ヨーロッパをカヌーで旅する 75:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第75回)
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ナイフをまた失くした。くやしい。今日は一日、憂鬱な気分だった。イギリスを出発するとき、カヌーには三本のナイフを積んでいた。そのうちの一本は連絡の手伝いを頼んだ人にお礼として提供した。一本はうっかり落としてしまった。何度か跳ねたりしたのだが、つかむことができず、川に落ちてしまった。カヌーではナイフにはちゃんとラニヤード、つまりヒモをつけておけというのが教訓だ。

モーゼル川もこのあたりになると、川床は一つの構造物のようになっている。たいした予兆もなかったのだが、両岸はまったく垂直になり、どんどん狭くなってくる。この様子は、イギリスのリバプール近郊の、マンチェスターへ向かう古い鉄道で岩山を開削した切り通しを思い出させる。そこの川は非常に深く、川床は巨石や岩だらけで非常に尖っていてギザギザになっていたりしたのだが、流れそのものはゆるやかだったので、そういう障害物をかわすのは簡単だった。

釣りをしていた男が少し先に通れない場所があると教えてくれた。それから半マイルほど進むと、なじみの激流音が聞こえてくる。先手を打って準備した。帽子が飛ばないようあごヒモを締め、上着の袖とズボンのすそをまくり上げる。水を入れないためのスプレースカートをきっちり締め、荷物の固定も確認する。こういうときは、スリル満点の急流下りができるよう願い、希望し、期待しつつも、それと同時に不安も感じているという複雑な心境だ。

川がなんとも奇妙な形状になっているのはすぐにわかった。オックスフォード・ストリート沿いにガス管を埋設するために掘られた溝を想像してもらえばいい。しかも、眼前の、通りを満たしている川の水すべてがいきなり溝へと吸いこまれてしまっているというのが、この場所でのモーゼル川の正確な姿だ。

河川敷とは流されてきた砂が堆積してできるものだが、このあたりでは岩床が一段高くなって乾いているが、増水時には疑いもなく水はその高いところまで達している。川はこの深さ三フィートから二十フィートの溝状の水路に流れこみ、沸騰し、泡だっている。その幅は五フィートもない。分別のありそうな男が一人、ぼくがどうするのか様子を見にやってきた。水路に入って少し進んだところで、ぼくは両手を両岸に突っ張ってカヌーを停止させなければならなかった! そこでカヌーを降りて、カヌーにつけたもやい綱を握ってカヌーだけ流れるようにした。やがて水路はさらに狭くなり、曳航して流すにしても速すぎるようになった。それで、ぼくはカヌーを乾いた岩の上に引っ張り上げて腰をおろし、息切れがおさまるのを待った。このとき、さらに二人の紳士が通りかかった。橋の上には女性たちも何人かいた。このなんとも始末に負えない岩の上を、ぼくは何百ヤードもカヌーを引っ張っていかなければならなかった。男たちはぼくについて歩きながら声をかけたり励ましたりしてくれた。忍耐強いぼくの行動をほめてくれているのだが、といって誰も手を貸そうとか手伝おうとはしなかった。

やっと十分な深さと川幅があるところに出た。そこは橋の真下で、見上げると、そこにいた人たちは皆、カヌーを興味深そうに眺めて微笑している。ちょっと離れたところに大きな家が一軒あった。そこの人たちだろう。みんなにこにこしているので、ぼくはてっきり「ご苦労様、ワインでもいかが?」といった声がかかるかもと期待したのだが、あてがはずれた。ぼくとしては全員まとめて「みなさん、さようなら。たくさんの方がご覧になっていましたが、誰一人助けようとしてはくれませんでしたね。ま、今回のぼくのショーはただにしておきましょう!」と、つい憎まれ口をたたいてしまった。ちょっと礼を失していただろうか? そう思わざるをえなかったのだ。

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