現代語訳『海のロマンス』63:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第63回)
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下、ケープホーンについて

こうした十分すぎる強迫観念にとらわれながらも期待していたケープホーンを、はなはだあっけない平凡な時化(しけ)のなかで通りすぎた。これは、一面からいえば、海に完全に慣れた結果であるかもしれないが、他の一面からいえば、単調な、いわゆるドッグライフの中毒である。欲求の刺激を受けない、のらくら生涯の満足である。波乱も起伏もない行事を日一日と送迎する生活にひたりきった結果である。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 77:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第77回)
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フランスの大きな川では釣りが盛んだ。ドイツではほとんどいないのに、フランスの川では、ここぞというところには必ず釣り師がいる。とはいえ、釣りなんてものは、さわがしいフランス人より寡黙なドイツ人に向いているのではないかとまだ思っている人がいるかもしれない。だが、ここでは何百人ものフランス人が、男も女も、毎日釣りをしていて、小さなウキやエサのバッタをじっと見つめている。ときどき親指くらいの魚を釣り上げでもすれば、それで大満足なのだ。こうした釣り師ですら、ぼくが話をした誰一人として毛針を見たことはないらしい。

釣り師は一般に単独行だ。ぼくはホテルでよく「カヌーに一人で乗っていてさびしくはないのか」ときかれたりするのだが、こう答える。「釣り人をごらんなさい。あの人たちは自分の意思で何時間も一人でいるんですよ。ずっと釣りに集中してるんです。ぼくもそれと同じですよ」と。

とはいえ、ときには一隻のボートに何人もが乗り合わせている場合もある。家長みたいな親父が満足そうに座っていて、釣果は気にしない風で、針に餌をつけたり、パイプをくゆらせたりしてすごしている。川岸の方でもまったく同じで、草の上に寝そべり、果報は寝て待てといった風に、あくせくしていない。一方、若い男の方は竿先の反応に全神経をそそいでいるが、水中のすれっからし魚が釣り師をからかってエサをつっついたりし、釣り師があわててそっくり返るのを青い目をぱちくりさせて眺めていたりする。女たちは、魚がかかったかどうかなんかそっちのけで、おしゃべりに興じている。そのうちの一人が(かなりの美人だ)陸に上がり、そこで針に餌をつけたり、しなをつくって周囲の取り巻き連中にこびた笑いを浮かべたりもしている。

そういう人々とは別に、網を持った漁師もいた。そういう人たちはたいてい一隻の、船首と船尾が上を向いたボートに三人で乗っている。まわりの人々は皆、ボートが転覆するんじゃないかと気がかりな様子で見つめている。というのも、そういうボートはルネサンス期の画家ラファエルの絵に描かれたヨハネ福音書の「奇跡の漁」とうり二つで、男たちに比べてボートがなんとも小さいのだ。

V&A - Raphael, The Miraculous Draught of Fishes (1515)

川の石をひっくり返し、ザリガニや淡水エビを捕る子供や若者たちもいる。たくさんとれてはいるが、手間がかかる割に食料になる肉は少ししかない。こうした釣り人たちの近くでは、カワカマスが水面下をものすごい速さで突っ切ったりしている。ときには、その鼻先の長い捕食者から逃れようと、かわいそうに小さなマスが空中に飛び出したりする。それを追って、捕食者も空中に跳びあがり、大きな口を開けてガブリとやる。こうした魚のライズに加えて、中洲の間をすべるように進んできたぼくのカヌーがふいに出現したりするものだから、周囲に目を配りながら流れを泳ぎ下っていたガモの群れのリーダーが警戒音を発した。と、群れのカモすべてがぶしつけな侵入者に対し怒ったように叫びだす。自分たちのいる場所が安全ではないとわかると、一声鳴いて羽ばたき、水面を蹴る。イギリスの変な闖入者(ちんにゅうしゃ)が来ないような落ち着ける場所を求めて、彼らは一団となって飛び去った。

チリンチリンと鐘が鳴る。川の対岸に住んでいる渡し船の船頭を呼ぶ音だ。船頭はそれを聞くと、ちょっと不格好な渡し船に飛び乗る。川の両岸間に滑車つきのワイヤーが張られていて、それにボートのロープが結んである。船頭がオールを軽く漕ぐと、ボートは流れに乗ってすぐに対岸に着く。

そこからさらに先までカヌーで漕ぎ下ったところで、(カヌーに話しかけたそうな)船頭がいたので、ちょっと話をした。その直後、ある現象が生じた。

一軒の大きな、新築の二階建ての家が見えていたのだが──それが現実に動いたのだ!

ぼくらは少し前からその家に気づいてはいた。それが建っているはずのところから移動していく。びっくりして見つめていると、なんと、家全体が消えてしまった。

まもなく、川のその先のカーブを曲がったところで、謎が解けた。その家──川に浮かぶはしけの上に建てられた大きな木製の水浴び「施設」は、蒸気船に曳航されて川を上って来ていたのだった。

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現代語訳『海のロマンス』62 練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第62回)

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海上の墓場 上、マゼランの世界一周

……かくして世界周航の針路は、パタゴニアの西海岸に沿って北寄りに進み、次に西北、次に真西に向かい、羅針盤の針はマリアナ諸島を指している。


……さても浅はかな人知で察することができない、広大無辺(こうだいむへん)の海洋(うみ)のたたずまいよ!!!
白雲は悠々(ゆうゆう)たり! イルカは嬉々(きき)たり!!!
船は風に送られ雲に導かれて、洋上に出没する太陽を見ること九十八日に及んだ。


……かかるうち、飢餓(きが)と壊血病(かいけつびょう)は人々を襲い、ついには大枚二円八十銭にて一匹のネズミ(船倉などにいる)を買って食うのは、孔雀(くじゃく)の舌よりも、大牢(たいろう)の美食よりもぜいたくなり、と噂されるにいたれり……

と、マゼランの世界周航記に書いてある。

マゼランが自分の名前が冠せられることになるマゼラン海峡を発見して通過を開始した第一日は一五二〇年の十月二十一日で、当日は聖(セント)ウルスラの祝日*1であったから、海峡の右岸は「一万一千の聖女の峰」と名づけられた。左岸の陸地には、ちょうど焚火の火が見えていたことから、ティエラ・デル・フェゴ(火山の島)と彼らは呼んだ。

*1: 聖ウルスラの祝日とは、ドイツ・ケルン地方に伝わるキリスト教徒の聖処女伝説の聖女ウルスラを崇敬する日である。
現在は実際に存在していたのか疑問視され、カトリック教会の典礼暦からは削除されている。

かくて三十八日間の探検の後、彼らの船は、いまだ旧世界の船舶が訪れたことのない新しい海に浮かび出た。雨に風にさんざんに大西洋の時化(しけ)に苦しんできたポルトガルの船乗りは、意外にも平和な海を見て、嬉しさのあまり「太平なる海、太平洋」と命名した。

後年、ある詩人がこの「この偉大なる海の人」を賛美して、

風はおだやかに吹き、泡立つ海は白く散る
白き波頭、快(こころよ)き海風
われこそは、この静かなる海へ
浮かび出でたる第一人者なれ

しかし、ぼくはこのメル・パシフィコ(太平洋)には異論がある。ぼくらのいままでの経験によると、同じ気候(冬ならば冬)という条件下では、太平洋といえど、その時化(しけ)の苛烈(かれつ)さにおいて、ことさら大西洋に劣るものではない。

「風が吹けば、海が荒れ狂う」という諺(ことわざ)さえある。北部にはストームがあって、南部や西部にハリケーンや台風が存在する太平洋は、その面積が広いだけ時化(しけ)方もまた大変である。察するところ、豪胆(ごうたん)にして、しかも一方で思慮に富んでいたマゼランは、後輩たちが他日安心してその生命と船舶とを信頼させるにたる十分な効果をもたらそうとひそかに考えて、この美しく泰平なる名前をつけたのであろう。

中、ケープホーン回航

一月六日。南緯五十六度十八分、西経七十度二十五分。ディエゴ・ラミエズ島(ケープホーンの西南六十海里)まで五十五海里となった。

風は相当に強いが、心持ちは極めて爽快である。「ロワーゲルン*2下ろせ」の士官の号令も勇ましく、「バントラインで帆をたため」の笛の音もまた勇ましく、緊張したリーサイド(風下舷)の伝令にこたえて、当直員の興奮した復令(アンサーバック)が一瞬の油断を示さぬいきおいで、りりしく甲板(デッキ)に湧く。

*2: ロワーゲルン - 帆船の横帆の一種。帆の名称は、マストの上からロイヤル、アッパーゲルン、ロワーゲルン、アッパートップ、ロワートップ…と続く。
ちなみにゲルンは、(トップ)ギャラン(topgallant)がなまったもの。
帆船の種類や艤装によってマストや帆の数や名称も変わることが多い(セールトレーニングが行われている現代の帆船でも、船ごとに名称が微妙に異なっていたりする)。

パラパラと白い服の練習生たちが動いて、帆は絞(し)め殺されるニワトリの羽のごとくバタバタと揺れ動く。リギンを伝う黒い五、六の姿が見えたと思う間もなく、なにくそっというように帆桁(ヤード)の上で赤い太い手が一斉に動いたと思ったら、帆は意気地なくもスラスラと巻きつけられる。なんとなく頭脳(あたま)は興奮し、身内の肉が引き締まるような気分である。

何たる男性的な作業であろうぞ。

展開している帆(ほ)は、前帆(まえほ)とミズンの下(した)トップスルの二枚だけである。

さすがにケープホーンの風と海とは「海上の墓場」だけにものすごく吹き、ものすごく荒れる。風力は十一(時速八十マイル、風速三十五メートル)*3に達し、波はそのひとつの「山と谷」とをもって十分前帆(まえほ)を超えるほどに大きい。夏でさえこれである。一日の四分の三は暗黒(やみ)の海を行く冬季のケープホーン航海!!! 考えてみただけでもぞっとする。

*3:現代では、風の強さは「ビューフォート風力階級表」を用いる。これに換算すると時速八十マイルは最高ランクの十二を余裕で超え、台風並みである。
ちなみに日本で海上風警報が発令されるのは風力七、十を超えると海上暴風警報になる。

油が四か所から流され、ハッチはとっくの昔に閉鎖されている。ライフラインは縦横に引かれ、補助エンジンが点火され、「大成丸式荒天準備」はいかんなく準備された。

かくして四時間交代の半舷当直(ワッチアンドワッチ)の夜は明けて、一月七日の午前二時となる。

「海上の墓場」として船乗りに恐れられ、船乗り稼業の「免許皆伝道場」として海の子に親しまれ、「海のアルプス」として海洋詩人に歌われたケープホーンを、大正二年正月七日午前二時、その十八マイル沖をかわして無事通過した、らしい。

なるほど通過したのは間違いない。夏季(かき)のケープホーン沖は、海上一面にもやが立ちこめ、水平線もケープホーンも見えたものではない。

なんとなく物足りないケープホーン「通過」である。これが命を賭(と)して、一か八かのサイコロを振るところとはとうてい思われない。これが英国の海事会社で海員の志願者に課する試験項目のうちで最も大切なものとして「なんじはこれまで何度ケープホーンを通ったか?」とという質問が出るほどに、船乗りが誇りとするところだとは思われない。

現実に、網膜の上に灰色の岩塊を映じてフフーンと合点するまでは、実感が持てないし、なかなか納得できそうもない。

かくして、息のつまるような風と、むやみに荒れ騒ぐ波と、陰気な気持ちの悪い霧雨との間を、一時間七マイルぐらいの速力でしゃにむに乗り切った船は、午後三時ごろ、ズルロードの仮泊地に近づく。

近づくに従い、海はようやくおさまり、風ようやく死に去って、薄暮当直(イブニングワッチ)に立つ頃は、いままでの修羅場はどこへやら、しとしと細かいやわらかい雨が帆のない裸マストに降りそそぐなかで、船はユラリユラリとすましてござる。

ここにおいてか、ケープホーンの偉さ加減、恐ろしさ加減が、なんとなくしみこんでくる。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 76:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第76回)
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このときは、他の場所でも一、二度、大変な目にあった。具体的にいうと、陸路で迂回する際に生垣を超えたりするのだが、そういうときはカヌーの舳先を生垣の上に押し上げておき、反対側にまわって引き下ろす。そうやって力仕事をした後で、実は下ろす場所が違っているとわかり、逆の順序でカヌーをまた元の場所に戻し、一からやり直すといったことだ。しかも、それがすべて一日のうちに起きた。とはいえ、そういうのは一晩ぐっすり寝るとか、おもしろい激流下りの冒険があったりすれば忘れてしまう程度のことではある。

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現代語訳『海のロマンス』61:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第61回)
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南太平洋の元旦

青海原に暮れ行く今年かな

明治四十五年と大正元年との両面を有する、記念多き、変化多かりし一年は、静かに広大な青い海の水平線のかなたに暮れていって、悲しい、嬉しい、華やかにして暗い、さまざまな色のぼくの記憶もまた、一緒に伴って去ろうとしている。いまさらに強い哀惜(あいせき)の念が胸に湧く年の暮れである。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 75:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第75回)
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ナイフをまた失くした。くやしい。今日は一日、憂鬱な気分だった。イギリスを出発するとき、カヌーには三本のナイフを積んでいた。そのうちの一本は連絡の手伝いを頼んだ人にお礼として提供した。一本はうっかり落としてしまった。何度か跳ねたりしたのだが、つかむことができず、川に落ちてしまった。カヌーではナイフにはちゃんとラニヤード、つまりヒモをつけておけというのが教訓だ。

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現代語訳『海のロマンス』60:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第60回)
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氷山の見張り

誰やらが二、三日前に、いよいよケープホーンだとささやいた。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 74:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第74回)
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カヌーで川下りしながら、川沿いの景色にも慣れ、流れにも気をつかうべき難所がなくなってくると、気持ちはどうしてもそこにいる動物や鳥たちに向かうことになる。五分も眺めていれば、きっと楽しいものと出会えるはずだ。

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現代語訳『海のロマンス』59:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第59回)
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クリスマス・イブ

練習船(ふね)の中で、このクリスマス・イブを最もまじめに、最も楽しみにし、最も期待して迎える者はただ一人の英語教官、ミスター・フィリップである。サルーンにあるその部屋を訪問する。明るい花型の洋灯(ランプ)の下でタイプライターを打っている。机の上には、例の城(キャッスル)とタータンチェックの格子縞と紋章とが美しく描(か)いてあるスコットランドの絵葉書がある。

努めて愛想よく、努めて晴れやかに話すが、人情も風俗もまったく異なった外国の練習船(ふね)で、共に祝い楽しむ友もなく、一人寂しく、一年一度のこの日を送るという、さびしい情(おもい)が心の奥深く潜んでいる。

舌のまわる範囲で、どうやらこうやら慰めたつもりで食堂に帰ると、例のカリフォルニアの母、ミセス・ホラハンの贈り物であるジャムケーキの缶を開けて、みんなで楽しんでいる。一緒に出ているごちそうはカステラと紅茶。

いざ、祝(しゅく)さんかな、ホラハンのクリスマス、いざや歌わんかな、フィリップのクリスマス。

一、紅茶のカップ
あわれ紅茶のカップ
白きカップのめぐるとき
注げよ、いざや
海が荒れようとも風が強かろうとも
腹一杯に飲めや、君

二、甘きジャムケーキ、
あわれ甘きジャムケーキ
君がさかんにぱくつくとき
歌え祝せ
ミセス・ホラハンのプレゼント
眼中にケープホーンなく
勝手次第に高く笑へ。

海上のクリスマスだけに、ブドウの杯(ちょこ)は紅茶のカップで妥協し、王侯はケープホーンに変えてある。女好きの天才、アービングが聞いたら、さぞかし名こそなけれ師匠をしのぐ弟子たる若き詩人が大成丸にいるわいと、驚くことであろう。

餅つき

十二月二十七日。一枚の板を境界(さかい)に上甲板では餅をつき、教室では無線電信学の講義をやる。近頃珍しい、よい天気である。

当直員の中から、一分隊一人ずつの割合で「餅つき係」なるものが選出される。アンテナマストの根本で作った臼(うす)の中へ、コックがポッポと湯気のたつ餅米を放りこんでいく。それっと赤黒い太い二本の手が杵(きね)をつかんだまま、空を切って上下に動く。

「おい、こらっ、右足を出して餅をつくやつがあるものか、それにまたなんだ!? オーイオーイと決闘でもするようなドラ声を出して……」と、仁王様のようないい体格をした男が、こね方の一人に叱られている。

「ハ……ッ、やられたな、しかし進藤、きさまの手つきはなかなかうまいぞ。その水をつけた手でチョイチョイと餅の顔をなでるところは、まるで賃餅(ちんもち)屋の小倅(こせがれ)だね……」

「ハハ……」と笑いながら、太い毛むくじゃらな手がしきりと餅をこねている。

半固体形の餅を介して柔らかく杵(きね)が臼(うす)に当たる音は、帆に船に海に雲に反響して、天下泰平(てんかたいへい)、五穀豊穣(ごこくほうじょう)と、太平のときを謳歌しているように聞こえる。すこぶるおめでたい。すこぶる快活な勇ましい気持ちになる。

「……他の導体の電位をことごとく零とするとき、すなわち一つの導体が他のものと完全なる絶縁状態にあるとき、電池の蓄電容量はその絶対値にある……」とかなんとか、無線電信局長の講義している声が、明かり取りのスカイライトから上甲板に漏れてくる。

局長はまたスカイライトから漏れて入る上甲板の餅の音を聞きながら、「一つの世界が他の者と完全なる絶縁状態にあるとき、静電容量はその絶対値にある……」などと、腹の中で一般原則に帰納しているのだろうか?

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ヨーロッパをカヌーで旅する 73:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第73回)
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第十三章

川は葉の茂った枝々がアーチ状に伸びた下を流れていた。水深があり、穏やかだった。長く伸びた草にロープを結んでカヌーをつなぎとめ、こわばった両手両足を思いっきり伸ばして体を休めた。ワインやパンはまだ残っている。ハチや蝶が飛んでいた。カブトムシやネズミもいた。ほんの半時間ほど休憩しただけだが、空中や水辺でさまざまな生き物を見ることができた。

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