天測航法10─陸が見えるときの航法

今回は陸が見えるときの航法について

沿岸航海での位置の確認は地文航法となり、天文航法とは別物。とはいえ、方位線とか位置の線といった概念は二次元か三次元かの違いがあるだけで考え方そのものは同じなので、最低限必要な地文航法の知識があれば、天文航法の位置の線の概念もわかりやすくなる。

●海図で確認できる陸の目標(物標)が複数ある場合

海図を見ると、水深など海の情報は豊富に記入されているが、陸上はすかすか(白紙の部分が多い)。これは海上から見て目立つ目標物(山頂、灯台など一目でわかるもの)だけを示すためである。
で、それが二つ以上確認できる場合、クロスベアリングという方法で船の位置を知ることができる。

クロスベアリング
chimon-1
図を見れば一目瞭然だが、方位磁石で山頂Aが50度の方角に見え、灯台Bが100度の方角に見えたとする(ここで角度はすべて、方位磁石の偏差と自差分を加減したものとする)。

海図でコンパスローズの50度の線に定規を当て、それを山頂Aまで平行移動させて線を引く。これを方位線という。船はこの方位線上のどこかにあるはずだ。
次に、同じ手順で灯台Bの方位線を引く。
船はこの方位線上のどこかにあるはずだ。
つまり、船は、この二本の方位線が交わったところにある。
これを交叉方位法(クロスベアリング)という。

物標と物標はある程度は離れていたほうが精度があがる(少なくとも30度)。
さらに第三の物標Cがあり、その方位がわかればさらに精度がよくなる。その場合、三本の方位線は一点で交わるはずだが、実際にはなかなかそううまくいかない。
chimon-2

こんな感じで、三本の線で三角形(誤差三角形)ができてしまうことが多い。この三角形は、作業になれるにつれて、だんだん小さくなる(精度が高くなる)。この三角形の中央が船の位置になる。

この方法で六分儀を使うこともできる。六分儀を水平に構えて、AとBの角度、BとCの角度を測定する。
その角度を海図とは別の薄い紙(トレーシングペーパー)に描き、それを海図に重ね、それぞれの線をA、B、Cに合わせると、交点が船の位置になる。

※方位を測定する際の注意点
2カ所または3カ所の方位を測定する場合、船の前方と後方(船首尾方向)にある物標の方位を先に測定し、横方向の物標を後にする。
船が動いていれば後者(横方向)の変化が早いためだ。

●陸の目標が一つしかない場合
四点方位法、船首倍角法、両側方位法(ランニングフィックス)などがあり、それぞれ基本的な考え方はほぼ同じ。
四点方位法と船首倍角法について簡単に説明し、その後で実用性が高いランニングフィックスの手順を説明しよう。
いずれも二等辺三角形の性質を使ったもので、船は同じ進路、同じ速度を維持するのが前提になる。

四点方位法
船の進行方向(針路)から45度の位置にある物標を探し、時間と船の速度を記録しておく。
そのまま進んで、物標が真横に来たときの時間を記録する。
その間にかかった「時間×速度」で船が移動した距離がわかり、それはそのまま物標との距離にもなるので、船の位置が決まる。
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船首倍角法
手順は四点方位法と同じだが、角度が45度に限定されないので利用可能な状況が増す
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船の針路から物標までの角度を測り、時間と速度を記録しておく。
そのまま進んで、物標がさきほどの角度の2倍になる位置に来たところで時間を記録する。
その間の「時間×速度」が物標までの距離になるので、船の位置が決まる。

ランニングフィックス
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1.A点で、物標の方位と時間を記録する。
2.船の進行方向と方位の線を海図に線で引く。
方位線はコンパスローズを使って正確に引くが、
進行方向の線については物標からの距離はだいたいでよい。
3.そのままの方向と速度でしばらく進んでから、もう一度物標の方位を測定し、その方位の線を海図に記入する。
4.進んだ時間×速度で出た距離の分だけ、最初の点Aから測って進行方向の線に印(B)をつけ、Bが2番目の方位線と重なる位置まで線分ABを進行方向の線に対して平行移動させる。
その点が船の位置になる。

●六分儀を使って距離を知る
たとえば、船から見えるところに島や山がある場合、その高さを六分儀で測ることで船の位置を知ることもできる。
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上図で、山頂直下までの距離を x m、山の高さを h m、仰角をΘとすると

Tan Θ = h / x

これを整理すると、距離 x =h / tanΘ

天測計算表には三角関数表も掲載されているので手計算でも可能だが、関数電卓を使うと手っとり早い。

山頂から方位の線を引き、計算した距離の分で印をつければ、それが船の位置になる。

数字はメートルなので、海図上でディバイダで距離を移す場合は、海里に直しておく。
1海里=1852m

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スナーク号の航海 (85) - ジャック・ロンドン著

ところで、ツーマッチは、元の英語と異なり、ピジン語では何か過剰なことを示すのではない。単に一番上だということを指す。ある村までの距離を原住民にたずねると、答えは「近い(クローズアップ)」「ちょっと遠い(ロングウェイ、リトルビット)」「だいぶ遠い(ロングウェイ、ビッグ」か「とても遠い(ロングウェイ、ツーマッチ)のどれかとなる。とても遠いは、村まで歩いては行けないというのではなく、村が「かなり遠い」場合よりもさらに歩かなければならない、という意味になる。

ガモンは嘘をつく、誇張する、冗談を言うという意味だ。メアリーは女性。女性はメアリー。女性はすべてメアリーという風に。このメアリーについてはっきりしているのは、かつてやってきた最初の白人の冒険者が現地の女性を気まぐれにメアリーと呼んだことによる。ピジン語には、似たような成り立ちを持つ語句は他にもたくさんある。白人の男たちはみな船乗りだったため、転覆(キャプサイズ)や叫ぶ(シングアウト)という言葉がもたらされた。メラネシア人のコックに食器を洗った後の水を捨てろと言っても通じない。そういう場合は、食器を転覆させろと言えばよい。シングアウトは叫ぶ、大声で呼ぶ、単に話すことを指す。原住民のキリスト教信者は神がエデンの園でアダムを呼んだのではなく、神はアダムに怒鳴ったのだ、となる。


フィン・ボリから――マライタ島

サヴイ(わかる)やキャッチイ(つかまえる)は、ピジン英語がそのまま持ちこまれた唯一の言葉だ。人々は色黒なのでピカニニイ(黒人の子供)という言葉もあるが、変わった使い方をする。カヌーに乗った原住民からニワトリを買おうとすると、その原住民はぼくに「ピカニニイ、仲間といるの、やめてほしいのか」と聞いてきた。そうして、ひとつかみの卵を見せてくれたのでやっと、ぼくにはその意味がわかった。マイワード(おやまあ)は、とても大事だということを示す感嘆の言葉として英本国から来たのだろう。パドル、櫂、オールはウォッシーと呼ばれる。ウォッシーも動詞として使う。


マライタ島の美女

ここに、サンタアンナで現地人の交易商人のピーターが口述した、雇用主宛の手紙がある。スクーナーの船長のハリーがその手紙を書いてやったのだが、ピーターは二文目が終わったところでやめさせた。手紙のそれから後は、ピーター自身の言う通りに筆記された。というのは、ピーターはハリーがひどいでたらめを書いているのではないかと疑い、自分が本社に行く必要性について率直に語ろうとしたのだ。

サンタアナにて
「交易業者のピーターは御社のために十二ヶ月間働いていますが、まだ支払いを受けておりません。彼は十二ポンドほしいと言っています」(ここで、ピーターの口述を筆記したものに変わる)。「ハリーはいつもでたらめをいう、ひどく。わたし、ほしい、ビスケット六缶、米四袋、ブラマカウ二十四缶。わたし、好き、ライフル二丁も。わたし、ボートで見張ってる。行く場所で悪いやつに会う。そいつは食べようとする、わたしを」
ピータ

ブラマカウは牛肉の缶詰だ。この言葉は、交易業者がメラネシアからもちこんだ英語をサモア流にくずしたものだ。クック船長や初期の航海者たちは種や植物、家畜を原住民にもたらした。そういう航海者の一人が雄牛と雌牛を上陸させたのがサモアだった。「これが雄牛(ブル)アンド雌牛(カウ)だ」と、彼はサモア人に言った。彼らは動物の種類を言ったのだろうと誤解し、それから現在まで、生きた肉牛や缶詰の牛肉はブルアマカウと呼ばれている。

ソロモン島民はフェンスと発音できない。それで、ピジン語ではフェニスとなる。ストアはシットアで、ボックスはボッキスだ。衣装箱もボックスで、ベルが取りつけられていて、開けると警戒音が鳴るものがある。そういう仕組みの箱は単なるボックスではなく、ボッキス・ビロング・ベル(ベルのついた箱)と呼ばれる。


彼は白檀の交易商人もナマコ猟師も知っていた

「フライト(恐怖)は、ピジン語でこわいだ。原住民がびくびくしているので、どうしたんだと聞くと、こういう返事が戻ってくる。「ミー、フライト、アロングユー、ツーマッチ(わたし、こわい、あなた、とても)」 嵐や原野、幽霊の出る場所をこわがることもある。クロスは、あらゆる形の怒りになる。男は不機嫌なときクロスとなる。また、君の頭を切り落とし、食っちまおうと狙っているときもクロスだ。プランテーションで三年も働いた出稼ぎ男が、マライタ島の自分の村にもどることになった。彼はあらゆる種類の派手でピカピカした服を着ていた。頭にはシルクハットをのせている。更紗やビーズ、ネズミイルカの歯、たばこを詰めた衣装箱も持っていた、投錨後すぐに村人たちが乗船してきた。この農園帰りの男は、不安げに親戚たちを探した。が、誰もいなかった。原住民の一人が彼の口からパイプを抜き取った。もう一人はビーズの首かざりを奪った。三人目は派手な腰巻きをはぎ取り、四人目はシルクハットを自分の頭にのせたまま返さなかった。最後に、連中の一人が三年間の労働の報酬である彼の衣装箱を抱え上げて、船に横づけしていたカヌーに放り投げた。「あいつはお前の仲間なのか?」と、船長が略奪している連中を指さし、出稼ぎ男にたずねた。「いや、ちがう」という返事。「じゃあ、なんでこんなところであの箱を下ろさせるんだ?」と、船長は憤然として言った。出稼ぎ男は「わたし、あいつに話しかけ、ボッキスをとるなというと、あいつ、わたしに怒る」と言った。つまり、そんなことをしたら、もう一人の男が自分を殺す、というのだ。クロスは、洪水を発生させた神は人間に対してクロスして(怒って)いた、という風に使う。

天測航法 9─太陽や月、星が観測できないときの推測航法

太陽などの天体は天候が悪ければ測定のしようがない。それに毎日正午に天測するにしても、その間の位置も可能であれば知っておく必要がある。
そのときに用いられるのが推測航法(Dead Reckoning navigation、略称は DR)である。
航海術としては最も単純かつ確実で、直感的にわかりやすい。

十五世紀にインドへの新しい航路を探るつもりで新大陸(の周辺の島々)を思いがけず発見してしまったクリストファー・コロンブスの航海術も、基本は推測航法だった。
古代からあるアストロラーベや当時最新の四分儀を用いて北極星の高度を観測したりはしたようだが、航海日誌を見ると、かなりの誤差が生じたりして、あまり信頼できなかったようだ。その時代、六分儀はまだ登場していない。

コロンブスは詳細な航海日誌を残した最初の大航海家だが、その航海の大半はこの方法によったらしい。

推測航法とは、「方位磁石(コンパス)で船が進んでいる方角を調べ、その方向に船が進んだ速度と時間から航海距離を算出し、それを海図上に作図」して、船の現在位置を知る方法である。
コロンブスの時代は砂時計とトラバースボードを用いて約30分おきに記録していたが、普通はそれを1時間ごとに繰り返す。

海図には必ず真方位と磁針方位を同心円で示したコンパスローズというものが印刷されている。

コンパスローズの方位に合わせ、前回に確認した船の位置と重なるまで平行移動させて、進行方向に線を引く。

直線の平行移動には日本では三角定規二枚を組み合わせて使うのが一般的だ。欧米のヨットでは、平行定規という小さな車輪がついたものを使うことが多い。どちらでもかまわないが、コンパスローズでは磁針方位を使うのか真方位を使うのかは明確に(意識して)区別しておくこと。

そして、所定の時間に進んだ距離(速度×時間)分の長さを二本足のディバイダ(作図用コンパスでもよい)で海図の左右の縁に印刷してある緯度の目盛りから取って、引いた線の上に印をつける。
それが現在位置になる。

距離は 1’(1分)=1海里(1852 m)
速度は 1ノット=時速1海里

経度はそのときの場所によって幅が変化するので、海図で距離を測るときは、必ず緯度の目盛りからとること。

進行方向、速度、時間について、注意点を順に説明する。

進行方向―偏差と自差
進行方向は方位磁石でわかるが、地球の回転軸(地軸、真北)と磁石の指す北(磁北)にはズレがある。このズレを偏差(Variation)と呼ぶ。

偏差は海図に記載されている(地域ごとに異なる)。
磁北は絶えず移動しているため、海図を作成したときから年数を経ていれば、その分の修正も必要になる。作成年と、1年でどれくらいズレていくかも海図には記載されているので、その分も加算して修正する必要がある。

また、方位磁石(コンパス)には、それぞれの船特有の自差(deviation)というものが存在する。これは磁石が船の金属などの影響を受けることによるズレだ。

船舶用の方位磁石にはこれを修正する方法が用意されていることが多い(補正用のネジや薄い金属片の挿入など)。それでも解消しきれないズレは、航海前にあらかじめ、船がどの方向を向いたときに何度くらいズレが生じるのかを確認して一覧表やグラフにしておき、方位磁石の示す値にその分を加減することになる。

コンパスの自差測定の手順

1.トランシット法
陸の見える場所では、海図に記入されていて同時に同じ方向に見える二つの目標物を探す。たとえば、港の灯台とその背後にある山の頂上などだ。

その二つを結んだ線の延長上(トランシットという)に船を移動させ、その線上から外れないようにして(たとえば、灯台と山頂が上下に重なる位置を維持しながら)船の向きを東西南北とその中間の八方位に順次向けていき、その都度、トランシットがどの方角になるかを記録する。
海図で測ったトランシットの方角と、八方位における測定値との差が自差になる。自差がなければ、すべて海図と同じ角度になるはずだ。

具体的には、トランシットが海図上では60度の方角になるはずなのに、南東の位置で測ったときに63度だったとすると、「船が南東を向いているときは、方位磁石は+3度ズレている」ことになる。これは船の方向によって少しずつ変わることが多い。

2.遠方物標法
陸の見えない外洋で自差を測定するには、太陽のような非常に遠い天体を選び、船を旋回させて順に上述の八方位に船首を向け、その都度、天体の方位を測定する。
8方位での測定値を合計し、また8で割って平均値を出す。
その平均値と各8方位での測定値の差が自差になる。

速度―対水速度と対地速度
ヨットなどで使用する速度計には、船尾から垂らし水の抵抗でくるくる回る回転数を調べる曳航式ログや、船体に取り付けた小さな水車のようなものなど各種ある。なれてくれば大体何ノットくらいで走っているかの検討はつくようになるが、計器を使った方が誤差は少ない。

重要なのは、速度には海面を何ノットで進んでいるのかという対水速度と、実際に地表面に対してどれくらいの速度で進んでいるのかという対地速度があり、それを明確に区別するということだ。

一般的な速度計は対水速度を示すもので、仮に速度が5ノットの表示だったとして、海流や潮流が同じ方向に2ノットで流れていれば、実際には(動かない地面からすれば)5+2=7ノットで走っていることになる。
潮の流れが正反対だとすると(逆潮)、5ノットの表示が出ていても、実際には5-2=3ノットでしか動いていないことになる。
海図に作図するときは対地速度で計算したものを使う。つまり、対水速度については、そのときの潮流や海流がどっちの方向にどれくらいの速さで流れているかも考慮しなければならない。

ちなみにGPSで示される速度は対地速度だ。

これを使えば簡単だが、だったら六分儀で天測するまでもないという最初の話に逆戻りしてしまう。
いずれにしても、この方法がだめなら、あの方法、それが無理ならこっち……と、いざというときの選択肢は多いほど安全係数は高くなるので、知っていて損はない。

六分儀を使った訓練を一度は中止した米国の沿岸警備隊が、最近になって六分儀の教育を再開したが、これもそうしたことの裏付けになるだろうか。

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スナーク号の航海 (84) - ジャック・ロンドン著

第十六章

ピジン語*1

白人の交易商人の数が多いこととエリアが広いこと、原住民の言語や方言が二十以上もあるということになれば、交易商人たちは、まったく新しい、科学的とはいえないものの、完全に実用に適した言葉を作り出す。そうやって実際に作り出された言葉の例が、ブリティッシュ・コロンビアやアラスカ、北米のノースウェスト地域で使われているチヌーク語だ。アフリカのクルメン族の言葉や極東のピジン英語、南太平洋西部のピジン語もそれに該当する。このピジン語というやつ、広い意味でピジン英語と呼ばれることが多いが、いわゆるピジン英語とははっきり違っている。どれくらい違っているかについては、中国語で伝統的な数に関係してピーシーを使うことがないという事実を指摘すれば十分だろう。

たとえば船長が現地人のボスを船室に呼ぶ必要があり、そのボスが甲板にいるとする。船長は中国人の接客係には、こう指示する。「ヘイ、ボーイ、ユー、ゴウトゥ、トップサイド、キャッチー、ワン・ピーシー・キング(おい、君、上まで行って大将をつかまえてきてくれ)」 接客係がニューヘブリディーズ諸島かソロモン諸島出身だったら、その指示はこうなる。「ヘイ、ユーフェラ、ボーイ、ゴウ、ルックン、アイ、ビロンギューアロングデッキ、ブリングン、ミーフェラ、ワン、ビッグフェラ、マースター、ビロング、ブラックマン(おい、そこの君、甲板まで探しに行って、この私のところに黒人の大将を連れてきてくれ)」

初期の開拓者たちの後にメラネシアを航海した最初の白人たち、ナマコ漁の漁師や白檀の売買商人、真珠取り、労働者を集めてまわる者たちがピジン語を発明したのだ。たとえば、ソロモン諸島では、二十もの言語や方言が話されている。交易商人たちがそうした方言を覚えようとしても無理である。というのも、行く先々で言葉が違うし、それが二十もあるのだ。共通の言語が必要だ――子供でもおぼえられる、単純で、実際に使う現地の連中のオツムの程度に合わせて語彙も制限された言語が。交易商人たちは理詰めでそういうものを案出したのではない。ピジン語は条件と状況の産物である。機能が組織に先行している。ピジン語が誕生する前から、まず統一されたメラネシアの言語の必要性があったのだ。ピジン語はまったく偶然の産物だった。しかも、言語は必要性から生まれるという事実に裏づけされたピジン語の由来は、エスペラント*2の信奉者にとっても大いに参考になるだろう。

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マライタ島の男

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マライタ島の美女

語彙が限定されるため、一つ一つの言葉には多くの意味が割り当てられることになる。ピジン語でフェラ(やつ)は、一人を指す場合もあるし、可能なあらゆる結びつきで使用されることもある。よく使われるもう一つの言葉は「ビロング(属する)」である。単独では使わない。すべて関係性において使用される。ほしいものは、別のものとの関係で示される。未発達の語彙では表現も素朴になる。雨が降り続くことは、レイン、ヒー、ストップ(雨、やめ)と表現される。サン、ヒー、カムアップ(日が昇る)は誤解の余地がないが、語句の構造自体は変えず、一万通りもの異なる意味を伝えられる。たとえば現地の人が君に、海に魚がいるのを知らせようとする場合、「フィッシュ、ヒー、ストップ(魚、いる)」と言うのだ。イザベル島での取引の最中に、ぼくはこの用法の利便性を悟った。ぼくはペアの大きな(三フィートもある)クラムシェルを二つ三つほしかったのだが、内部の肉は別にいらなかった。もっと小さいクラムの肉でクラムチャウダーを作りたかった。それで、ぼくの原住民への頼は最終的にはこうなった。「ユーフェラ、クラム――カイカイ、ヒー、ノーストップ、ヒーウォークアバウト。ユーフェラ、ブリング、ミーフェラ、スモールフェラ、クラム――カイカイ、ヒー、ストップ(君、クラム――食べ物、いらない、肉はよそに行く。君、持ってくる、ぼくに、小さいクラム――食べるやつ、いる)」

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ベラ・ラベラの男

カイカイとは、食い物、肉、食事を指すポリネシア語だ。だが、この言葉は白檀の交易商人によってメラネシアに持ちこまれたのか、ポリネシア人が西に流されて伝わったのかは、よくわからない。ウォークアバウト(歩きまわる)という表現は、ちょっと変わった使い方をされる。ソロモン諸島の船乗りにブームを扱うよう命じると、彼は「ザッツフェラ、ブーム、ヒー、ウォークアバウト、ツーマッチ(あいつ、ブーム、うごきまわる、ひどく)」と言うのだ。そしてその船乗りが海岸での自由を求めた場合、ウォークアバウトするのは自分だと述べるのだ。その船乗りが船酔いすると、彼は自分の状態について「ベリー、ビロング、ミー、ウォークアバウト、ツーマッチ(胃、オレの、むかむか、とても)」と説明するだろう。

訳注
*1: ピジン語(Bêche de Mer English)。Bêche de Merはフランス語でナマコを指す。ソロモン諸島付近はナマコの産地でもあるので、そう呼ばれる。
英語は世界のいたるところで話されているが、現地の言葉と組み合わされ、独特の方言として定着したものも多い。東南アジアから南太平洋にかけてのそれは特にピジン英語と呼ばれる。これは一説には中国語の business がなまってピジンと聞こえるためともされる。
たとえば、日本のテレビドラマで日本語のできる中国人という設定の登場人物が、語尾に「~あるね」という独特の表現を使ったりするが、こういう日本語はいわば「ピジン日本語」になる。その英語版がピジン英語だ。

*2: エスペラント。ポーランドの眼科医で言語学者のL.L.ザメンホフが世界共通の言語をめざして作った人工の言葉。文法は単純明快で、スナーク号の航海の二十年ほど前に発表されたばかりだった。二十一世紀の現代から見ると、なぜ当初予想されたように普及しなかったのかのヒントがここにあるかもしれない。つまり頭脳明晰な人が考え出した論理的で合理的な言語が必ずしも人間にとって現実に必要な言葉になるとは限らない、ということだ。

天測航法 8─六分儀の使い方

ここでは、六分儀の使い方について理解しよう。

六分儀は、船の航海で天体の位置(角度や高度)を観測して現在位置を知るために必須の道具で、帆船やヨットの外洋航海では、こんな光景がよく見られる。
sextant-jacklondon
観測しているのは『野生の呼び声』などの作品で知られる作家、ジャック・ロンドン (『スナーク号の航海』より)

ひとくちに六分儀といっても、時代やメーカーによってさまざまなので、一般に共通する部分の名称を示し、その仕組みについて説明する。

4-1 各部の名称

写真は、日本で六分儀の代名詞になっているTAMAYA製のMS-733。
わりと新しい、ごく標準的なもの。軽合金製で重さは二キロ弱。
これを重いと思うか軽いと思うかは、使う人の体力と体調によるだろう。
長期の航海で疲れているときは、これを構えるだけでも結構な重さに感じることもある。

(1) 望遠鏡 telescope
(2) 動鏡 index mirror
(3) シェードグラス index shades
(4) 水平鏡 horizon mirror
(5) シェードグラス horizon shades
(6) 弧(アーク) arc
(7) 儀面 body
(8) マイクロメータ micrometer
(9) バーニャ vernnie(10) 指標棹 index arm
(11) レバー release levers(12) ハンドル handle

それぞれ役割
(1) 望遠鏡は、もちろん、ここに目を当ててのぞく。
(2) 動鏡(インデックスミラー)は天体をここに反射させて水平鏡に像を送る。
(3) シェードは濃淡が数段階あり、太陽を見るときは濃い色を使用する。
(4) 水平鏡は望遠鏡から素通しで水平線が見えるが、同時に動鏡からの映像を反射させて望遠鏡に送る働きもする。
(5)シェードは(3)と同じ。天候など周囲の状況によって適したものを選ぶ。
(6) 弧(アーク)はスケールともいい、1度ごとに目盛りが刻んである(-5~+125)。
(7) 扇形の儀面は鏡や望遠鏡を取り付ける本体部分。
(8) マイクロメータはアークの角度の微調整を行う。
(9) バーニャでは1度以下の角度を読む(0.2’)。
(10) 指標棹(インデックスアーム)を動かして角度を調整する。動鏡と一体。
(11) 指標棹の下にあるレバー二本を同時につまむと指標棹が動く。離すと固定される。
(12)ハンドルは写真に見えている側の裏側にあり、右手で持つ。

4-2.天体と水平線を見る仕組み

tamaya-sextant
上図でわかるように、天体の映像は動鏡で反射して、水平鏡に送られ、そこからさらに反射されて望遠鏡に送られる。
と、同時に、望遠鏡の視界には水平線もそのまま見えている。
天体の映像と水平線の実像が一直線に並ぶように、指標棹(インデックスアームの角度を調節する。
レバーで大体合わせ、マイクロメータを回して微調整する。

4-3. 実際の観測手順
A.六分儀を調整する。
(1) 動鏡(インデックスミラー)と水平鏡(ホライゾンミラー)は儀面(本体)と直角になっていなければならない。

確認し調整する方法はメーカー/製品によって異なるので、それぞれの説明書を見て確認する必要があるが、たとえば、動鏡が直角かどうかは「鏡に映る弧と直接に目で見える弧が直線になっていれば直角、屈折していれば直角ではない」といったことでわかる。近くに調整ネジ(または類似の仕組み)があるはずなので、それで調節する。

水平鏡の直角は普通に縦にして持ったときの「水平線と映像が一直線になっている」状態で、そのまま六分儀を倒していって水平にしてもなお「一直線」であれば直角、そうでなければ直角ではないので、ネジ等で調整する。

(2)器差(インデックスエラー)の改正

指標棹(インデックスアーム)を弧の00’に合わせたときに、動鏡と水平鏡は平行になっていなければならない。

指標棹(インデックスアーム)を00’に合わせて、水平線を見る。
sextant-image01
こうなっていればOK。
sextant-image02
こうなっていれば調整ネジで一直線になるようにする。

さらに正確さを確認するには、そのままの状態で六分儀を傾けて、なおかつ一直線になっているかチェックする。必要に応じて調節する。
ただし、どう調節しても段差が消えない場合は、マイクロメータで指標棹を動かして一直線にし、その時の角度をメモしておき、後で計算により加減する。

B.調整終了後、実際に天体の角度を測る。
太陽を見る場合はかならず濃いシェードを使うことを忘れないように。

ヒント: 体がふらふらしない場所や体勢を確保し、天体のおよその高さを推測して、あらかじめ六分儀をその角度にしておくと、割と楽に天体と水平線の両方を捕らえることができる。
望遠鏡に水平線と太陽の両方が入ったら、マイクロメータで微調整して位置を合わせる。
sunandhorizon
普通はこのように太陽の下辺を合わせる。

C.目盛りを読む。弧(アーク)は度単位なので、それ以下はマイクロメータとバーニャで読む(0.2’単位)。目盛りの中間は比例させて読む。

4-4 人工の水平線を使う

実際に海に出ると、太陽などの天体は見えるのに水平線がはっきりしないことはよくある。代表的な例は海霧だが、それに限らない。

で、そういうときに便利なのが人工水平線 (アーティフィシャルホライゾン)だ。
専用の器具がある。
多少の差はあるが、大体はこんな形をしている。
artificialhorizon-01

ま、洗面器のような容器に水を入れて、水面を通して太陽を見ても測定可能だが、風などで水面が揺れると映った像も揺れるので、専用の方が使いやすい。

仕組みはこうだ。
artificialhorizon
六分儀と人工水平線に差しこむ太陽からの光線は平行とみなすことができる。
水面の入射角と反射角は等しいので、●はすべて同じ角度になる。
つまり、六分儀で測定した角度を2で割ると天体の高度になる。

これは水平線の見えない陸上で六分儀による天体の高度観測の練習にも使える。
この場合、高度改正で、眼高による改正は不要になる。

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スナーク号の航海(83) - ジャック・ロンドン著

その夜、コールフェイルド氏は警告を発した。ぼくらが募集した労働者の一人に、貝の貨幣を五十ファザムとブタ四十匹の賞金がかかっているというのだ。船の略奪に失敗した森の民は、その男の首を狙うことにしたらしい。殺し合いが始まってしまうと、いつ終わるのかはわからない。それで、ヤンセン船長は武装したボートで浜辺まで行った。ウギというボートの乗組員の一人が立ち上がり、船長に代わって話をし、夜間にカヌーを見つけたら鉛弾を撃ちこんで沈めてしまうぞと警告した。ウギは宣戦布告したわけだ。そうして、次のように締めくくった。「おまえらがオレの船長を殺したら、オレは船長の血を飲んで一緒に死んでやる!」

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市場へ向かう海の民の女たち――マライタ島マル

森の民は腹いせに無人の宣教師館を燃やして森に引き上げていった。翌日、ユージニー号がやってきて投錨した。ミノタ号は三日と二晩の間、座礁していた。それからやっと離礁し、穏やかな海面に錨を降ろした。ぼくらは全員がそこでミノタ号に別れを告げてユージニー号に乗り移り、フロリダ島に向けて出発した*1。

原注1
スナーク号のぼくらだけに異常に病人が多かったわけではないと指摘しておくため、ここでユージニー号の航海日誌から、ソロモン諸島の航海の例とみなせるものを引用しておこう。

ウラバ、木曜、一九〇八年三月十二日
朝、ボートで上陸。2つの荷を入手。ゾウゲヤシの実とコプラ四千個。船長は熱病で寝こんでいる。

ウラバ、金曜、一九〇八年三月十三日
森の民から堅果1トン半を購入。航海士と船長が熱病で寝ている。

ウラバ、土曜、一九〇八年三月十四日
正午、揚錨し、東南東の微風でンゴランゴラへ向かう。水深八尋(ひろ)で錨泊――海底は貝とサンゴまじり。航海士、熱病で寝たまま。

ンゴランゴラ、日曜、一九〇八年三月十五日
夜明けに、ボーイのバグアが赤痢で死んでいると判明。罹患して約十四日目。日没時に、南西から激しいスコール。(二つ目の錨を用意した)。スコールは一時間三十分続いた。

海上、月曜、一九〇八年三月十六日
午前四時にシキアナに向けて針路を設定。風が落ちた。夜間、激しいスコール。船長ともう一人が赤痢に罹患。

海上、火曜、一九〇八年三月十七日
船長と二名の乗組員が赤痢で寝こむ。航海士は熱病。

海上、水曜、一九〇八年三月十八日
波が高い。風下側の舷はずっと海水に洗われている。縮帆したメインセールに、ステイスルとインナージブで帆走。船長ほか三名が赤痢。航海士は熱病。

海上、木曜、一九〇八年三月十四日
視界が悪く何も見えない。常に強風が吹いている。ポンプが詰まったのでバケツで排水。船長と五名のボーイが赤痢で寝こむ。

海上、金曜、一九〇八年三月二十日
夜にハリケーンなみのスコール。船長と六名が赤痢。

海上、土曜、一九〇八年三月二十一日
シキアナから戻る。終日、スコール。豪雨と高波。船長と元気だった乗組員が赤痢。航海士は熱病。

といった具合で、ユージニー号の航海日誌では来る日も来る日も、こんな調子で、船上のほとんどの者が病に倒れている。唯一の変化は三月三十一日で、この日には航海士が赤痢に倒れ、船長が熱病で寝こんだ。

天測航法 7─経度を知る

緯度に比べれると、経度の求め方は、かなりハードルが低くなる。
「なぜ太陽が真南にきた時間を知ると自分のいる位置(経度)がわかるのか」の項で簡単に説明したが、ここでは、ざっとおさらいをして、実践的な手順に進もう。

地球は1日に1回自転している。
一周ぐるっとまわる(360度)のに24時間かかることになる。
これで15度=1時間という関係が成り立つ。

この関係は海外旅行をするときの時差でおなじみだが、角度も時間もその下の単位は分、秒になる。

1時間=60分 1分=60秒

1度 =60分 1分=60秒

どちらも分と秒でまぎらわしいので、

時間の場合は、時間(h)、分(m)、秒(s)を使う。
緯度・経度の場合、度()、分( ′)、秒(″)を使う。

経度を知るには、その場所で太陽が真南にきたときの時間を計測し、それが経度0度のグリニッジ標準時(GMT)より何時間何分進んでいるか(または遅れているか)を調べて、その時間差を度に換算すれば、いまいる場所の経度が算出できる。

グリニッジ標準時より早ければ東経(E)、遅ければ西経(W)になる

現在ではグリニッジ標準時よりも協定世界時(UTC)を使うことが多いが、天測レベルでは両者は同じとみなしてよい。

天測では地動説より天動説の方が感覚的にわかりやすい。
太陽は24時間で地球をぐるっと一周する。
だが、正確に24時間ではなく、その速度も一定ではない。
だから、計算で経度を求める場合、実際の太陽の運行と計算上の運行には差があり、それを均時差というが、これを補正する必要がある。

[経度を求める手順]
1.太陽が真南に来たときの時間を確認する。
2.その時間を天測暦に記載されている均時差で修正する。
3.修正した時間を度数に換算する(=経度)。

ステップ1
まず太陽が真南にきたときの時間を知る必要があるが、これが意外にむずかしい。
方位磁石を使えば太陽が南にあるかどうかはわかるが、磁北と北点は必ずしも一致せず、方位磁石の示す方角が真南とは限らない。
だから、正確な時間を知るには、
(1) 真南になる少し前に六分儀で太陽の高さを測り、その時間を記録しておく。
(これを仮に t1 とする)。
(2) それから2、3分おきに太陽の高さを測り、時間を記録する。
(順に t2、t3……とする)

太陽高度は少しずつ高くなった後、こんどは少しずつ下がりだす。

(3) 下がり始めた太陽高度が t1 または t2 と同じ高さになった時間を記録する。
(仮に t6 とする)。

T1とt6の高さが同じだとすると、両者の時間の中間の時刻がその場所の正午(南中時刻)になる。

ステップ2
記録した時間を均時差で補正する。
(1) 天文暦で、その日のグリニッジの正午における均時差を確認する。

均時差とは、太陽が一定の速度で動くと仮定した計算上の正午と太陽が実際に南にくる時間との差で、その計算結果が日付ごとに天測暦に載っている。

◎太陽の二列目の値から12hを引くと均時差が得られる。

均時差 = (図のE◎の列にあるh m sの値)-12h

ほとんどの場合、均時差は数分程度だ。

その均時差を ステップ1 で記録した南中時刻に足す(または引く)。

例:その日の正午に実際の太陽が南中する時間(これを視太陽時という)が計算上の正午より1分10秒早かったとすれば、測定した時間から1分10秒引く(遅ければ足す)。こうした修正作業を補正という。

ステップ3
補正した時間を度数に換算する
均時差で補正した時間を度数に変換して経度を求める。
換算は24時間=360度で比例案分する(1時間=15度)。

時間と度の換算表

時間 24 h 1 h 4 m 1 m 4 s 1 s
360o 15o 1o 15’ 1’ 15”

※ 単純な計算なので、数分で終了する、はず――海の上では船酔いなど、頭がちゃんと働かないときもある、、、
時(h)、分(m)、秒(s)にそれぞれ15をかけて合計する。
それぞれ時(h)は度(o)、分(h)は分(‘)、秒(s)は秒(“)に対応するが、分(‘)と秒(“)が60を超えた場合は60で割り、商は一つ上の単位に(分なら度に、秒なら分に)繰り上げ、余りがそのまま、それぞれ分と秒になる。
天測計算表には「時間弧度換算表」が掲載されているので、その表を使えば計算する必要もない。

とはいえ、具体的な例で計算してみよう。

太陽が真南にきた時間(南中時刻)をはかって均時差を修正したら、グリニッジ標準時の正午(12時)より10時間18分41秒早かったとする。
10h×15=150
18m×15=270’=430’
41s×15=615”=10’15” となるので、

経度(E)    =(150+4)(30+10)’15”
=15440’15”(東経154度40分15秒)
ちなみに、経度の測定には、月距法という方法もある。
月と他の天体との距離(観測者から見た角度)を測定し、天測暦の月距表で時間を割り出す。
小型ヨットではじめて世界一周したジョシュア・スローカムや幕末に太平洋を横断してサンフランシスコまで行った江戸幕府の咸臨丸も、この方法で経度を測定したと言われている。
この方法の利点は、正確な時計(クロノメーター)がなくても経度がわかるということだ。
緯度は太陽の高さでかなり正確に出せるので、問題は正確な時計がないときに経度をどうやって知るか、である。
スローカム船長は1ドルで買った中古の時計しか持っていなかったので、必然的にこの方法に頼らざるをえなかった。
だが、クロノメーターの普及に伴って、この方法は急速に忘れられてしまった。現実にも、日本を含むほとんどの国の天測暦に月距表はもう掲載されていないので、現代では忘れられた方法となっている。

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スナーク号の航海 (82) - ジャック・ロンドン著

ミノタ号は手を抜かずに建造されていた。こういうことは、船が岩礁に乗り上げたようなときにものを言う。船が何に耐えたかについては、座礁して最初の二十四時間に二本の錨鎖がちぎれ、八本の太いロープが切れたという事実でもわかるだろう。乗組員たちは海に飛びこんでは錨を探して新しいロープを結びつける作業に忙殺された。ロープで補強した鎖が切れたりもした。それでも、まだ耐えていた。キールや船底を守るため、海岸から三本の大木を運んで船の下に押しこんだが、太い幹もずたずたになって裂けてしまい、それを固縛していたロープもぼろぼろになった。船は何度もドシンドシンとぶつけられたが、持ちこたえた。だが、ぼくらはアイバンホー号より幸運だった。アイバンホー号は大型のスクーナーで労働者の募集に使われていたのだが、数カ月前にマライタ島の海岸に乗り上げてしまい、たちまち原住民による略奪にあったのだ。船長と乗組員はボートで脱出に成功したものの、陸の民と海の民が持ち運べるものをすべて運び出してしまった。

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ケウムの人々――ソロモン諸島
土砂降りの雨が続き、眼もあけていられないほどの強風がミノタ号をおそっている。海は大荒れになってきた。五マイルほど風上にユージニー号が錨泊していた。が、途中に岬があって視界をさえぎっているため、ミノタ号のトラブルに気づくはずもなかった。ヤンセン船長の提案で、ぼくはケラー船長宛に、余分に錨があれば持ってきてもらえないかという手紙を書いた。しかし、その手紙を運んでやろうというカヌーは一隻もなかった。半ケースのタバコをやると言ったのだが、連中はニヤッと笑うだけで、またすぐ離れてしまうのだ。半ケースのタバコといえば三ポンドの価値がある。風や波は高かったが、その手紙を運ぶほんの二時間ほどの手間をかけるだけで、農園で半年汗水流してやっと手にする賃金に相当する価値のあるものを受けとれるのに。ぼくはコールフェイルド氏がボートで錨を運んでいるところまで、なんとかカヌーを漕いでいった。彼ならぼくらより原住民に対する影響力があるだろうと思ったのだ。氏は周囲のカヌーを自分のところに呼び集めた。二十人ぐらいが近づいてきて、半ケース分のタバコをやるという話に耳を傾けた。皆、無言だった。

「君たちが何を考えているのか、私にはわかる」と、伝道師は語りかけた。「座礁したあの船にはたくさんのタバコが積んであるはずだから、それをごっそりいただこうと思ってるんだろう。だがね、船にはライフルもたくさんあるんだよ。タバコどころか銃弾をくらうことになるぞ」

やっとのことで、小さなカヌーに乗った男がその手紙を運んでくれることになり、一人で出発した。救助を待つ間も、ミノタ号では作業が続けられた。水タンクを空にし、円材や帆、バラストを陸に運ぶ。ミノタ号が揺れるたびに船上には活気が戻った。交易品を詰めた箱やブーム、八十ポンドもある鉄のバラストが一方の舷からもう一方の舷まで飛び交うたびに、二十人もの男たちが押しつぶされないよう逃げまわるのだ。かわいそうに、この船はおだやかな港内での帆走用に建造された華奢なヨットだったのに! 甲板も動索もぼろぼろになっていた。甲板の下では、何もかもがひっくり返っていた。船室の床にはバラストを取り出すための穴が開けられていたし、錆の浮いたビルジが船底でびちゃびちゃはねていた。ライムを入れた樽が、調理中のシチューからこぼれた団子のように、小麦粉をぶちまけた海水にプカプカ浮かんでいた。奥の船室では、ナカタがライフルと弾薬を守っていた。

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市場に出かけてゆく森の民の女たち――マライタ島マル

手紙を持って出発してから三時間がたった。激しい風雨をついて、一隻のボートが巨大な帆を揚げてやってきた。ケラー船長だった。雨と波しぶきでずぶ濡れになっていたが、ベルトには拳銃を差し、ボートの乗組員は完全武装していた。ボート中央には錨とロープが山のように積みこまれていた。突風も顔負けの迅速さだった――白人が白人の救助に来てくれたのだ。

ハゲタカのようにじっと待っていたカヌーの列が乱れ、来たときと同じようにあっという間に消えてしまった。結局、一人の死者も出なかった。これでボートは三隻になったので、二隻がミノタ号と海岸との間を往復し、もう一隻が錨を担当した。切れたロープを補修し、失った錨を回収した。その日の午後遅く、話し合いをし、船の乗組員の数と採用した地元の労働者が十人になったことを考慮して、ぼくらは乗組員の武装を解いた。それで、両手を自由に使って船の作業に専念できるようになった。ライフルはコールフェイルド氏の手伝い五人に預けた。壊れた船室では、伝道師と彼が改宗させた地元の少年たちがミノタ号を救ってくれるよう神に祈っていた。印象的な光景だった。一点の曇りもなく信じて祈っている丸腰の男の背後で、元は野蛮だった連中がライフルを持ち、アーメンと唱えているのだ。船室の壁が揺れた。船が持ち上がり、波が寄せるたびにサンゴにぶつかった。甲板からは吐いたり疲労困憊した声や、目的も腕力もある連中が別の流儀で祈ったりする大きな声が聞こえてきたりした。

天測航法 6─北極星緯度法

2-2 北極星緯度法

天候によっては正午に太陽を観測できるとは限らない。
緯度を知る有力なバックアップ手段として北極星がある。
北極星は、ひしゃくの形をした北斗七星やWの形をしたカシオペア座を使った見つけ方を含めて、最もよく知られている星の一つだ。

地軸を北極の先まで伸ばした延長線上にあるため、つねに方角の北を指すが、それだけではなく、北半球では、北極星の水平線からの高さで、その場所の緯度がわかる。

次の図は、北極星の高度と緯度の関係を示している。
図2-1
f-2-1
Pは観察者のいる場所、ℓ は緯度、aは北極星の水平線からの高さを示している。

その一部を拡大する、こうなる。
図2-2
f-2-2

三角形OPXは直角三角形で∠xは直角なので、
ℓ+●=90度 (1)
∠hPz=a+●=90度 (2)
よって ℓ =a

つまり、北極星の高度aは緯度 ℓ に等しい。

しかし、正確には北極星は地軸の延長線上から少し離れたところにあるため、その分の補正が必要になる。

[北極星の高さから緯度を求める手順]

1.北極星の水平線からの高さを測定する(観測値)
2.太陽の場合と同じように高さの観測値を補正して真高度を得る
3.地方時角(L.H.A.)を求める
4.天測暦の北極星緯度表から時角に基づく補正値を見つけ、真高度を補正する(=緯度)

以下、具体的に説明する。

1.太陽と北極星の観察で一番違うところは、北極星は昼間は見えないという点だ。夜になると、星は見えるが、今度は水平線が見えなくなってしまう。
というわけで、夜明けか夕方に観測するしかない。
この手順では、揺れる船上で小さな星を六分儀で視界にとらえるのが一番むずかしい。そこさえクリアできれば、後は単純な計算になる。

2.観測高度を真高度にするには、太陽の場合と同じように高度改正を行う。
太陽は地球から近くて見かけの大きさがあるので、高度改正では視半径や視差による調整を行ったが、星(恒星)の場合は距離が遠く、ほぼ点とみなしてよいので、六分儀の器差(インデックスエラー)と眼高差、それに気温と水温の差のデータがあれば、それを使って補正する。
天測計算表には「星の測高度改正表」が掲載されているので、そこから必要な数値を拾って改正する。

図2-3 星の測高度改正表

出典:『天測計算表』(書誌第601号)海上保安庁

観測高度から真高度を求めるには

(1) 器差(インデックスエラー)を改正する
(2) 第1改正 眼高と測高度による改正
(3) 第2改正(惑星の視差の改正なので、北極星では不要)
(4) 第3改正 気温と水温の差で、水温が高ければ表の値を足す。低ければ引く。

これで真高度が出る。

3.地方時角 (L.H.A.)とは、観測した場所の時間がグリニッジ標準時(世界標準時)とどれくらいずれているかを示すもので、要するに、海外旅行でよくいう時差と考えればよい(例の経度15度=1時間という考え方)。

天測暦には「北極星緯度表」が四ページにわたって記載されている。
これはグリニッジ標準時の場所に基づき、それと実際に観察した地点との差を一覧表にしたもの。

まず自分のいる場所とグリニッジ標準時(世界標準時)との時間差(これを「地方時角」という)を確認し、それに基づいて表で改正値を求めることになる。

地方時角(L.H.A.)の計算については「経度を知る」の項で詳しく説明する。
ちなみに日本の標準時となっている明石(東経135度)の地方時角は9時間(9h)である。
地方時角がわかったという前提で話を進める。

図2-4 北極星緯度表

出典:『天文航法』(海文堂)添付の「(平成某年)天測暦抜粋」から
天測暦は毎年刊行され年ごとに数値が異なる。実際の天測暦には年が記載されている。

左ページが第1表、右ページの上が第2表、下が第3表。
それぞれ横軸を1時間ごと、縦軸は分ごとに整理してあるので、時角の時間(縦)と分(横)の交わるところの数値が目指す値になる。
これを真高度に加減して緯度を出す。第1表だけプラスとマイナスの値があるので、符号通りに足すか引く。第2表と第3表の値はつねに加算する

緯度の計算

緯度(ℓ)=北極星の真高度+第1表の値+第2表の値+第3表の値

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スナーク号の航海(81) - ジャック・ロンドン著

もう一つの人工島のスアヴァで、チャーミアンは二度目の災難にあった。スアヴァで一番の大物だという男(つまり、スアヴァで最高の偉い人)が船に乗ってきたのだ。だが、そいつは最初、ヤンセン船長に自分の高貴な身を包みかくす布が必要だと使者を送ってきた。その間、船に横づけしたカヌーから出ようとはしなかった。この高貴な人の胸には垢が半インチほどの厚さでこびりついていた。その下の層の汚れは十年から二十年は経っていそうだった。貴人はまた使者を船によこした。使者はスアヴァの大君の意向として、ヤンセン船長やぼくに握手する栄誉を与え、ステッキや取引用のたばこをもらってやってもよいが、名門たる自分の立場では女ふぜいと握手をすることは、とうていできることではない、というのだった。かわいそうなチャーミアン! マライタ島での女性蔑視の体験から、彼女はすっかり生まれ変わっていた。表向きはおそろしく従順で謙虚になっていた。ぼくらが文明世界に戻って歩道を歩くときに、彼女が一ヤードほど後ろからうつむいてついてきても驚きはしないほどだ。

snark-page285
ソロモン諸島のカヌー

スアヴァでは、そうたいしたことは起きなかった。地元出身のコックのビチュが職務放棄して逃げた。ミノタ号は走錨した。激しい風雨に襲われた。航海士のヤコブセンとワダが発熱して病に倒れた。ぼくらの潰瘍はひどくなり拡大した。船にいたゴキブリが七月四日の独立記念日と戴冠式のパレードを一緒にしたような賑わいで歩きまわっていた。きまって深夜に狭い船室に出没した。長さは二、三インチあった。何百匹もいて、それがぼくらの体の上をはいまわるのだ。捕まえようとすると、固い床からパッと飛び上がり、ハチドリのように羽ばたいて移動した。スナーク号にいるゴキブリよりも、ずっと大きかった。スナーク号のゴキブリはまだ幼くて、成長しきれていないのかもしれない。また、スナーク号にはムカデもいた。長さが六インチもある大きなやつだ。ときどき見かけて殺したが、たいていはチャーミアンの寝床にいた。ぼくは二度かまれた。卑怯にも、どちらも眠っているときだった。とはいえ、かわいそうなのはマーチンで、運に見放されていた。病気で三週間も寝ていたのだが、やっと起き上がれるようになったものの、一日で元に戻ってしまった。冒険航海に出てみようなんて夢にも思わない人は賢明だと、ときどき思ったりもする。

この後、ぼくらはマルに戻り、七人の労働者を集めた。錨を上げて、出口に向かった。ここは危険な場所だ。風が急変し、荒々しい岩礁に押し寄せている流れも強くなった。そこをかわして外海に出ようというまぎわに、風向が四十五度も変化した。ミノタ号はそれに合わせてタッキングしようとしたが失敗した。ツラギで錨を二個も失っていたので、残った一つを投錨した。チェーンが出て行き、サンゴにしっかり食いこんだ。ミノタ号の細長いキールが海底に当たった。メインのトップマストが大きく揺れ、それから激しく振動した。頭上に落ちてくるんじゃないかと思うほどだった。急に停止してチェーンがゆるんだところに、大波が押し寄せてきて船にぶつかった。チェーンが切れた。それが残った唯一の錨だった。ミノタ号はぐるりと向きを変えると、そのまま船首から砕け散る波に突進していった。

ひどい混乱が起きた。農園の労働者として採用された連中は甲板の下にいたが全員が陸の民で海をおそれていたので、パニックになって甲板に飛び出してきて、てんでに駆けだした。と同時に、船の乗組員もライフルを取りに走った。彼らはマライタの海岸で起きたことを知っていた。片手は船のために、片手は原住民と戦うために、というわけだ。実際には彼らが片手で何につかまっていたのか、ぼくは知らない。ミノタ号は波に持ち上げられ、転がされ、サンゴにぶつけられるので、ともかく振り落とされないよう何かにつかまっている必要があった。陸の民は索具にぶらさがっていた。トップマストをしっかり見張っておくという発想はないようだった。乗組員たちは上陸用ボートで漕ぎ出し、ミノタ号がさらに岩礁の方に流されないよう、無駄と知りつつ懸命に曳航しようとした。その一方、ヤンセン船長と航海士、彼は発熱で青白い顔をして衰弱していたのだが、バラスト代わりに船底に放り込んであった壊れた錨をまた使えるようにしようと、ストックを取りつけていた。コールフェイルド氏が仲間の少年たちとボートで駆けつけてくれた。

ミノタ号が座礁した当初、周囲にカヌーはいなかった。しかし、青い空を旋回するコンドルのように、あらゆるところからカヌーがやってきた。乗組員たちはいつでもライフルを撃てるよう構え、それ以上近づくと殺すぞと警告した。連中は百フィート(約三十メートル)の距離を保っている。波が打ち寄せる危険な場所だが、黒っぽく不気味な姿で列をなし、パドルを漕ぎつつカヌーの位置を維持している。浜辺の方も、山から降りてきた陸の民ですし詰め状態だった。手に手に槍やスナイドル銃、弓やこん棒で武装している。事態を複雑にしたのは、農園の労働者募集に応じた十人以上の連中が、たばこや交易品、船上のすべてを略奪しようと浜辺で待ち構えている、まさにその陸の民の出身者だったということだ。