ヨーロッパをカヌーで旅する 53:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第53回)
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とはいえ、ここで合流したアーレ川は、カヌーにとってそれほど危険というわけではなかった。川が大きくなってくるにつれて激流も穏やかになるし、あちらこちらで暴れまわった後、少し落ち着いて安定し、堂々とした河になりつつあった。だが、このあたりでは、カヌーでの川下りの旅につきものの流木が多く、あちこちに引っかかっている。川底につかえた状態で先端が浮いたり沈んだりしていて、川の水もひどく濁っているため、流れてきた倒木の危険性は高い。油断せずしっかり見張っていなければならない。

前にも説明したが、身振りに加えて英語を大声で叫ぶというマクレガー流の「川の言語」は、このように川幅が広いところでは厳しい試練を受けことになる。たとえば、百ヤード(約九十メートル)ほども離れた川岸にいる人と、次のようなやり取りをするのに、ジェスチャーと彼らにとっては外国語の英語だけでどうやってうまく意思を伝達できるだろうか?

「あの岩のところまで行って中洲の左側を通った方がいいですか、それともこの辺で上陸し、カヌーを引きずって迂回(うかい)してから、また水路に戻った方がよいですか?」といったようなことだ。

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現代語訳『海のロマンス』39:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第39回)
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仮面を使う人々

なんといっても、アメリカは酒と女と賭博(とばく)と喫煙(きつえん)が自由な国である。二十世紀の相良(さがら)の領地*1である。

*1: 相良の領地 - 将軍の小姓から側用人をへて江戸幕府の老中にまで出世した田沼意次(たぬまおきつぐ、1719年~1788年)は、遠江相良(とおとうみ さがら)藩(静岡県西部)の初代藩主でもあった。
田沼の治世では、賄賂(わいろ)と縁故・縁戚による人事が横行したとされる。

百年前におけるわが享保文政のおおらかな時代を、空中に怪物*2が横行する刺激的気分に満ち満ちている二十世紀に再現させ、これにバターの香りを加え、享楽という異名をかぶせただけである。

*2: 空中に怪物 - 練習帆船・大成丸が竣工した1903年、ライト兄弟が飛行機の初飛行に成功している。
今回の大成丸の世界周航は、その9年後になる。また、飛行船はそれより半世紀ほど早く登場しており、日本でも大成丸が出港する前年、東京で飛行船の初飛行が行われている。

されば、古今独歩、東西無比の天才と、お国自慢のヤンキーから保証された作家ワシントン・アービングはその短編集『スケッチブック』で、

寡婦(かふ)を手に入れんとする者は、ためらうべからず。よろず日の暮れぬ間に仕事を片づけんと覚悟せよ。ゆめ遠慮がちに先の機嫌を問うことなく思い切って言え。さらば寡婦は御身(おんみ)のものなりと。

と、さかんに出歯亀(でばかめ)主義を推奨している。物騒なことである。かくて唯一の天才先生から鼓舞され奨励されては、助平根性たっぷりのヤンキーがおとなしくしているわけがない。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 52:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第52回)
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この家のおばあさんという人が出てきた。おっとりとしているが上品で威厳があり、物静かだった。その人が、この闖入者(ちんにゅうしゃ)の受け入れを認めてくれた。年季の入ったオーク材の家具は女性に磨き上げられ光っている。趣味がいい。男連中が熱心に集めたものらしい。太陽がかがやき、水車はまわり、川は流れ続けている。誰もがぼくには親切にしてくれた。「あなたがイギリス人だから」ということだった。

ローマ市民を意味する「キーウィス・ローマーナス」*1というラテン語は、恐怖を与えるときより親切にしてもらうときの方が、ずっとよく威力を発揮する。「互いにかつてのローマ帝国の市民同士」という同胞意識から歓待され、正式に招待してもらったのだが、一向に食事が出る気配はなかった。娘たちがぼくを引き留めるために荷物を冗談半分で隠したりもしたが、ぼくとしては食事ができないのであれば出発せざるをえない。

というわけで、水車小屋に集まっていた全員がカヌーを置いていた場所に移動した。カヌーがあまりにも小さくて、それなのに一人前に小さな旗がひるがえってもるので、若い娘たちは手をたたいて歓声や驚きの声を上げ、漕ぎだすと、さようならと手を振ってくれた。

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現代語訳『海のロマンス』38:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第38回)
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アメリカの女性たち

一、すれっからしの老嬢

赤旗白旗が雲のように狭い六十余州に乱れ翻(ひるがえ)って、源氏と平家がいやが上にもときめいていた昔の帝(みかど)であった後白河院(ごしらかわいん)は「すごろくのサイコロと鴨川の流れと山法師(やまほうし)だけは私の思うようにならない」と嘆かれたということは、小学校時代に先生から聞いた有名な話である。

難波(なにわ)の葦(あし)が伊勢では浜萩(はまはぎ)と呼ばれているように、日本のカタツムリがフランスはパリでは美食とされているように、ここ南カリフォルニアにおいて不可解とか「厄介(やっかい)」という意味の形容詞をたてまつるべき諺(ことわざ)に「アメリカのオールドミスと排日論者の心」というのがある。

女という存在が厄介(やっかい)な、てこずる者であって、油断できない者であったのはずいぶん古い昔からのことと見えて、現にマルクス・アウレリウスという西ローマ帝国の皇帝は「女子は制御しがたき点において船舶に似ている」と、おっしゃっている。皇帝の発言だけでは納得できないというのであれば、他にも証拠はいくらでもある。

まず世界最古の戦争であるトロイ攻略についていうと、この神人混同の大激戦の原因というのは、パリスという女好きの王子と彼に誘拐されたヘレネという王妃(おうひ)とのいきさつから起こったのである。絶世の美女が国を亡ぼすという実例は、このときからすでに挙がっているということができる。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 51:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第51回)。
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第九章

濡れまくり、アドレナリン出まくりの体験を前日したばかりだったので、この日、はじめのうちは、どこか緊張していた。前方から急流らしい水音が聞こえてくると、また同じような手荒い試練を受けるはめになるのではないかと心配になったりもした。そんな川音が聞こえてくると、これまでは「よし急流下りが楽しめるぞ」と思ったものだったのに。しかし、それにもだんだん慣れてきて、朝から晩まで続く川下りを楽しむことはできた。

ロイド川は相変わらずの急流ではあったが、あれほどの難所はもうなかった。それほど多くないものの川にはボートも浮かんでいた。下見をしているとき、イカダも一つ見えた。イカダ師たちは「どうやってあの流れに乗せようか?」などと相談しあったりしてした。川沿いの集落の多くは高い崖の上にあった。そうじゃないときは上陸には向かない場所だったりした。それで、どこかカヌーを着けられる場所はないかと探しながら川を下ったのだが、適当なところがなかなか見つからない。蛇行した川の湾曲部にさしかかるたびに、そこを曲がると休めるのではないかと希望的観測を抱いたりしたものの、ずっと遠くまで高い崖が続いていたするのだった。はるかかなたに岬のようなところが見えてきた。あそこまで行ってみれば朝飯を食べるところくらいはあるに違いないと思ったが、いつもの朝食の時間はとっくにすぎていた。川岸は人家もまばらで、とにかく腹が減ってたまらない。絵のように美しい場所で、川に突き出るように水車小屋が建っていた。そこに上陸することにした。

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現代語訳『海のロマンス』37:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第37回)
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海軍士官の逃走

こういう話も聞いた。
サンディエゴというところは、海図の上から拝見すると、すこぶる奥行きの深いS(エス)の字形(じなり)に湾入した天然の良港のように思われるが、惜(お)しいかな水深(ふかさ)が足りない。例の名高いローマランドが遠く南の方へ突き出て、のろしを上げる山のように屹立(きつりつ)している間に、かのコロナド半島と称する先生がノコノコとはるかに三十余哩(マイル)*1の東方から、太くなったり細くなったり、あるいはニョロ然として飴(あめ)のごとくなったり、あるいは時鐘(ときがね)のなよなよたる余韻のごとくなったりして、しだいしだいにせり出してきて、両者の間に奥行き十二浬(マイル)、四町ないし六町の間口を持つ蛇形(サーパンティーン)のサンディエゴ湾を残してある。

現在のサンディエゴ湾はこちら
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:SDBayAreaNASA.jpg#/media/File:SDBayAreaNASA.jpg

では水深(すいしん)はどうかというと、十二浬(マイル)*2のうち入口に近い七浬(マイル)の間はようやく三十三フィート(約10メートル)であるが、あとの五浬(マイル)はわずか十五フィート(約5メートル弱)にすぎないのみならず、例のコロナド半島なるものが、アシにそよぐ風の音やラクダの鳴き声など、いわゆる「まっ平で荒涼とした、砂と草だけで白っぽい」土地で、有名なコロナドホテルのゴシック建築とテントシティーの雑踏とをのぞけば、太平洋と内海とは同一平面内に含まれているという次第である。このように、吹けば飛ぶような砂原であるために、海外に向かって港湾市街の防壁としての役目を果たせなかったのは、いささか気の毒であったと言わねばならぬ。

*1: 哩(マイル) - 陸上での距離を表す単位で、約1609m。
*2: 浬(マイル) - 海上での距離を表す単位(ノーティカルマイル)で、約1852m。

そのため、この地にむろん砦(とりで)を築こうなどとは思いもよらぬ企(くわだ)てである。だから、いかに無頓着にして投げやり主義を好む太っ腹のアメリカ人も、砲台(ほうだい)を築き軍港を構えるには不適当だと考えたようで、例の太平洋艦隊については、やむをえず「女心と秋の空」ならぬ、「女心とゴールデンゲート海峡」と呼ばれて、浅はかで移り気な女心にたとえられた、変化の多い潮流と危険な砂丘と、暗鬱な濃霧とがあるサンフランシスコを本拠地としたのは、よくよくのことであった言わなければならない。というわけで、サンディエゴの港は水雷艇隊の拠点に格下げされてしまった。

この水雷艇隊についての話である。

古い昔から、サンディエゴの水雷艇碇泊所といえば、イギリスの首都ロンドンにあるハイドパークがロバート元帥(げんすい)旗下(きか)の兵隊さんとピカデリーあたりの魔性の者との会見場であるように、赤坂溜池(あかさかためいけ)の待合(まちあい)が近衛の士官と金で買える娼婦との楽園(エデン)であるごとく、テントシティーあたりの踊り子と短髪の水兵殿との娯楽場で愛がささやき交わされていたと伝えられている。

水気のない乾ききった空気をさらに熱しつつ、大陸の太陽(ひ)が赤黒くくすんでローマランドに落ちていき、肌に快(こころよ)い夕風がラホヤの森から噴き出すころ、美しく薄化粧をほどこした女、肩や胸のあたりの繊細(しなやか)な曲線を惜しげもなく、これみよがしに露(あらわ)した女、官能的な深紅のスカートにハイヒールで周囲(まわり)を振り向きがちに歩く女、このようなすべての媚(こび)多き女が続々と渡船場(フェリーワーフ)に集まる。かくて、コロナドビーチの一角は、歌ったり踊ったり抱擁(ほうよう)しあったりする場となってしまった。

しかし、このような極楽浄土はどこでも永く存在を許されないもので、米国海軍の中にも宗教改革のルターにもたとえられるような者がいないでもなかった。たちまち風紀は刷新され、おしろいくさい空気は水雷艇から一掃されたが、いったん浸透してしまった享楽主義は、ヤンキー独特の権利義務偏重主義やホームシック主義や自己中心主義や金儲け主義などとあいまって、今に至るまで汚名を残しているのは笑止のいたりである。アンクルサムのルターが改革をした年に、ここでも水雷艇隊の乗組員はたちまち例の愛妻主義と愛国主義とを足して二で割った結果、みんなそろって困ったときだけ頭を下げるだけとなってしまった。驚いたのは綱紀粛正を命じたルターで、それ以来、演習のあるときは莫大な家族扶養保証金と乗組員の損害賠償額とを定めた契約が成立して、水雷艇はまったくのお飾りになってしまった。

こういう話もある。先年、メキシコで内乱が勃発したときである。水雷艇隊の士官や水兵が申し合わせたようにそろって姿を消し、短期間のうちに水雷艇を動かす者がいなくなり、騒いでいるのはただネズミのみとなった。それで、いろいろと連中がどこにいったのか調査したところ、なんと、彼らは自分がもらっている俸給の二倍とか三倍の多額でメキシコの官軍や賊軍に一時的に雇われていたと判明したのだ。こんなことは日本では夢にも見られない現象である。また、こうしたアバズレどもが戦争が一時休止になってノコノコサイサイと戻ってきたとき、政府は叱りもせず再雇用したなどというのは、さすがにヤンキーさんであると言わねばなるまい。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 50:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第50回)
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波の高さが問題なのではない。これが海であれば、相当に大きな波であってもカヌーは乗りこえていける。だが、川のこういう場所では、カヌーを持ち上げる波自体は動かないのだ。じっとしている。が、カヌーの方はといえば、強い流れに押し流されてどんどん進んでいく。で、いきなりカヌーの下にあったはずの波が消えた。カヌーは大量の水のかたまりに突っこんでいく。浮き上がる気配はない。で、やはりこの疑問が残る。「この波の向こうには何があるのだろうか?」と。岩があったとしたら、カヌーもろとも一貫の終わりだ2

原注2: 当時、川でこういう風に波が急に盛り上がっているところでは、その先に岩などは存在しないという貴重な事実を、ぼくはまだ知らなかった。流路の先が狭くなって波が高く盛り上がっている場合、その背後では川は自由に流れている必要がある。でないと、こうならない。隠れている岩などの危険に関する限り、そういった場所は、むしろ安全なのだともいえる。これが、多くの似たような場所で何度も同じような目にあって得た、ぼくの結論である。
水に関する限り、ロイス川の出来事を忠実に表現したものをスケッチしてみた。水量が多くなるにつれて川の流速は増すが、流れそのものはスムーズになる。水が少なければ速度が遅くなって、あちこちでよどみが生じる。

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もう避けられないと覚悟したぼくは、歯を食いしばり、パドルを握りしめた。カヌーは真っ逆さまに明るい水の壁に突っこんでいく。尖った船首が水の奥深く突き刺さり、ぼくは無意識に目をつむった。大量の重くかたい水の塊が胸にのしかかる。首は水の冷たい手で絞めつけられているように息ができない。そうしているうちに、カヌーはやっと浮き上がりはじめる。

この緊迫した一瞬に、いろんなことが脳裏に浮かんだ。さっきとは別の小さい別の波にこずかれ、下方の渦にぐるぐる回転させられたりしたものの、やがて、最悪の事態がすぎたとわかる。ちっぽけなカヌーは大量の水に押さえつけられてはいるものの、少しずつ浮上していく。両手はまだ水圧で自由に動かすことができない。カヌーは大きな衝撃に身震いするようにして水面に浮かび出た。よろけながら岸辺に漂着する。荒れ狂っていた水流も、川岸では穏やかになっている。ぼくは手近な岩にしがみついて身体を休ませた。疲れ切って震えている神経と、生きているという喜びとが入り混じった奇妙な気持ちのまま、ぜえぜえと息を継ぐ。

身体や足にはものすごい水圧がかかったが、すべては一瞬のことだったので、スプレースカートの内側は、ほとんど水に濡れてはいなかった。身体の前側はネクタイにいたるまでびしょ濡れなのに、上着の背中側はほとんど濡れていなかった。幸運だったことに、カヌーにいつも取りつけている英国旗は一時間ほど前に下ろしてしまっていたので流されずにすんだ。

ともかく危機を脱して、一息いれる。また新たな気持ちで川下りを再開することにする。というのも、この先も大波の急流が続いているわけなのだった。とはいえ、最大の難所はすぎたので、この後は──こういう経験をした後では──難所だと言われるようなところは十分に用心すべきところではあるものの、そうたいしたこともないように思えた。そうして、やっとゆっくり休めるところまで到達した。ブレームガルテンという、ローマ時代からの由緒ある古い町だ。急流のロイス川が蛇行しているところに存在している。家々は川沿いの岩の上に建てられていて、ある洗濯婦の家の戸口でカヌーをとめたときも、そのすぐ脇を川が流れていた。カヌーを川から引き揚げると、そこがその家の台所になっていて、そのまま部屋を突っ切って反対側にある通りまでカヌーを引っ張って運んだのだが、その家の奥さんはよくできた人で、こっちの事情はよくわからないらしかったが、突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)に驚いたり面白がったりしていた。

というようなわけで、平和な街の舗道にいきなりカヌーが出現したものだから、人々はそれを見て驚いたに違いない。やがて人込みができ、カヌーはホテルまで運ばれていった。宿は、お世辞にもほめられたものではなかった。翌朝、宿賃十二フランを請求された。相場の二倍だ。一日に二人も法外な料金を請求する宿屋の主人に遭遇したことになる。この二軒目の方は、交渉してなんとか八フランまでまけてもらった。

この古風なブレームガルテンの街には高い壁や堀や遺跡があり、翌日の早朝の散歩で見物して歩くだけの価値はあった。それから、またカヌーに乗って出発した。

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現代語訳『海のロマンス』36:練習帆船・大成丸の世界周航記米窪太刀雄

(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第36回)

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都市の飾り人形

管仲(かんちゅう)*1は三千年の昔においてすでに「衣食足知礼節」(生活の心配がなくなってはじめて礼儀をわきまえるようになる)と喝破(かっぱ)した。それが一方では潁川(えいせん)の水に耳を洗ったり首陽(しゅよう)の山にワラビを掘ったりした*2純朴の時代であるから、ことに驚く。管仲(かんちゅう)の識見も高遠であるといえようが、そのときからもはや、ジョンブル気質やアンクルサム観念の萌芽(ほうが)を見ることができるともいえよう*3

*1: 管仲(紀元前720年~645年)は、中国春秋時代(日本の弥生時代前期)の政治家。著書とされる『管子』に記載された言葉から。


*2: 「潁川(えいせん)の水に耳を洗う」とは、栄達の誘いを拒絶し、イヤなことを聞いたと耳を川の水で洗ったという中国の故事から。
「首陽の山にワラビ」も同じく、王をいさめた武将が隠棲(いんせい)した山で餓死したとされる故事から。

*3: ジョンブルはイギリスという国またはイギリス人を擬人化したもので、アンクルサムはアメリカ合衆国またはアメリカ人を擬人化した表現。

群居と不公平はつきものである。共同生活と競争は切っても切れない腐れ縁である。

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