ウィレブルークとヴィルボールデの途中で、地主の館へと続く道のように美しい運河のところで、ぼくらは昼食にしようと上陸した。アレトゥサ号には卵二個とパン、ワイン一本があり、シガレット号には卵二個とエトナ製のコンロを積んでいた。シガレット号の相棒は上陸する際に卵一個をつぶしてしまった。とはいえ、そいつは薄焼き卵にすればいいとなって、フランドル語*1の新聞がついたままコンロに放り込んだ。晴れている間に上陸したが、二分もしないうちに風が強くなり、雨が音を立てて降りだした。ぼくらはコンロにできるだけ体を近づけた。燃料のアルコールがいきおいよく燃え上がり、一、二分ごとに炎が草に燃えうつるので、それを踏み消さなければならなかった。ぼくらはまもなく何本か指をやけどした。こんな騒動をした割に、料理の方はパッとしなかった。二回も火をつけてみて、やっとあきらめたが、割れなかった方の卵は生暖かいままだし、紙がついた卵といえば印刷のインクと割れた殻を一緒に煮こんだ、いかにもまずそうなフリカッセ*2みたいだった。ぼくらは残りの卵二個を燃えているアルコールの方に押しやるようにして焼いたが、こっちはなんとかうまくいった。それからワインのコルクを抜き、溝の縁に座ってカヌーのスプレースカートを膝に広げた。雨は激しくなった。まずい状況だ。正直、不快ではあるのだが、不快すぎてしかめっつらもできない。屋外でびしょ濡れになり感覚もなくなってしまうと、ただ笑うほかはない。そう考えれば、食べるつもりだった紙まじりの卵も一興ではある。とはいえ、こうしたことは笑いとばすことで、なんとかしのぐことはできるが、もう一度やれと言われたって繰り返す気にはならない。というわけで、それ以降、エトナのコンロはシガレット号の奥深くしまわれたままになった。
昼食を終えたぼくらが、またカヌーに乗りこんで帆を上げたとたんに風がなくなったことは言うまでもない。ヴィルボールデまでの残りの旅では風に恵まれなかったが、帆は上げたままにしておいた。ときどきは風も吹いたし、それが途切れると、水門から水門まで両側に規則正しく並んでいる木々の間を漕いでいった。
緑ゆたかな風景だった。というか、村と村をつなぐ緑の水路のようだった。ずっと長く人が住んできた、落ち着いた土地のようだった。ぼくらが橋の下に差し掛かると、坊主頭の子供たちがよそ者に対する敵愾心を発揮してつばをはきかけた。だが、もっと保守的なのは釣り人で、浮きに集中し、ぼくらが通りかかっても一顧だにしなかった。彼らは橋脚の水切りや補強部のでっぱり、土手の斜面に座って静かに釣りに没頭していた。生命のないものが流れていくように、ぼくらには無関心だった。古いオランダの版画の中の釣り人のように、彼らはまったく動かなかった。葉が風にそよぎ、川面にさざ波がたっても、国法で設立された多くの教会のように、彼らも微動だにしなかった。連中の無邪気な頭の一つ一つに穴を開けてみても、頭蓋骨の下には巻いた釣り糸しか見えないのではないか。インドゴム製の長靴をはきマス釣りの竿を手に山岳地帯の急流に立ち向かう屈強な釣り師なんかどうでもいいが、こうやって穏やかで人影もまばらな水面で釣れもしない釣りに打ち込んでいる連中は嫌いではない。
ヴィレボールデをすぎたところにある最後の水門には、上手なフランス語をはなす管理人の女性がいて、ブリュッセルまで二リーグ(約十キロ弱)ほどだと教えてくれた。その場所で、また雨が降り出した。雨粒はまっすぐ平行線を描いて落ちてきて、川面は雨に打たれて無数の小さく透明な噴水でおおわれた。近くに宿屋はなかった。ともかく帆をたたみ、雨の中をひたすら漕いだ。
時計があり鎧戸を閉めた窓がたくさん並んでいる田舎の美しい館や、林や通りに立つ立派な老木を見ていると、運河の岸辺に降り続く雨や深まっていく夕闇とあいまって、豊かで厳粛な雰囲気がもたらされてくる。版画でも同じ効果を持つものを見たことがあるような気がする。豊かな風景が迫りくる嵐のために見捨てられた印象を与えるやつだ。そうして、運河を進んでいる間ずっと、運河沿いの道を速足で進む幌のついた一台の粗末な荷馬車と一緒だったが、ほぼ同じ距離でついてくるのだった。
脚注
*1: フランドル語 - 広い意味のオランダ語。特にベルギーで使用される言語を指す。
*2: フリカッセ - フランスの家庭料理。白いソースの煮込み料理。