スナーク号の航海 (22) - ジャック・ロンドン著

この文章を書いているとき、ふと顔を上げて海の方を見た。ぼくはオアフ島ワイキキの浜辺にいた。ずっと向こうまで青い空が広がり、低い雲が青緑色の海の上を貿易風に流されていく。近くの海はエメラルド色で、オリーブの葉のような明るい緑だ。その手前には岩礁があり、海水を通して赤い斑点まじりの粘板岩の紫色が見えている。さらに近くになると、もっと明るい緑色と茶褐色の岩礁が交互のしま模様になっていて、生きたサンゴ礁の間に砂地が散在しているのが見えている。こんなすばらしい色の重なりを通して、壮大な波のとどろきが聞こえてくる。さっきも言ったように、顔を上げると、こんな光景がすべて見えるのだが、砕け散る白い波の向こうに、ふいに黒い人影が立ち上がった。人の姿をした魚あるいは海神かと見まがうものが崩れ波の前面にふいに出現した。波頭は崩れ落ち、そのまま押し寄せて豪勢な波しぶきがあがる。下半身が波しぶきに包まれた瞬間、海神は海にとらえられてしまった。海岸から四分の一マイルほどのところだ。海神とは、サーフボードに乗ったハワイの先住民族、カナカだ。この文章を書き終えたら、ぼくもあの色彩に満ちたところへ行き、海に飛びこみ、砕け波を蹴散らし、あの海神たちのように海に飲みこまれてしまうだろう。生きるとは、彼らのように生きることではないか。この色彩豊かな海と、海を飛ぶように進んでいく海神たるカナカの姿は、若者が日の沈む海を超えて西へ、さらに西へと向かうもう一つの理由になるし、日の没する海をこえて西へと進み、再び故国へと至るのだ。

話を元に戻そう。ぼくがすでに航海術に通暁しているとは思わないでほしい。ぼくが知っているのは航海術の初歩にすぎない。ぼくにとって、学ぶべきことは非常に多い。スナーク号には、興味の尽きない本が二十冊もぼくを待っている。海図に避けるべき進行方向を記すための避険線に関するレッキーの危険角の本があるし、サムナーの本もある。これは、自分の位置がわからないときに、自分がどこにいて、どこにいないかをはっきり示してくれるものだ。大海原で自分の位置を見つける方法は何十とあり、それを完全にマスターするには何年もかかるだろう。

小さなことで説明すると、スナーク号の動きについて明らかに首をかしげたくなるようなことは何度かあった。たとえば、五月十六日の木曜日に、貿易風がなくなった。金曜の正午までの二十四時間、ぼくらは推測航法で計算すると二十海里も進んでいなかった。ところが、この二日間、正午に太陽の高度を観測して割り出したぼくらの位置はこうなっていた。

木曜日 北緯20度57分9秒
西経152度40分30秒
金曜日 北緯21度15分33秒
西経154度12分

この二つの位置の差は八十海里ほどもある。とはいえ、ご存知のように、ぼくらは二十海里しか進んでいないのだ。数字は確かだ。何度も計算しなおした。間違っていたのは測定値だった。正しい測定をするには、特にスナーク号のような小さな船では練習と技術が必要になる。船がたえず動いていることや観察者の視線が海面に近いことを考えれば、これは責められない。大波で船が持ち上がれば、水平線も大きくずれてくるのだ。

しかも、ぼくらの場合には、とくに混乱する要因もあった。季節の変化に応じて太陽が北回帰線に近づいてくると、太陽の角度も大きくなった。五月中旬の北緯十九度付近では、太陽はほぼ真上にある。弧の角度は八十八度から八十九度の間だ。真上は九十度になる。ほぼ真上にくる太陽と直角になる方向は一つではなかった。ロスコウはまず太陽から東の水平線までの角度を測ってしまったのだ。正午には太陽は真南の子午線を通過するという事実を無視して、だ。一方、ぼくのほうはといえば、太陽からおろす水平線を決めかねて南東から南西にかけてさまよってしまった。何度も言うが、ぼくらは独学なのだ。その結果として、ぼくが正午の太陽の高さを測定したときには、船上の時間は十二時二十五分すぎになっていた。二十五分のずれが地球の表面におけるぼくらの位置のずれの原因だった。これは経度でほぼ六度、距離にして三百五十海里に相当する。これでは、スナーク号は時速十五ノット(約二十七キロ)で二十四時間ぶっとおして走り続けたことになってしまう。暴風に吹き飛ばされたのでもなければ説明がつかないが、それはおかしいということに気づかなかったのだ。われながら、なんともおそまつな話だ。東方を見ているロスコウは、まだ十二時になっていないと言っていたし、海面を見て速さは二十ノットと言ったりもしていた。六分儀で水平線を探すときは太陽を一方の視野に入れておいて水平線を探すのだが、当惑するくらい地平線に近かったり、ときには水平線の上や下だったりもした。太陽高度を測るときに船が動きまわるために東を向いたり西を向いたりもしていた。太陽に問題があるわけではない──それはわかっている。というわけで、間違っているのはぼくらの方なのだった。その日の午後はずっと、ぼくらはコクピットにいて、本を調べたりして何が間違っているのか知ろうとした。その日の観測は失敗だったが、翌日はうまくいった。そうやって学んでいったのだ。

そうやって、だんだん上達していった。ある日の夕方、折半当直(午後六時からの二時間)のとき、ぼくとチャーミアンは船首付近に座ってトランプゲームのクリベッジをしていた。たまたま前を見ると、雲のかかった山々が海面から突き出ているのが見えた。ぼくらは陸地が見えたことを喜んだのだが、ぼくはといえば自分の航海術がお粗末だったことに落ちこんでもいた。かなり知識も増えているはずだった。正午の位置と帆走距離から計算すると、数百海里以内に陸なんかないはずなのだった。それなのに陸が存在していた。夜の闇に消えていこうとしている西日を受けた、陸地がそこにあった。これが陸地であることは間違いない。議論の余地はない。だから、ぼくらの航海術はまったく違っていたことになると思ったのだ。だが、そういうわけでもなかった。というのは、ぼくらが見た陸地は太陽の家と呼ばれる、世界でも指折りの死火山、ハレアカラの山頂だったのだ。この山は海抜一万フィート(標高3005メートル)もあり、百海里離れていても見えるのだ。ぼくらは夜どおし時速七ノットで帆走した。朝になっても、この太陽の家はまだ前方に見えていたし、船の側方に見るようになるまでさらに数時間かかった。「あの島はマウイ島だぜ」と、ぼくらは海図と照らし合わせながら語りあった。「次の突き出している島はモロカイ島。あそこには隔離病棟があるんだよな。その次の島はオアフ島だ。ほら、マカプウ岬が見えるぜ。明日はホノルルに着くだろう。ぼくらの航海術も捨てたもんじゃないってことだ」

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大波が来ると、水平線の位置がずれてしまう

[訳注]
海では一般に、距離は海里、速度はノットで表される。
1海里=1852m、1時間に1海里進む速度が1ノットで、1ノット=時速1.852km。
1海里を約1800mと考えると、60の倍数になり、緯度経度の60進法と親和性が高いため。
ちなみに、地球が完全な球体で1日24時間で1回転(360度)するのであれば、1時間のズレは経度15度に相当するが、実際の地球は下半分がふくれた洋ナシ形で、自転の周期も24時間+アルファになるため、正確に算出するには補正が必要になる。

スナーク号の航海(21) - ジャック・ロンドン著

自慢かって? ぼくは奇跡を行ったんだからな。本で独学するのがどんなに簡単だったか、もう忘れてしまった。すべての成果(すばらしい成果でもある)は、ぼくより前に先人たちが成し遂げたものだ。航海術を発見し、それを説明するために「天測表」としてまとめたのは、偉大な先人たち、つまり天文学者と数学者だったことも、もう忘れた。ぼくが覚えているのは、その奇跡がずっと続いたことだけだ──星の声に耳を傾けていると海上の道が指し示されたことしか覚えていない。チャーミアンは知らなかったし、マーチンも給仕のトチギも知らないことだった。だが、ぼくは連中に教えてやった。ぼくこそ神のメッセージを伝える者なのだ。ぼくは連中と無限の世界との間に立って、天体が告げていることを連中が理解できる普通の言葉に翻訳したのだ。ぼくらは天に導かれていたが、空の道標を読むことができるのはぼくだった! ぼくだ! ぼくなんだ!

そしていま、少し冷静になってみると、天測の仕組みの単純さをしゃべりすぎたようだ。ロスコウや他の航海士、神秘の衣をまとった人々についても言い過ぎてしまった。というのも、彼らが秘密主義で、自尊心で思いあがっているのではないかと懸念していたからだ。というわけで、いまはこう言いたい。人並みの頭があり普通の教育を受け、学ぼうという気持ちが少しでもある若者なら、解説書と海図、計器を手に入れて独学でマスターできる、と。とはいえ、誤解されないようにつけ加えておくと、シーマンシップはそれとはまったく別のことだ。一日や数日で覚えられるようなものではなく、何年もかかる。また、推定航法で航海するにも長く勉強し実地に訓練することが必要だ。だが、太陽や月、星を測定して航海することは、天文学者や数学者のおかげで、子供でもできる簡単なことになっている。平均的な若者であれば一週間で独習できるだろう。また誤解のないように言っておくと、一週間独学を続けたからといって、それですぐに一万五千トンの蒸気船の責任者として毎時二十ノットで大陸間を航海できるようになるというわけではない。航海には好天もあれば荒天もあるし、晴れの日もあれば曇りの日もある。スケジュールとにらめっこで羅針盤の針を見ながら舵をとり、驚くべき正確さで陸地を見つけなければならない。何が言いたいかというと、前述したように人並みの若者であれば、航海術について何も知らなくても、頑丈な帆船に乗りこんで大海原を横断することはできるし、一週間もあれば自分の現在位置を海図で示すくらいのことはできるようになるということだ。かなりの精度で子午線を観測し、その観測結果に基づき、十分もあれば簡単な計算をして緯度経度を出すことができる。貨物や乗客を運ぶ必要がなく、予定通りに目的地に到達しなければならないというプレッシャーがなければ、気持ちよくゆっくり進めるし、自分の航海術に自信が持てず近くに陸があるかもしれない不安にかられたときには一晩中ヒーブツーで停船させて朝を待てばいいわけだ。

数年前、ジョシュア・スローカムは一人で三十七フィートの自作のヨットに乗って世界をまわった。彼がそのときの航海について、若者には同じように小さな船に乗り、同じような航海をしてほしいと本気で述べていたことが忘れられない。ぼくは彼の言葉をすぐに実行に移すことにして女房も連れ出したというわけだ。小さなヨットの航海からすればキャプテン・クックの航海も安直に思えてくるが、それよりも何より、楽しみや喜びに加えて、若者にとってはすばらしい教育にもなるのだ──いや単に外の世界、土地、人々、気候についての教育ではなく、内なる世界の教育、自分自身の教育、自分というもの、自分の心を知る機会にもなるのだ。航海自体が訓練であり修行である。当然ながら、そうした若者はまず自分の限界を知ることになる。次に、これも避けられないが、そうした限界を打ち破っていこうとする。そうして、そのような航海から戻ってくると、ひとまわり大きな人間、もっとましな人間になっているというわけだ。スポーツとしては王のスポーツだといえる。どういう意味かというと、自分以外に誰も頼るものがなく、自分の手で船を動かし、世界をぐるりとまわって最後には出発点まで戻ってくるのだが、宇宙を好転する惑星について自問しつつ沈思黙考し、達成できればこう叫ぶことになる。「やった、自分の手でやりとげたぞ。自転する地球を航海したんだ。自分はもう導き手の助けも受けなくても航海することができる。他の星に飛んでいくことはできないかもしれないが、この地球では自分自身が主人だ」と。

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闖入者

スナーク号の航海 (20) - ジャック・ロンドン著

というわけで、ぼくがどうやって天文航法を独学したか簡単に説明しよう。ある日の午後ずっと、ぼくはコクピットに座り、片手で舵をとりながら、もう一方の手で対数の本をめくって勉強した。それからの二日間、午後二時間を航海術の理論、とくに子午線高度の勉強にあてた。そのうえで六分儀を手に持ち、器差を補正して太陽の高度を測った。この観察で得られたデータを元に計算するのは簡単だ。「天測計算表」と「天測暦」で調べるのだ。すべて数学者と天文学者が考え出したものだ。これは、よくご存じの利率表や計算機を使うようなものだ。神秘はもはや神秘ではなくなった。ぼくは海図の一点を指さし、いまはここにいると宣言した。それは間違っていなかった。というか、ロスコウとぼくがそれぞれ割り出した位置は一海里ほど離れていたのだが、同じ程度には正しかったということだ。やつは自分の位置とぼくの位置の中間にしようかとさえ言ってくれた。ぼくは神秘を爆破し消滅させてしまった。とはいえ、それはやはり奇跡ではあって、ぼくは自分の内に新たな力を感じてぞくぞくしたし、くすぐったくもあった。ぼくがかつてロスコウに現在の位置をたずねたのと同じように、マーチンがおずおずと、しかし尊敬の念をこめてぼくに現在の位置を聞いてきたとき、ぼくは最高位の司祭として暗号めいた数字で答えた。マーチンは敬意をこめた「おう」という声をもらしたが、それを聞くとぼくは天にも昇るような高揚感を感じた。チャーミアンに対しても、あらためて、どうだいと自慢したくなった。ぼくのような男と一緒にいるとは、きみはなんて運がいいんだという気にもなったが、むろん、そんなことは口にしなかった。

自分がやってみてわかったのは、どうしてもそうなってしまうということだ。ロスコウや他の航海士たちの気持ちがわかった。こういう力を持っているという思いが毒となってぼくにも作用していた。他の男たち、大半の男たちが知らないこと──果てしない大海原で天の啓示を得て進むべき道を指し示すこと──ができるということ、この快感を自分の力として一度味わってしまえば、もうそこから逃れられない。長時間にわたって舵をとりながら、その一方で神秘を勉強しつづけた原動力がこれだった。その週の終わりには、暗くなってからの測定もできるようになった。夜には北極星の高度を測定し、器差や高度改正などの補正を行って緯度を得た。その緯度は、正午に割り出した位置について進路と速度を勘案して求めた推測位置とも合致した。自慢してるのかって? 悪いが、もっと自慢させてもらおう。ぼくは九時に次の測定を行うつもりだった。問題点を検討し、どんな一等星が八時半ごろに子午線を通過するのかを知った。この星はアルファクルックス(アクルックス)だとわかった。この星のことは聞いたことがなかったので星図で調べた。南十字星を構成する星の一つだった。なんと、航海しながら夜空に輝く南十字星を知らなかったとは! なんたる間抜け! われながら信じられない。ぼくは何度も見直して確かめた。その夜は八時から十時までチャーミアンが舵をとってくれた。ぼくは彼女に、よく見てろよ、真南に南十字星が出てくるからと言った。そうして星々が見えるようになると、水平線近くの低い空に南十字星が輝いた。自慢かって? どんな医者でも高僧でも、このときのぼくくらい天狗にはなれないだろう。ぼくは聖なる祭具、つまり六分儀を用いてアクルックスを測定し、その高度から自分のいる場所の緯度を割り出した。さらに北極星も測定したが、それも南十字星で得られた値と合致した。自慢かって? そうさ、星のことならぼくに聞いてくれ。星の言うことに耳をすましていると、大海原で自分がどこにいるか教えてくれるのだ。
[訳注]
子午線: 赤道と直交し、北極と南極を通る大円。無数にありうるが、自分のいる場所を通る経線と同じ。

スナーク号の航海(19) - ジャック・ロンドン著 

スナーク号の建造中、ロスコウとぼくとの間では、こんな合意ができていた。「教本や計器類を船に持ちこむから、今から航海術を勉強しておいてくれ。これから忙しくなるはずだから、ぼくに勉強する暇なんてないと思う。だから、海に出てから、お前が覚えたことをぼくに教えてくれ」と。ロスコウは喜んだ。前にも書いたように、ロスコウは率直で無邪気で謙虚なやつなのだ。だが、海に出ると、やつは聖なる儀式をつかさどる風を装うようになり、ぼくが感心するように見ていると、ちょっとした進路の変化をもったいぶって海図に書きこんだりしたものだ。正午に太陽の高さを測定するとき、やつの姿は神々しく光り輝いた。船室に降りて行って観察したデータに基づいて計算し、また甲板に戻ってきて現在地の緯度経度を教えてくれた。口調も一変して厳粛になっていた。とはいえ、問題なのはそういうことではない。やつは、ぼくらに伝えられない情報をいっぱい抱えるようになったのだ。つまり、スナーク号が海図上でいきなり瞬間移動する距離が大きくなるほど、やつの情報ではその理由を説明できず、位置情報が神聖で不可侵のものになっていったのだ。ぼくも自分で勉強すべきころあいかなと言ってみたのだが、気のない返事しかせず天測を教えようとはしなかった。最初に同意したことを守るつもりはさらさらないようだった。

だが、これはロスコウが悪いというのではない。どうしようもないことなのだ。やつは単に先人の航海士たちと同じ道をたどったにすぎない。天測で得られた数値が違っていたとしても、ま、それはわかるし許されもすることなのだが、やつは船の現在地を割り出して進むべき方向を決めるということの責任の重さを痛感しつつ、大海原で太陽や星を見て位置を判断する神のような力が自分に備わっているという体験を重ねていたのだ。ロスコウはそれまでの人生をずっと陸上で過ごしてきた。常に陸が見えていた。絶えず陸地が見えていて、目印となるものがあるため、たまに道に迷ったとしても、地上ではなんとか方向がわかったものだ。しかし、ここは果てしなく広がっている海の上だ。海の向こうには、どこまでも丸く広がる空があるだけだ。この丸い水平線はいつでも同じに見える。陸標などありはしない。太陽は東から上って西に沈み、夜には星々がずっとまわっていた。つまり、太陽や星を見て「いまいる場所はスミザースビルのジョーンズさんちの現金売りの店の西、四と四分の三マイルだ」とか「自分がいまどこにいるかわかっているさ。というのも、リトル・ディッパーがボストンは二番目の角を右に曲がって三マイル先だと教えているからね」などと、誰が言えようか。ロスコウが航海士としてやっていたのは、それと同じことなのだ。最初は自分がやってのけたことに驚いてもいたが、それにも少しずつ慣れてきて、畏敬の念を起こさせる仕草で奇跡のような妙技を披露するようになった。広い海面で自分の位置を割り出す行為は儀式となり、奥義を知らずやつに頼り切りのぼくら、大陸と大陸をつなぐ波だけで道標もない大海原で進路を教えて面倒を見てやっているぼくらよりも自分の方が優秀だと感じるようになっていったのだ。それで、やつは六分儀を用いて太陽神に敬意を表し、専門書と魔法のような符号表のページを繰り、目盛り誤差、視差、屈折といった呪文をつぶやき、聖杯と呼ばれる祈祷書──つまり海図のことだが──に神秘的な記号を書きつけ、追加し、移動させて、割り出した空白部分を指さして「現在地はここだ」と宣言するのだ。ぼくらがその空白部をのぞき「位置は?」と聞くと、彼は高貴なアラビア数字で答えるのだ「31─15─47北緯、133─5─30西経」と。そこで、ぼくは「ほう」感心することになる。

というわけで、はっきり言っておくが、これはロスコウが悪いのではない。やつは神の領域に近づき、ぼくらを掌に載せて海図上の空白のスペースを進ませてくれたのだ。ぼくはロスコウを尊敬した。この尊敬の念はますます大きくなり深くなっていったので、やつは「膝まづき、あがめよ」と命令するほどになった。ぼくは自分が甲板に座りこみ大声でそうたたえるべきだとわかってはいた。だが、ある日、ふと気づいたのだ。「こいつは神なんかじゃない、ロスコウだ」と。「ぼくと同じ人間だ。こいつにできたのなら、ぼくにもできるだろう。やつは誰に教わったんだっけ。独学だ。じゃあ、ぼくも同じようにすればいい──自分で勉強するんだ」と。そして、そこでロスコウと衝突したのだ。やつはもうスナーク号であがめられる司祭などではない。ぼくは聖域に侵入し、専門書と魔法の表と祭具、つまり六分儀を渡すよう命じたのだ。

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航海術の秘儀