現代語訳『海のロマンス』58:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第58回)
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太陽直下だが涼しい

十一月十五日。南緯(なんい)十六度二十八分。西経(せいけい)百三十度三十九分。赤緯(せきい)南十七度二十分*1。

*1: 赤緯は、天体の位置を地球から見て示した天空の座標。
地球の自転軸(地軸)の延長上に天の北極と南極、地球の赤道上に天の赤道があると想定し、天体の位置を緯度・経度(赤緯・赤経)で示す。
天体が特定の日時にどの位置にあったかがわかれば、逆に、測定者の地球上の位置も算出できる。

昨日と今日の本船の位置と赤緯とはほとんど同じで、太陽は日々ちょうど天頂に来る。東から吹いてくる海軟風(シーブリーズ)を受けて甲板に立つと、丸い麦わら帽子が小さい円となって影を作り、五尺二寸(ごしゃくにすん、約155センチ)の正射影はただひとつ零(ゼロ)である。

このごろ、ライムジュースはその甘みを増してきていて、心はますますのどかに、体はますますすこやかである。海洋(うみ)のひょうきん者と呼んでいるイルカ(ポーパス)、トビウオや海洋の精気の象徴者と呼ぶアホウドリ、入道雲、スコール等がさかんに練習船を見舞うようになった。

かくて、われらは海に慣れたし、海もわれらに慣れてきた。

咆哮緯度(ロアリング・フォーティズ)

南緯四十度の緯度線を中心として、その南北それぞれ五、六度の間には、強力な偏西風が、広大なゴビ砂漠を一気に駆け抜けてくる韃靼(だったん)人の騎馬隊のように、夜といわず昼といわず、白い波濤(はとう)を立てて咆哮(ほうこう)し、吹き続けている。咆哮緯度(ロアリング・フォーティズ)といわれているものが、これである。

貿易風帯、気候風帯と同じように風帯(ふうたい)と称しているが、この偏西風帯ほど、強く恐ろしく、男らしいものはあるまい。広い幅と深い高さとをそなえた、なんとなく重々しい気分を持って、青い海をふるわせ、高いマストに悲鳴をあげさせて、飄々(ひょうひょう)と三十マイルの強風が吹き通る。この風に送られて、猛烈なスコールが頻々と船を襲い、この海から生まれた乱暴な時化(しけ)が次々に船乗りを驚かせる。

練習船(ふね)はゆっくりあわてずに、それに対する用意をする。マストを支えるリギン(ロープ)類にタールを塗り、吊るしているボートを内側に引き入れ、総帆(そうはん)は夏物から冬物に替える。

十二月四日。朝から水曜日の恒例となっている操練を行う。

船長がヒーブツーと荒天操練を説明しているとき、たちまち当直の二等航海士が、けたたましく「船長!! 風向(かぜ)が変わりましたッ」と言う。見上げれば、なるほどいままで左舷から吹いていた順風(フェアーウインド)がいつのまにか右舷船首に変わっている。

油断がならないのは、偏西風帯のスコールである。多少、心に覚悟をしないでもなかったが、こうまで不意打ちが好きで、かくまで奇襲が上手だとは思わなかった。

やがて、船尾に走っていった二等航海士の金切り声が聞こえる。ブレース・ラウンド、フホーアヤード。ポイント、ゼ、アフターヤードと、ロープを操って帆を操作する指示が飛ぶ。イェーッ、ホーと総員で前マストの各帆(かくはん)を逆まわしする間も遅しと、剽悍(ひょうかん)無比のスコールがマストも折れよと、総帆(そうはん)に裏風を受けて後退する練習船を襲う。

これを皮切りに、ライト・セイル下ろせ、メンスルたため、バロメーター降下となる。空は威嚇的で、海は狂暴という、とんでもない大騒ぎの演出がなされる。

第一の時化(しけ)は、このようにして始まった。

十二月九日。暖かい毛布の床(とこ)に、暁(あかつき)の夢捨てがたく、南半球の寒さを壁板数センチの厚さで隔てた船室で、うつらうつらと他愛ない夢心地に遊んでいると、「総員、上へ!!! カッパ用意」と声がかかった。続いてG音の二つのラッパ(第二荒天準備)が意地悪をするように鳴り響く。思い切ってがばっと跳ね起きる。

海の乱れようはただごとではない。空は気味の悪い色をしていて、波は白く砕け散っている。船は危うげに傾きながら、東微北(とうびきた)へと走る。

第二の時化(しけ)は、かくのごとく始まった。

風はようやく南西より西南西に、西南西より真西へと変わっていき、今はまったく偏西風の本性を現わす。

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