現代語訳『海のロマンス』153:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第153回)

三、シャンペイ

練習船は遠浅の海を、抜き足差し足、こわごわと探りつつ港に入っていって、上陸場から二海里も手前に投錨する。

入ってみると、案外にやせた、うるおいのない荒れた土地である。心に描いた南洋とはだいぶ違う。これでは、得意のゴムも育つまい。

しばらくすると、変な端艇(ボート)がたくさん、船の周囲(まわり)に集(たか)ってきた。中をくりぬいて左右に一対(いっつい)の防波材(ローリングチョック)をつけている。音に聞いた独木船(カヌー)だ。船の中には魚類、果物、ニワトリなどが積んである。やがて、半裸体の船頭が(さすがに商人だけあって下半身は婦人の腰巻きのような布片(きれ)で覆(おお)っている)、杓子(しゃくし)のような櫂(かい)で巧みにカヌーを進退させながら、口々にシャンペイ、シャンペイと呼び、シャーツルピーと叫び、バジュー、アイアンなどと吠(ほ)える。

いやはや、とんだ港に入ったものだ。これこそ掛け値も飾りもない、正真正銘の外国語で、ちんぷんかんぷんである。

かつて聞いた話によると、南洋の島には、貨幣(かへい)の代わりに真珠を使うところがあり、貨幣による商売を喜ばず、物々交換(バーター)を歓迎する連中が住んでいる、とのことである。この半裸体の連中もその亜流だろうと、機知(ウイット)に富んだ一人が、そこに捨ててあった小汚いシャツを試みに投げおろしたとき、その代償(かわり)として、たちまち肥(こ)えたニワトリ一羽が舞い上がってきたので、時ならぬ驚きと欣喜(よろこび)の声がたちまち甲板(デッキ)に湧(わ)いた。

かくして船中にあるすべての汚いシャツと、カヌーにあるすべての肥えたニワトリとが交換せられたとき、洋服の金ボタン一つとヤシの実半ダース、手ぬぐい一筋(ひとすじ)とバナナ一枝というような珍無類の商法が行われた。そうして、バジューがシャツで、アイアンがニワトリ、ピーサンがバナナで、ニウがヤシの実であること、さてはシャーツルピーは「上等」を意味し、シャンペイは「交換」を意味することまでわかった。

四、酋長(しゅうちょう)、船に来る

九月八日午後、左舷直、上陸。

上陸場の手前に、物々しくオランダの三色旗を翻(ひるがえ)した「植民地の官船」がたくさんある。昔、スペインで流行(はや)ったガレオンやキャラベルという、船首(みよし)は馬鹿に低く、船尾(とも)は広く高い楼船(ろうせん)*に似ている。

* 楼(ろう)は、船の甲板上に作られたやぐらで、その位置により船首楼、船橋楼、船尾楼と呼ばれる。

遠浅のため、上陸場は「すべり」となっているので、約一町ばかりを、ズボンをからげて渉(わた)る者、白い制服を着て、真っ黒な現地の人の背に負われて気味悪がる者など、異態(いたい)百出である。

見渡せば、明るくスッキリした美しさと雄大な景観の美しさとをただ一所に集める勢いで、例のヤシの木、檳榔樹(びんろうじゅ)、大戟樹(だいげきじゅ)*などが高くそびえて並んでいる。このスラリとした高い快活な樹(き)が、見る人の頭に、整然として、しかも明快なる印象を与えている。その下に、さらに南洋的な色彩を強めようと、高い縁と大きい破風(はふ)**と日本のお宮によく見うけるようなヒョロ長い千木(ちぎ)***とを有する地元住人の小さな家が軒をつらね、裾(すそ)をからげた田舎娘のようにたたずんでいる。

* いずれもヤシ科の常緑高木。
** 破風(はふ)は、切妻造(きりづまづく)りなどの住宅建築で、開いた本を伏せたような形の屋根の端の三角形になっている部分。
*** 千木(ちぎ)は、その破風の先端をそのまま上に伸ばしてできる×の形の部分で、神社などに多く見られる。

なんだか古事記の中の家を二十世紀の現実の世界に引っ張り出したような気がするが、ただ二つ、サルタン(酋長)の家と、島司(とうじ)*の家のみは洋風で、門前にはいかめしく古い大砲を飾ってあった。

* 島司(とうじ)は、日本では明治以降の島地を管轄する地方行政官を指すが、ここではそのような役人のこと。

熱い太陽がすすけた西空に沈み去って、焼きつくような地熱もようやくその勢いを収め、ぼくの好きな、哀れにして落ち着いた夕暮れの色が、くまなく野原をおおうとき、現地の連中と交換した槍(ブチョウ)や刀(チヲ)をかついで帰ってくると、大きな水牛が田の中にカラスを載せたまま遊んでいる。実に静かな南洋らしい好い景勝(けいしょう)である。

翌日(九日)午前。

立派なマレー帽と色の美しい衣服とをつけた酋長(しゅうちょう)が、五、六人の部下をつれて船へ訪ねてきた。お土産に持ってきたヤシの実の汁を飲み、マンゴを食し、さらに例の怪文字アラビア語の講義を聞く。それによって、マレー語では米を「ヨネ」と呼び、舞踊(おどり)は「マイ」と言い、茶は「シャ」ということを発見する。

この現地の人々と日本人との人種的に相似する点は、ただこうした言語にとどまらず、その他、棟木(むなぎ)、破風(はふ)、千木(ちぎ)、縁側(えんがわ)等の様式や、その他に室内の間配りにいたるまで、よく似たその住居(すまい)と、細々(こまごま)としたその習性(しゅうせい)等において十分それを看取することができる。

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