スナーク号の航海(63) - ジャック・ロンドン著

カッターのところまで行く途中、タハアで唯一の白人男性に会った。ニューイングランド出身のジョージ・ルフキンだ! 八十六歳。本人によれば、四十九のときにゴールドラッシュでエルドラドに行ったり、カリフォルニアのツゥーレアの近くの牧場に短期滞在したそうだが、そうした短期の不在をのぞけば、この六十数年間をソシエテ諸島で過ごしてきたのだという。医者に余命三ヶ月と宣告されてから南太平洋に戻り、八十六歳になるまで生きてきたが、余命宣告した当の医者たちはとっくに死んじまったと含み笑いを浮かべた。彼もフィーフィーをわずらっていた。現地語で象皮病を指し、フェイフェイと発音する。この病気にかかったのは四半世紀前で、死ぬまで直ることはあるまい。親類縁者はいないのか、と聞いた。隣にいた六十歳ほどの快活な女性が娘だった。「この娘だけさ」と、彼は悲しげに言った。「娘の子は死んじまったし、ほかにはもう誰もいない」

カッターは小さくて、一本マストで前帆と主帆を持つスループ型の帆船でもあったが、タイハイイのカヌーと並べると巨大に見えた。礁湖に出ると、強風を伴うスコールに襲われた。カッターはスナーク号に比べると想像上の小人国の船のように小さかったが、どっしりとしていて、まったく安定感があった。乗組員の腕もよかった。タイハイイとビハウラも見送りにやってきた。ビハウラも腕のいい船乗りだとわかった。カッターは十分なバラストを積んでいたので安定していた。スコールに襲われたときもフルセールで帆走していたのだ。暗くなり始めていた。礁湖にはところどころサンゴが群生していて、ぼくらはその上を進んだ。スコールが激しくなってきたところで、タックしようと船首を風上に向け、サンゴの群生地を迂回した。コースも短縮されるし、海底まで一フィートもなかったからだ。反対舷に風を受ける前にカッターは「死んだ」状態になった。風に吹き倒されかけたのだ。ジブシートとメインシートを緩めると、船は起き上がったものの風に立ってしまった。風上を向いたところで、それ以上は向きを変えることができず、船の勢いがとまってしまった。三度試みて、そのつど横倒しになりかけた。シートを緩めて風を逃がしつつ、三度目にやっとのことで風軸をこえて反対舷で風を受けることができた。

次にタックするまでの間にすっかり暗くなった。そのころには、ぼくらはスナーク号の風上側に出ていた。スコールは居丈高な音を響かせていた。メインを下ろし、小さなジブだけにした。スナーク号は二本の錨をがっしりきかせていたが、カッターはそこを通り過ぎてしまい、もっと岸よりのサンゴに座礁してしまった。スナーク号から一番長いロープを繰り出してもらって一時間ほど四苦八苦したあげくにカッターを引き出し、無事にスナーク号の船尾につないだ。

その日、ぼくらはボラボラに向けて出帆したのだが、風が弱く、タイハイイとビハウラがぼくらと会う予定だったところまでエンジンをかけて機走した。サンゴ礁に囲まれた陸地まで来て友人たちを探したが見つからない。気配もなかった。
「待てないぜ」と、ぼくは言った。「この風じゃ暗くなるまでにボラボラには着けないだろうし、必要以上にガソリンは使いたくないしな」

そう、南太平洋ではガソリンが問題なのだ。次にいつ手に入るか、誰にもわからない。

と、そのとき、タイハイイが木々の間から姿を現して岸辺までやってきたのだ。シャツを脱ぎ、それを激しく振った。ビハウラはまだ用意ができていないようだった。乗船してきたタイハイイは、この陸地に沿って彼の家の対岸まで行かなければならないと伝えた。サンゴ礁を抜けるときには彼が舵を握った。すべて通り抜けるまで、要所でうまく導いてくれた。歓迎する叫び声が浜辺から聞こえてきた。ビハウラが何人かの村人の助けを得て二隻のカヌーに荷物を載せてやってきた。甲板には、ヤムイモや、タロイモ、フェイス、パンノキ、ココナツ、オレンジ、ライム、パイナップル、スイカ、アボカド、ザクロ、魚がところ狭しと積み上げられ、コッココッコと鳴いたり卵を産んだりするニワトリもいれば、いまにも屠殺されるんじゃないかと不安にかられてブーブーと鼻をならしている、生きたブタもいた。

月あかりの下で、ボラボラ島のリーフの間を通っている危険な航路を抜け、ヴァイタペ村の沖会いに投錨した。ビハウラは主婦らしく心配し、迎える準備が整う前にぼくらが到着してしまわないよう上陸をぎりぎりまで遅らせた。彼女とタイハイイがボートで小さな突堤まで行く間、静かな礁湖に、音楽や歌声が流れていた。ボラボラ島の連中はとても陽気だったが、ソシエテ諸島ではどこもそうだった。チャーミアンとぼくは海岸まで行って見物し、忘れ去られた墓所のそばにある村の共有草地で、花冠をつけたり花で飾り立てたりした若者や娘達が踊っているのを見た。髪には不思議な光を帯びた花を差し、それが月明かりに光ったりしていた。浜辺には、長さ七十フィートの巨大な楕円形をした草の家があり、そこで村の長老たちが賛美歌のような歌をうたっていた。彼らも陽気で花冠をつけており、ぼくらを迷える羊のように家の中へと迎え入れてくれた。

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ライアテアで、スナーク号を訪問してくれた人々

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