現代語訳『海のロマンス』35:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第35回)

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遠く離れた地から哀悼(あいとう)

大正元年九月十三日! いかに厳(おごそ)かにして悲しき日なることか。天地ただ喪(も)に服すさびしさのうちに、秋も深まっていくが、この日はすぐれた元首にして聖なる方の葬儀が行われる日である。

遠く、五千浬(マイル)あまり離れた地から、涙にくれた悲しい想いを母国の空にはせれば、心に映ずる万象のおもかげのいかに暗澹(あんたん)たることか。いかに厳粛(げんしゅく)なることか。すすり泣くような笙(しょう)やひちりき*1の神楽(かぐら)の響きに次いで、むせぶがごとき「哀(あい)の極(きわみ)」*2は、千載一遇の思いで大行幸を見送るために集まった国民の憂愁(ゆうしゅう)の胸に、どう響くのだろうか。

*1: 笙やひちりきは、雅楽で演奏される管楽器(笛)の一種。
*2: 「哀の極」は、明治政府に招かれていたフランツ・エッケルト(1852年~1916年)が作曲した葬送行進曲。
昭和天皇の大喪(たいそう)でも演奏された。

一様に漆黒(しっこく)なる悲しみの色に閉ざされた青山通りの夕闇の景色よ。真昼の光明(ひかり)をも蹴落(けおと)さんばかりに街並みにかがり火が焚(た)かれ、人知れぬ力なき悲哀(かなしみ)の影がそこにあるだろう。鯨幕(くじらまく)長旗(ながはた)*3はうるわしげに地に影を落とし、うち並ぶ海兵陸兵の長き列は、永久(とこしえ)に目ざめることのない偉大なる眠りを載せてしずしずと厳(おごそ)かに進んでいく御車(みくるま)をつつしんで見送っている、生きた埴輪(はにわ)のようにも見えることだろう。

*3: 鯨幕は、告別式などで張られる白と黒の幕。長旗は、儀礼などで用いられる長い旗(「ちょうき」とも)。

かかる荘厳(そうごん)でおごそかな装(よそお)いのただなかを、立派な行列がいとしめやかに淡々と進んでいく。今上陛下(こんじょうへいか)を始めとして、英国、ドイツ、スペインからの名代たる高貴な方々、合衆国やフランスなどからのの特使、内外の英傑や高位の将軍たちが付き従っていることが、なんとも気高く壮大なる趣(おもむき)を与え、この式典に鮮やかな色を添えている。自分の目で拝見することはできないとしても、神秘的で、雅(みやび)で華麗なる想像にふけるとき、腸(はらわた)がちぎれるような心地がする。

かくて歴史小説や芸術で、また探勝の地として、そのゆかしき名を知られている桃山の地は、東西古今(とうざいここん)を通じて、比類(たぐい)もなく大胆かつ慈悲深い統治を行って人心への影響を明治という御名の下(もと)に残された大君(おおぎみ)の安らかなる陵墓(りょうぼ)として、これからもますます世に広まり渡っていくだろう。来年の十月に世界一周を終えて再びなつかしい祖国の土を踏んだならば、まずこの尊き地を訪れたいというのが、大成丸の乗員が心に決めたことであった。

旭(あさひ)の御旗(みはた)がひるがえるところは国の領土の一部であるという。その一部である船上に住んでいる二百人の住人はひとししく追慕(おもいで)多き九月十三日を、五千浬(マイル)も離れた東方からはるかに拝もうと、午前九時半、総員が後甲板(こうかんぱん)に集まった。やがて、うちしおれたる半旗と哀曲「哀(あい)の極(きわみ)」とは、陽気なサンディエゴの大気をゆるがせ、六万の市民の耳を驚かせて響いた。この日を最後として、半旗は一番上まで掲揚されることになったのだが、悲愴の印象は深く胸に刻まれた。

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この日、当地の新聞サンディエゴ・ユニオン紙に乃木(のぎ)将軍夫妻のハリカリ(腹切り)と題する、驚くべき悲報が載せてあった。いわく、

「旅順(りょじゅん)攻落の名将として雷名(らいめい)を世界に馳(は)せた陸軍大将で伯爵の乃木希典(のぎぎてん)氏は、九月十三日夜、みかどの大葬を青山原(あおやまはら)に送り、棺(ひつぎ)につき従っていたが、いきなり行列進行中に、自分から軍刀を腹にさして倒れた。彼の妻もその死を聞くと、自邸においてただちに彼の死にならった。乃木将軍は日本陸軍部の最も強直廉潔(ごうちょくれんけつ)の士にして、その肉体的な損失はともかくとしても、精神的な影響は相当に大きなものとなることだろう。彼の死は、古来より日本において君主の死去の際に行われる殉死(じゅんし)なるものであって、最も荘重なる、最も献身的なる忠直心の表示、最も神聖なる武士道の極致と思われる。とはいえ、このハリカリ(腹切り)なるものは、われわれの想像しうるすべての超物質観念とはまったく別種のものであるので、読者に了解してもらえるよう上手に説明ができないのが残念である。」

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