現代語訳『海のロマンス』36:練習帆船・大成丸の世界周航記米窪太刀雄

(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第36回)

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都市の飾り人形

管仲(かんちゅう)*1は三千年の昔においてすでに「衣食足知礼節」(生活の心配がなくなってはじめて礼儀をわきまえるようになる)と喝破(かっぱ)した。それが一方では潁川(えいせん)の水に耳を洗ったり首陽(しゅよう)の山にワラビを掘ったりした*2純朴の時代であるから、ことに驚く。管仲(かんちゅう)の識見も高遠であるといえようが、そのときからもはや、ジョンブル気質やアンクルサム観念の萌芽(ほうが)を見ることができるともいえよう*3

*1: 管仲(紀元前720年~645年)は、中国春秋時代(日本の弥生時代前期)の政治家。著書とされる『管子』に記載された言葉から。


*2: 「潁川(えいせん)の水に耳を洗う」とは、栄達の誘いを拒絶し、イヤなことを聞いたと耳を川の水で洗ったという中国の故事から。
「首陽の山にワラビ」も同じく、王をいさめた武将が隠棲(いんせい)した山で餓死したとされる故事から。

*3: ジョンブルはイギリスという国またはイギリス人を擬人化したもので、アンクルサムはアメリカ合衆国またはアメリカ人を擬人化した表現。

群居と不公平はつきものである。共同生活と競争は切っても切れない腐れ縁である。

各人が自己の権利義務を極度に尊重するとき、犠牲的とか仁侠(じんきょう)的とか男伊達(おとこだて)とかいうすべての超俗精神が閉塞(へいそく)する。このようにして道義の観念が薄れると、公徳心や公衆道徳というものが堂々と頭をもたげてくる。そして、これら二種の観念は一方が盛んになれば一方が下火になるといった風に、大昔から今日まで、サイン・コサインのカーブのように波状をなして連綿している。そして、つらつら──つらつらでなくても、ちょっとでもよろしいが──現今(いま)の思想界をのぞいてみるに、今や「衣食(いしょく)足(た)りて礼節(れいせつ)を知る」という観念がちょうどカーブ(曲線)のバーテックス(頂点)の辺にあるように思われる。

しかし、この波の振幅(バリエイション)は各国民の精神によっていろいろに異なると思う。日本においては、この振幅(バリエイション)は極めて小さいと自分は思う。その最大なるものは、ここアメリカにおいて見られると再び思う。これは根拠のない断定だろうか? いや多少の根拠がないでもない。

世の中で、およそアメリカ人ほどホームシックにかかりやすい国民はあまりない。二言目にはスイートホームと言う。マイマザースハンドという。

埠頭(はとば)や、サーカスやコーナーや、すべてのちょっと目につきやすいところには必ず傭兵(やといへい)の広告が出ている。続いて水兵のも、巡査のも船乗りのも。中には「衣食の外に一月百ドル……」などという素敵なのがベタにある。それでも志願者がとかくいないので、兵隊さんやお巡(まわ)りさんに対しては、ある州はやむなく毎日自宅から通勤することを許すように、後から別になんとか法を公布したそうである。であるから、兵士とか水兵とか巡査などというものの多くは幼少にして孤児となって、温かい家庭(ホーム)から急に冷たい風の吹きすさぶ、せちがらい暗流が渦巻く世の中に放り出されたものか、または道徳的にあらざれば刑法的に華やかな交際社会から葬り去られた浮浪児や失業者に決まっている。彼らがいかにホームシックにかかりやすいかは、これでもわかる*4。

「身長(みのたけ)六フィート以上にして体重百五十ポンド以上たるべきもの云々」とは、カリフォルニア州の巡査志願者採用の唯一にして簡潔なる目安である。

浅草の凌雲閣(りょううんかく)を縦横十五、六間(けん)格に引き延ばしたような、音にひびける摩天楼(スカイスクレイパー)がすくすくと立ち並んで、太陽の目(ひのめ)をさえぎる空間的立法的多稜形の街区を背景に、常陸山(ひたちやま)に背広を着せて、ちょんまげの代わりに兜(かぶと)形の帽子をかぶせたような雲つく大男がにっこりとして、小さな指揮棒を打ち振り、行き交う馬車、荷車、自動車、電車、すべて「車」と名のつく物を上手に交通整理する。

この都市の飾り人形であり、交通機関のさばき手でもある警官殿が、腹のなかでスペインダンスの踊り娘(おどりこ)やオーケストラの歌姫の姿を夢みつつ、反発性の乏しい顔面筋肉に粘液質のムードを示して、ノラリクラリと十字路付近に集まっているところは、ちょっと日本では見られない光景であるとともに、六尺豊かな多くの野武士を駆り集めた州庁の方法(やりかた)も珍しく、さらに非立憲を標榜(ひょうぼう)し、いばりくさっていることを専売勅許にしているどこかの国のお巡(まわ)りさんの月給の五倍や六倍の報酬をもらいながらも、なおヘルメットをかぶり指揮棒(スタッフ)をふるおうという志願者が少ないというのもおもしろい。また、日本ではすぐに静岡事件だの、浅草事件だのと騒ぐのに、平気で泥棒や詐欺師から心づけをもらって握手するのは、さらに面白いと思う*4

*4: はじめて外国を訪れたときに、母国と異なる文化や習慣などについて、知識不足から誤解や早とちりで解釈してしまうことは、現代でもよく見うけられます。全体を読めば悪意のないことはわかるので、原文を尊重し、できるだけ忠実に再掲してあります。

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