現代語訳『海のロマンス』154:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第154回)

美港アンボイナ

豊果(ほうか)の王として世界に名高きマンゴステンと、山紫月明(さんしげつめい)の涼夜(りょうや)をもって、世にうたわれているアンボイナ港は、山影(やまかげ)蒼(あお)く、静かなる天然の良港である。

常に気ぜわしい心を抱いて、泊地から港へと忙(せわ)しい思いをはせるのが船乗りの生活である。

九月七日、ビマに投錨した練習船は、同九日午後にはすでにアンボイナへと向かう途上にあった。そして、十五日午前二時、つまり真夜中に、ここ南洋の美港アンボイナの静かな夜の空気を揺るがして、その深い蒼(あお)い湾(うみ)に重い錨(いかり)を投げた。

アンボイナは港湾としての価値からみても、景観をめぐる嗜好(しこう)からみても、実に申し分のない好い港である。適当な広さの港口(こうこう)、錨地(びょうち)(陸岸から一町ばかり)において平均七十尺(約二十メートル)にあまる深さを有するその水深、疾風(ゲール)や怒涛(どとう)を決して経験することのない、その地理的位置。これらはすべて、前者、つまり港湾としての価値を満足させる好条件である。

後者、つまり景観を充実させているこの港の天然美は、実に何ともいえないものがある。清冽(せいれつ)な湾内の水に紺碧(こんぺき)の影を映した熱帯植物が生えるがままに生え朽(く)ちるがままに朽(く)ちて静かなる海に面している様子は、太古よりの神秘を物語るようである。

しっとりとした南洋の月光が、金波(きんぱ)を生み銀波(ぎんぱ)を砕(くだ)く夕べ、静かに吹き出す涼(すず)しく心地よい陸風(りくふう)につれて、どこからともなく旅人の心に迫るがごとく、遠く、かすかに哀切(あいせつ)な音が聞こえてくる。いずれにしても、恋に泣く現地の人々の歌声か、または故郷に対する情を遙(はる)かなオランダの空にはせる、殖民のために移住してきた人々の興にまかせた歌声であろう。

六、マンゴスチン

女性として国を率いている世界で最も傑(すぐ)れたる者として、かの英国人たちが非常な誇りとしているビクトリア女王が、その御在世(ございせい)のみぎり、もったいなくも「願わくば再びかかる豊果を味わいたいものなり」と、仰せられたと世に伝えられるほどに、わがマンゴスチン*は比類なき美味を持っている。

* マンゴスチン フクギ科フクギ属の常緑高木の果実。東南アジア原産で、果物の女王と呼ばれる。
 名前が似ているマンゴ(ー)はウルシ科で別の果実。

色もゆかしき紫色の外皮の中に、白い内果(み)が五つ六つ房(ふさ)になって集まっている。歯にも舌にも何らの強い刺激を与えずして、しかも口腔(こうこう)一面に、気品ある清新な香りと味わいとを感じる。

その名声において、その実質において、その外形において、すでに貴族的であるマンゴスチンは、その味覚においても貴族的である。

静かに咽喉(のど)から胃へと送る途中で、淡雪のごとく音もなくサラサラと溶けてなくなるかとばかり、なめらかな触感を与える上品な果物(くだもの)である。口に含めば、清涼剤のごとき薫香(かおり)、歯根に染(し)みわたるほどに上品な果物(くだもの)である。

舌にこだわらざるほどに甘く、歯に沁(し)まないほどに酸(す)っぱく、咽喉(のど)を刺激しないほどに豊かな果物(くだもの)である。

この豊果(ほうか)の王たるマンゴスチンの他、アンボイナ島にはドリアンとかマンゴとか、ヤシ、パイナップル、バナナ等の熱帯果実が南洋の秋色(しゅうしょく)をわがものとして、市場の軒(のき)を飾っている。

七、南洋の日本娘

ハヤのような銀色に光った細かい鱗族(うお)が、ヒラヒラと嬉遊(きゆう)している埠頭(はとば)の青い水に色とりどりの影を落としながら、檳榔樹(びんろうじゅ)の紅(あか)い果(み)で白い歯をものすごく染めた女、うまそうに黄色く熟したバナナの大房(おおぶさ)をさげた縮(ちぢ)れ毛の原住民、マレー帽に無地の色華(いろはな)やかな、ゆったりとした衣裳をまとった酋長(しゅうちょう)、土甕(どがめ)や傘などを巧みに頭に載せて歩く娘たちなどが往来する。

絵で見た情趣(じょうしゅ)ある南洋の風景が、一時に画面から抜け出て、一時に活動するがごとく、実にきれいだ。

この南洋の錦絵の場面(シーン)から少し入りこんだところに、アンボイナ駐屯(ちゅうとん)の連隊の兵営がある。カーキ色の洋服を着た現地採用の兵隊がヒョコヒョコと栄養不良のような細い体をものうげに運んでいる。長い腰の刀が目につく。

ムラムラと暑い地熱のために陽炎(かげろう)が立ち上っている。その地面に強い紫の影を落として、怪(あや)しげな、中国服とも日本服とも判然としないゆったりとした衣服を着た女が列を作って通っていく。その数、約二十ばかり。

日本娘である。いわゆる「赤道下の新しい女」である。

見れば、どれもこれも実に嫌(いや)な顔の色をしている。

ふやけたような黄色い顔。過去の暗い痛ましい生活がうす暗く、どこやらに漂っているような顔、自ら進んで生の幸福を甘受しようとする努力と期待とをまったく失ったような疲れた顔。気の毒という憐憫(れんびん)の情よりも、まず同胞(どうほう)の面汚(つらよご)し奴(め)という理知が先に働きそうな、同情を引かぬ面つきをしている者ばかりである。

聞けば、なんでも、例の十四ヵ国同盟の公娼廃止論決議で、今日から断然、醜業(しゅうぎょう)の鑑札をとりあげられるので、今ちょうど「レシデント」へ出頭する途上だという*。

* 十四ヵ国同盟とは、一九一〇年に英、仏、独などヨーロッパ諸国が参加した第二回パリ会議で採択された、女性や子供の人身売買・売春行為(=醜業)を禁止する国際条約。
公娼(こうしょう)は、政府から許可された売春婦。
鑑札は許可証。
江戸時代末から昭和初期にかけて、主に東南アジアを中心に海外に出かせぎに出る日本女性が多くいた。彼女たちは、からゆき(唐行き)さんと呼ばれた。
レシデントは、オランダの植民地を統治する理事官。

それで、こうした「零落(れいらく)した女」の行く末(ゆくすえ)はどうなるかというに、こんな大事の瀬戸際において、一銭の貯蓄(たくわえ)もないために日本に帰ることもできず、さりとて堅気(かたぎ)の奉公(ほうこう)を志願しても先方で聞いてくれず、多くは現地の島に住んでいる日本人(約三〇人)のもとに転がりこむか、あるいは中国人の妻妾(さいしょう)となるかである。しかし、これらはまだよい方で、運の悪い者たちは現地の男たちの配偶(はいぐう)となって、感興もなく、啓示もなく、憧憬(どうけい)もない、つらい後半生(こうはんせい)を送るという。

こうした売春のために日本から集められて送られた女性たちは苦難をなめることになったが、その一方、彼女たちの雇い主たる「親方」なるものも、ほぼ同様の、悲惨な運命をたどることになる。それは平生(ふだん)、人の怨(うら)みのこもった血の出るような悪銭(あくせん)を絞(しぼ)っているくせに、少しもそれが身についていないからだという。

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