新連載 現代語訳 『海のロマンス』 練習帆船・大成丸の世界周航記

今年はじめの新連載として、口語訳『海のロマンス』(米窪太刀雄著)をお届けします。

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この本は、商船学校の学生だった米窪太刀雄(よねくぼたちお)が商船学校の練習船・大成丸に乗船し、二年間をかけて世界一周したときの航海記です。

これはまず朝日新聞に連載され、夏目漱石が激賞したこともあって、出版されるやベストセラーになりました。

とはいえ、賞賛すると同時に、漱石は自分が『吾輩は猫である』を書いたときの文章に似て作者が悪達者にも思えるので、あまり「玄人っぽくなりすぎないように」と親身な忠告も与えています。

著者の簡単な紹介は末尾に記載します。
まずは、夏目漱石の愛情あふれる序文からお読みください。

現代語訳『海のロマンス』  1

米窪太刀雄 著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活文

夏目漱石の序文

 あなたの回航日記は、海を知らない人にとって、興味の深いものであります。また有益なものであります。私は『海のロマンス』という表題の下にこの回航日記が公にされるのを喜んでおります。

 概していうと、文筆は陸の仕事です。陸にいて海を書くコンラッドのような人はありますが、船にいて海の生活をその日その日に写していった人はあまりないと思います。それも暇のある人が道楽にならやれるかもしれませんが、あなたのように練習に忙しい身で、朝夕仕事に追いかけられながら、疲れた手にペンを持つことを毎日忘れずに何百日もやりとおすということは、とうていできる業ではありますまい。この点において、あなたの文章は他の人のそれよりもはるかに骨の折れた努力を示しています。この点において、たしかに世間に紹介される価値があると思います。

 あなたは普通の人にできないことをなすったのです。おかげで普通の人に知れないことを公にする機会を得たのです。今度の帆走は約四百日で三万六千海里(約6万4千キロ、地球を一周半できる距離)を走ったのだそうですが、この未曾有の回航中に含まれている暴雨だの時化(しけ)だの、波の山だの、雲の塊だの、陸では百年たっても見ることのできないものが、ただあなたの忍耐で握られたペンの先からのみ湧いて出たとすれば、あなたも嬉しいでしょう。陸にいるものも嬉しいのです。島国と名はついていても海の生活を知らない日本人はいくらでもいます。知らないで知りたがっている人もたくさんあります。あなたは、そういう人にケープタウンや、リオ・デ・ジャネイロやフリーマントルから、よい土産を携えて帰ってきたといわなければなりません。

 あなたの文章は才筆です。少しのよどみもなく、お手際はほとんど素人(しろうと)らしくありません。よくあの忙しい練習船のうちで、このくらいに念入りの文章が書けるかと思うと感服せずにはいられません。しかし、そこにあなたの弱点の潜んでいることを忘れてはなりません。あなたの筆は達者すぎます。あなたは才にまかせて書きすぎました。素人らしくないと同時に、少し玄人(くろうと)くさくなりました。私はあなたの文を読んで、なにゆえ延ばす一方にのみ走らないで、縮める工夫に少し頭を使わなかったかを遺憾に思うのです。あなたの文章は、私がむかし書いたものの系統をどこかに引いています。それが、私にはなおさら辛いのです。人の文章が自分の文章の悪いところに似ている。私にとって、これほど面目のないことはありません。私は「猫」を書いて何遍か後悔しました。そうして、その後悔の過半は「猫」らしい文を読んだときに起こったのです。あなたが私の文章を真似たといっては失礼です。しかし、私の文章の悪いところがあなたの文章にもあるということは疑いもない事実です。私はその後、自分の非を改めたつもりです。あなたも今度第二の『海のロマンス』を書くときには、どうぞ私の忠告を利用して、素人離れのした、しかも玄人じみない筆づかいで純粋なものを書いてください。

大正二年十二月二十日

夏目漱石

太刀雄 様

はしがき

(1)

今年の秋十月、ともかくも無事「世界周航」なるものをすまして帰朝したとき、一人の男がたずねて、
「君はあんなものを書いたが、いったい船乗り生活が面白いのか」と。
たずねた男の鋭い眼光には「やせ我慢はゆるさないぞ」という閃きがあった。

ぼくは当惑した。大いに当惑したぼくは、
「いや大いに不平がある」を答えざるをえなんだ。
そうして黙っていればよいのに、生意気にも、
「船乗りは嫌いだが、海洋(うみ)は好きだ。人間は嫌いだが自然は好きだ。白いきれいな雲の往来と赤い雄々しい太陽の出没とを眺めくらして、蒼茫(そうぼう)たる大洋(うみ)の真ん中に首だけ出して見ていたい」
などと古くさいことを長々と付け足した。

こしゃくな! とばかりに、その男はカラカラと笑った。口が干上がるのをおそれながらも、なおデイドリームにあこがれエヤキャッスルを築く*1笑止な男だと心ひそかに笑ったのか、嘘をつけ、いまの船乗りの意識と情操とを濾過(ろか)してくる海洋(うみ)の景象に、海のロマンスというべきものがあるのかと笑ったのか、いまだにそれはわからない。

このはしがきを読んで、その男は今頃どこやらで、またはカラカラと声高く笑っているだろう。その笑い声を聞きたいようでもあり、また聞きたくないようでもある。

(2)

『海のロマンス』は、商船学校練習船大成丸乗り組みの一学生が、明治四十五年七月から大正二年十月にわたる十五ヶ月、三万六千海里の大航海の間に、感じたこと、見たこと、聞いたことを、船務の余暇にそこはかとなく書きつづったものである。
その昔ただ海洋美とか、雲濤美(うんとうび)とか、または海洋精気(オーシャンスピリット)とかにあこがれて美しい着物を着て喜ぶ小児のようにただわけもなく、うっかり入校したその男は、船乗り生活の苦しいつらい非情緒的現実的の将来を覚知すると同時にそろそろ不平や悲観や失望を味わうようになった。

この心理は彼が練習船の人となって二年間の海上生活を送るようになったときに至るまで、この正直な男の頭脳(あたま)を悩まし、心にたたった。

このとき、この男の手元へ一本の手紙がとびこんだ……船乗りは最も男らしい生業だとか……今度の航海は空前無比の世界的大航海だとか……いろいろの扇動的辞令があった。

「正直な男」は首をかしげて「なるほど、そんなものかなあ」とつぶやいた。そんなに偉い生業なら悲観するにもあたらない。そんなに偉い航海なら、こいつを一つ新聞に書いてさらにほめられてやろうとと決心した。

『周航記』が東京朝日に現れたのは、こんなつまらぬ動機からである。
「彼」とか「その男」とかいうのは、かく申す拙者(せっしゃ)である。

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脚注
*1: デイドリームは白日夢や空想、エヤキャッスルは空中楼閣を意味する英語で、いずれも現実離れをしているという意味が込められています。作者はしきりに横文字を使いますが、よくいえば血気盛んな若者の意気込みの表れ、悪くいえば漱石のいう「達者すぎる/才にまかせて書きすぎる」ことにつながるのかもしれません。

米窪太刀雄(よねくぼたちお): 本名 米窪満亮(よねくぼ みつすけ)
1888年(明治21年)~1951年((昭和26年) 労働運動家で政治家
長野県生まれ。東京高等商船学校(東京海洋大学)卒業。在学中、訓練航海について書いた『大成丸世界周遊記』が朝日新聞に連載され、『海のロマンス』として単行本化されベストセラーに。日本郵船に入社。船長等を経て、船舶業務に従事する者の待遇改善運動から政治の世界へ。労働省の初代労働大臣。

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著作権について
2018年12月30日に環太平洋連携協定(TPP)が発効したことにより、日本の著作権保護期間は50年から70年に延長されました。

単純に考えると、「保護期間の50年は経過しているが、まだ70年にはなっていない2018年12月30日より前に著作権が切れていた」著作物はどうなるのかが問題になりますね。

有名な青空文庫などでは、半数近くがこれに該当するので注目されていましたが、結局、

この保護期間延長は、TPP11の発効日以降に50年の保護期間が切れる著作物にのみ適用され、発効日前にすでに著作権が切れていた著作物の「権利が復活することはない」ようです。

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