現代語訳『海のロマンス』37:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第37回)
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海軍士官の逃走

こういう話も聞いた。
サンディエゴというところは、海図の上から拝見すると、すこぶる奥行きの深いS(エス)の字形(じなり)に湾入した天然の良港のように思われるが、惜(お)しいかな水深(ふかさ)が足りない。例の名高いローマランドが遠く南の方へ突き出て、のろしを上げる山のように屹立(きつりつ)している間に、かのコロナド半島と称する先生がノコノコとはるかに三十余哩(マイル)*1の東方から、太くなったり細くなったり、あるいはニョロ然として飴(あめ)のごとくなったり、あるいは時鐘(ときがね)のなよなよたる余韻のごとくなったりして、しだいしだいにせり出してきて、両者の間に奥行き十二浬(マイル)、四町ないし六町の間口を持つ蛇形(サーパンティーン)のサンディエゴ湾を残してある。

現在のサンディエゴ湾はこちら
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:SDBayAreaNASA.jpg#/media/File:SDBayAreaNASA.jpg

では水深(すいしん)はどうかというと、十二浬(マイル)*2のうち入口に近い七浬(マイル)の間はようやく三十三フィート(約10メートル)であるが、あとの五浬(マイル)はわずか十五フィート(約5メートル弱)にすぎないのみならず、例のコロナド半島なるものが、アシにそよぐ風の音やラクダの鳴き声など、いわゆる「まっ平で荒涼とした、砂と草だけで白っぽい」土地で、有名なコロナドホテルのゴシック建築とテントシティーの雑踏とをのぞけば、太平洋と内海とは同一平面内に含まれているという次第である。このように、吹けば飛ぶような砂原であるために、海外に向かって港湾市街の防壁としての役目を果たせなかったのは、いささか気の毒であったと言わねばならぬ。

*1: 哩(マイル) - 陸上での距離を表す単位で、約1609m。
*2: 浬(マイル) - 海上での距離を表す単位(ノーティカルマイル)で、約1852m。

そのため、この地にむろん砦(とりで)を築こうなどとは思いもよらぬ企(くわだ)てである。だから、いかに無頓着にして投げやり主義を好む太っ腹のアメリカ人も、砲台(ほうだい)を築き軍港を構えるには不適当だと考えたようで、例の太平洋艦隊については、やむをえず「女心と秋の空」ならぬ、「女心とゴールデンゲート海峡」と呼ばれて、浅はかで移り気な女心にたとえられた、変化の多い潮流と危険な砂丘と、暗鬱な濃霧とがあるサンフランシスコを本拠地としたのは、よくよくのことであった言わなければならない。というわけで、サンディエゴの港は水雷艇隊の拠点に格下げされてしまった。

この水雷艇隊についての話である。

古い昔から、サンディエゴの水雷艇碇泊所といえば、イギリスの首都ロンドンにあるハイドパークがロバート元帥(げんすい)旗下(きか)の兵隊さんとピカデリーあたりの魔性の者との会見場であるように、赤坂溜池(あかさかためいけ)の待合(まちあい)が近衛の士官と金で買える娼婦との楽園(エデン)であるごとく、テントシティーあたりの踊り子と短髪の水兵殿との娯楽場で愛がささやき交わされていたと伝えられている。

水気のない乾ききった空気をさらに熱しつつ、大陸の太陽(ひ)が赤黒くくすんでローマランドに落ちていき、肌に快(こころよ)い夕風がラホヤの森から噴き出すころ、美しく薄化粧をほどこした女、肩や胸のあたりの繊細(しなやか)な曲線を惜しげもなく、これみよがしに露(あらわ)した女、官能的な深紅のスカートにハイヒールで周囲(まわり)を振り向きがちに歩く女、このようなすべての媚(こび)多き女が続々と渡船場(フェリーワーフ)に集まる。かくて、コロナドビーチの一角は、歌ったり踊ったり抱擁(ほうよう)しあったりする場となってしまった。

しかし、このような極楽浄土はどこでも永く存在を許されないもので、米国海軍の中にも宗教改革のルターにもたとえられるような者がいないでもなかった。たちまち風紀は刷新され、おしろいくさい空気は水雷艇から一掃されたが、いったん浸透してしまった享楽主義は、ヤンキー独特の権利義務偏重主義やホームシック主義や自己中心主義や金儲け主義などとあいまって、今に至るまで汚名を残しているのは笑止のいたりである。アンクルサムのルターが改革をした年に、ここでも水雷艇隊の乗組員はたちまち例の愛妻主義と愛国主義とを足して二で割った結果、みんなそろって困ったときだけ頭を下げるだけとなってしまった。驚いたのは綱紀粛正を命じたルターで、それ以来、演習のあるときは莫大な家族扶養保証金と乗組員の損害賠償額とを定めた契約が成立して、水雷艇はまったくのお飾りになってしまった。

こういう話もある。先年、メキシコで内乱が勃発したときである。水雷艇隊の士官や水兵が申し合わせたようにそろって姿を消し、短期間のうちに水雷艇を動かす者がいなくなり、騒いでいるのはただネズミのみとなった。それで、いろいろと連中がどこにいったのか調査したところ、なんと、彼らは自分がもらっている俸給の二倍とか三倍の多額でメキシコの官軍や賊軍に一時的に雇われていたと判明したのだ。こんなことは日本では夢にも見られない現象である。また、こうしたアバズレどもが戦争が一時休止になってノコノコサイサイと戻ってきたとき、政府は叱りもせず再雇用したなどというのは、さすがにヤンキーさんであると言わねばなるまい。

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