ヨーロッパをカヌーで旅する 74:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第74回)
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カヌーで川下りしながら、川沿いの景色にも慣れ、流れにも気をつかうべき難所がなくなってくると、気持ちはどうしてもそこにいる動物や鳥たちに向かうことになる。五分も眺めていれば、きっと楽しいものと出会えるはずだ。

たとえば、ここにも小さなカワセミがいる。ぼくはドナウ川でもロイス川でもカワセミは目撃したし、イギリスでもよく知られている鳥なのだが、こうやって相手の生息領域に入りこんでいくと、その素顔をしっかり観察できる。カワセミにはいくつかの変種があり、羽の色や形が違っている。この「ロイヤル・バード」とでも呼ぶべき小鳥は古代はハルシオンと呼ばれ、古語ではアルセド、ドイツでは「アイスボーゲル」または「アイス・バード」とも呼ばれている。たぶん凍てつくような冬でも魚を捕ることからきているのか、あるいは巣が小魚の骨を組み合わせたつららの束みたいになっているからなのだろう。

とはいえ、今は夏である。相手は水面から五センチほどの高さの小枝にとまっていた。イバラの茂みの葉がちょうど日傘をさしたように日よけになっている。カワセミは魚を探している。背中の派手な青や胸の赤が見えなければ、気づかないまま至近距離で通りすぎてしまっていたことだろう。

こういう鳥を観察しようと思うと、ぼくはまずカヌーをそっと岸に寄せる。舟底が川底に当たるまで寄せ、数分間はじっとしている。すると、カワセミ、またの名をギリシャ神話にも登場するハルシオンは、こっちに対する警戒を解いて誰にも見られていないように自由に普段の生活に戻る。カワセミは分別くさい顔で、眼下の川の浅いところをじっと見つめている。ときどき、捕らえる価値のある魚を見つけると、マークづけするように頭をちょっと下げる。と、いきなり急降下し、水しぶきが上がる。次の瞬間には、小さな白い魚をくわえて飛び去るか、魚をくちばしでくわえたものの、獲物が激しく体をくねらせるものだからそれに悪戦苦闘していたりする。くわえ方がまずかったときは、獲物を宙に放り上げてから、さっとくわえなおす。そうすれば、ひと飲みに飲みこめるのだ。で、満足すると体を震わせて別の場所にすばやく移動する。とても素早い。まるで青いサファイアが太陽光線をさっと横切ったように、美しい色彩がパッときらめく。

そうでないときは、たとえば寝る時間になったとか、エサを家族に持って帰るといった段になると、カワセミは空中でホバリングしながら、「あばよ」とでもいうように小さく鋭く鳴いて巣穴に飛びこんでいく。その穴はささやかな巣へと続く階段のようなもので、奥ではメスのカワセミが雛を抱き、雛たちは大きな口を開けてエサとなる魚を待ち受けている。この美しい鳥はほかの鳥とはちょっと違っていて謎めいた雰囲気もあるのだが、物静かで美しく、しかし動きは機敏で、ぼくとしては、そのすべてが大のお気に入りだ。ヨルダンの深い密林でも、カヌーからこの鳥をよく眺めたものだった。

奇妙なことに、モーゼル川はこのあたりでは下流に向かうにつれて、どんどん小さくなってきた。数マイルごとに周辺の農地の灌漑用に小さな水路が掘られているものだから、川がやせほそっていく。雨が少ない季節には、水流は見る影もなく少なくなってしまう。地元の人によれば、この三十年間でこれほど「浅くなった」ことはかつてないそうだ。というわけで、ぼくは季節が違っていたら快適だったはずの川下りを、こんな風に苦労してやるはめになった運の悪い旅人ということになってしまった。

夕方になって、シャテルという町に着いた。カヌーはホテルの洗濯場に置かせてもらった。五分もしないうちに、例によって地元の人たちが列をなしてカヌーを見物に来る。その後、橋の付近を散歩していると、元気のよい若者と出会った。まだカヌーを見ていないが、ぼくがその「乗り手の一人」だということは知っている、と彼は言った。自分のボートを見てくれと熱心に誘ってくる。行ってみると、それは、なんとも不気味な、なんとも形容のしようがない、平底で、フタのない箱のようなものだった。しかも、いろんな模様がカラフルに塗りわけられている。彼はそれがひどく自慢らしかった。ぼくは、女の人みたいで華やかに装ってあるじゃないか、とったおせじは口にしなかった。といって、けばけばしさがボート本来の美しさを台無しにしている、その良さを消してしまっているとも言えなかった。

その後で、彼はぼくのカヌーを見に来た。気の毒に、ぼくのカヌーを一目見て、彼の自分のボートに対する誇りが一瞬で吹っ飛んでしまったのがわかった。彼は「ボート乗りの精神」は持っていたのだが、これまでボートの持つ機能美というものを実際に目にすることがなかったのだ。とはいえ、彼はぼくを別のホテルに招待してくれたので、ババリアビールで乾杯し、書き溜めたスケッチ帳を広げた。驚いたことに、そこのウェイターがすごく頭がよくてボートにも熱心だったので、彼とも友達になった!

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