として単行本化されベストセラーに。日本郵船に入社。船長等を経て、船舶業務に従事する者の待遇改善運動から政治の世界へ。労働省の初代労働大臣。

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著作権について
2018年12月30日に環太平洋連携協定(TPP)が発効したことにより、日本の著作権保護期間は50年から70年に延長されました。

単純に考えると、「保護期間の50年は経過しているが、まだ70年にはなっていない2018年12月30日より前に著作権が切れていた」著作物はどうなるのかが問題になりますね。

有名な青空文庫などでは、半数近くがこれに該当するので注目されていましたが、結局、

この保護期間延長は、TPP11の発効日以降に50年の保護期間が切れる著作物にのみ適用され、発効日前にすでに著作権が切れていた著作物の「権利が復活することはない」ようです。

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