スナーク号の航海 (20) - ジャック・ロンドン著

というわけで、ぼくがどうやって天文航法を独学したか簡単に説明しよう。ある日の午後ずっと、ぼくはコクピットに座り、片手で舵をとりながら、もう一方の手で対数の本をめくって勉強した。それからの二日間、午後二時間を航海術の理論、とくに子午線高度の勉強にあてた。そのうえで六分儀を手に持ち、器差を補正して太陽の高度を測った。この観察で得られたデータを元に計算するのは簡単だ。「天測計算表」と「天測暦」で調べるのだ。すべて数学者と天文学者が考え出したものだ。これは、よくご存じの利率表や計算機を使うようなものだ。神秘はもはや神秘ではなくなった。ぼくは海図の一点を指さし、いまはここにいると宣言した。それは間違っていなかった。というか、ロスコウとぼくがそれぞれ割り出した位置は一海里ほど離れていたのだが、同じ程度には正しかったということだ。やつは自分の位置とぼくの位置の中間にしようかとさえ言ってくれた。ぼくは神秘を爆破し消滅させてしまった。とはいえ、それはやはり奇跡ではあって、ぼくは自分の内に新たな力を感じてぞくぞくしたし、くすぐったくもあった。ぼくがかつてロスコウに現在の位置をたずねたのと同じように、マーチンがおずおずと、しかし尊敬の念をこめてぼくに現在の位置を聞いてきたとき、ぼくは最高位の司祭として暗号めいた数字で答えた。マーチンは敬意をこめた「おう」という声をもらしたが、それを聞くとぼくは天にも昇るような高揚感を感じた。チャーミアンに対しても、あらためて、どうだいと自慢したくなった。ぼくのような男と一緒にいるとは、きみはなんて運がいいんだという気にもなったが、むろん、そんなことは口にしなかった。

自分がやってみてわかったのは、どうしてもそうなってしまうということだ。ロスコウや他の航海士たちの気持ちがわかった。こういう力を持っているという思いが毒となってぼくにも作用していた。他の男たち、大半の男たちが知らないこと──果てしない大海原で天の啓示を得て進むべき道を指し示すこと──ができるということ、この快感を自分の力として一度味わってしまえば、もうそこから逃れられない。長時間にわたって舵をとりながら、その一方で神秘を勉強しつづけた原動力がこれだった。その週の終わりには、暗くなってからの測定もできるようになった。夜には北極星の高度を測定し、器差や高度改正などの補正を行って緯度を得た。その緯度は、正午に割り出した位置について進路と速度を勘案して求めた推測位置とも合致した。自慢してるのかって? 悪いが、もっと自慢させてもらおう。ぼくは九時に次の測定を行うつもりだった。問題点を検討し、どんな一等星が八時半ごろに子午線を通過するのかを知った。この星はアルファクルックス(アクルックス)だとわかった。この星のことは聞いたことがなかったので星図で調べた。南十字星を構成する星の一つだった。なんと、航海しながら夜空に輝く南十字星を知らなかったとは! なんたる間抜け! われながら信じられない。ぼくは何度も見直して確かめた。その夜は八時から十時までチャーミアンが舵をとってくれた。ぼくは彼女に、よく見てろよ、真南に南十字星が出てくるからと言った。そうして星々が見えるようになると、水平線近くの低い空に南十字星が輝いた。自慢かって? どんな医者でも高僧でも、このときのぼくくらい天狗にはなれないだろう。ぼくは聖なる祭具、つまり六分儀を用いてアクルックスを測定し、その高度から自分のいる場所の緯度を割り出した。さらに北極星も測定したが、それも南十字星で得られた値と合致した。自慢かって? そうさ、星のことならぼくに聞いてくれ。星の言うことに耳をすましていると、大海原で自分がどこにいるか教えてくれるのだ。
[訳注]
子午線: 赤道と直交し、北極と南極を通る大円。無数にありうるが、自分のいる場所を通る経線と同じ。

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