現代語訳『海のロマンス』61:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第61回)
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南太平洋の元旦

青海原に暮れ行く今年かな

明治四十五年と大正元年との両面を有する、記念多き、変化多かりし一年は、静かに広大な青い海の水平線のかなたに暮れていって、悲しい、嬉しい、華やかにして暗い、さまざまな色のぼくの記憶もまた、一緒に伴って去ろうとしている。いまさらに強い哀惜(あいせき)の念が胸に湧く年の暮れである。

草枕に、「……この故に天然にもあれ人事にあれ、衆俗(しゅうぞく)の辟易(へきえき)して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳浪(りんろう)を見、無上の宝路(ほうろ)を見る、俗にこれを名づけて美化という…」


(意味)「……このため、自然のものであれ、人間世界のことであれ、一般の人々がうんざりして近づきにくいとしているところで、芸術家は無数の美しい玉や最高の宝石を見るのであるが、俗にこれは美化と呼ばれている…」
とある。

航海中は一般人の心持ちで、しかも年の暮れという追憶的な境地にあっても、やはり同じく一般人の心持ちであるぼくは、何年たっても芸術家の真似もできない。航海中の苦しさと楽しさとを忘れることができず、泣き悲しみ、笑って、後悔や苦しみの念はいつも胸を去らぬ。年暮れるといって哀惜(あいせき)の涙にくれ、新年だといって、そのたびに欣喜雀躍(きんきじゃくやく)している。矛盾と常識とは常にうるさく頭脳に働いている。

かくして、南太平洋の元旦を南緯五十二度三十三分、西経九十三度五十一分の青海原に迎えた。練習船(ふね)が午前三時三十分に水平線に現れる初日の出を拝んだところは南緯五十二度半である。しかるに、ここに意地悪くも、プンタ・アレナスという町(南緯五十三度)とウスワイアという村(五十五度)とがあって、世界最南の地点で正月を迎えたということを誇りに思いたかった、自分の年ごしの好奇的欲求を巧みに妨害してしまった。

人々が打ちたがった大晦日(おおみそか)正午の八点鍾は、くじに当たったK君が打ったという。

遥拝式(ようはいしき)は九時から後甲板で施行され、三日間は事業学習がなく、凧(たこ)を上げ、トランプやカルタ、ビリヤードの遊戯に夢中になるは勝手たるべしとの御布令(おふれ)が出る。

日本酒は欠乏したとかで、屠蘇(とそ)はビールで間に合わせる。

雑煮(ぞうに)は百六十人余のこととて、とうてい一つ一つ焼く間もないと、切り餅(もち)を直接に汁の中へ放りこんだとやらで、固い餅(もち)が重々しく冷たい汁の中に沈んでいる。

衛生係のメモに書いてあった正月元旦の昼食は、次のごとくである。家におって心ひそかに陰膳(かげぜん)などをそなえながら、さぞかし心細い海上の正月を迎えるだろうなどと、余計な心配する老人連があるだろうと特に書いておこう……

ビール、雑煮、煮豆、田作り、アワビの酢の物、青豆の吸い物、栗きんとん、きんかん、かまぼこ、筍(たけのこ)。
豪勢なものである。どうぞご安心ください。

蒼浪(そうろう)に夢を浮かべて三万マイル

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