現代語訳『海のロマンス』2: 練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼたちお)著

[著者 はしがき の続き]

   (三)

『海のロマンス』には、これぞと思う取り柄(とりえ)がない。

ただあるとすれば、米の値段を知らない風来坊が、浮き世となんら関係のない極端な非人情のことを長々とのんきに書きまくった、その気楽さを味わうくらいである。二つの世紀と三つの内閣とを送迎した日本の「陸の人」から見れば、実にふざけた戯言(たわごと)であるかもしれない。しかし、僕はこれが『海のロマンス』の取り柄であると思う。読む人が、うらやましくて、ついよだれがという、そういう境遇ではあると思う。

百二十日、ほぼ四ヶ月の間、口から空気と麦飯とを放り込んで、手にブレースたこ*1をこしらえる以外に、浮き世の規範も情実も義理もヘチマも度外視した無刺激な生活!! 金の「か」の字も心頭にのぼってこない気楽な生活!! いまから考えてみると、こんな月日は二度と世界のどこにも、一生涯のどこにもあるまいと思う。

(四)

東西の両朝日新聞*2に掲げられた断片的な『周航記』が一つのまとまった『海のロマンス』となったのは、まったく先輩の薄井秀一氏の友情ある犠牲的努力によるので、十月十八日に下船して、さらに十一月十六日に横須賀の砲術学校に派遣される……などと大騒ぎにせわしなかった自分のみであったならば、とうていこんな単行本はできなかったことと、心より感謝の念を捧げる。

(五)

また、この機会を利用して、序文をくださった夏目漱石先生、渋川玄耳(しぶかわげんじ)先生、鳥居素川(とりいそせん)先生、杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)先生に甚大なる謝意を表する*3。

横須賀楠ケ浦寄宿舎において

米窪太刀雄(よねくぼたちお)

大正三年一月中旬

脚注
*1 ブレースたこ: 帆船で横帆をつるす帆桁(ほげた)をヤードと呼び、ブレースはその両端につけたロープを指す。
このブレース(ロープ)を引いて帆の角度を調節するため、手にたこができる。

 

*2 東西の両朝日新聞: 明治12年(1879年)に大阪朝日新聞が創刊され、その後、東京にも進出して東京朝日新聞が発行された。両者が「朝日新聞」として統合されたのは昭和15年(1940年)。

 

*3 序文: 連載1で、漱石の序文のみをご紹介しましたが、渋川、鳥居、杉村の三氏も当時の著名人で、序文を書いています。
この三氏の序文は、連載の最後に掲載する予定です。

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