ヨーロッパをカヌーで旅する 79:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第79回)
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むろん、橋に到達すれば、そこには集落があるはずだ。実際に、そこではまさしくドナウ川のゲーグリンゲンで起こったのと同じ光景が繰り返されることになった。暗くなって川岸にカヌーを着けて引き上げ、水滴をふきとった後、ぼくは土手の上に見える家まで登っていき、ドアをたたいた。窓が開き、夜着を来た立派な夫婦が顔を出した。夜分の侵入者を確かめるように、ローソクを手にしている。このうえなく喜劇的な光景だ。男の方が「これは悪ふざけか?」と聞いてくる。こんな時刻に、こんなところまで、まさかイギリスからの旅人がのこのこやってくるとは想像もしていなかったのだろう。だが、事情がわかると相手はすぐにぼくに手を貸し、近所の小さなレストランまでカヌーを運ぶのを手伝ってくれた。そこでは十人ほどの男たちが飲んでいたが、カヌーを見ようとランプを持って押し寄せてくる。それから、ぼくらは暗い通りを抜けて別の家までカヌーを運んだ。そこでもまた別の酒のみ連中が引き継いでくれて、カヌーをそこの庭に置かせてくれた。翌朝、好奇心にかられた人々が、旗をひらめかせているカヌーを壁ごしに見ようとやってきた。妻を寝かせたまま濡れたカヌーの運搬を手伝ってくれた家のご主人には五フランを謝礼として渡した。喜んでくれた。物価の安いこのあたりでは五ポンドの価値はあるはずだ。夜が明けると、前日に悪戦苦闘した場所をたどってみた。闇夜に手探りで進んできたさまざまな水路を逆にたどっていくのはとても興味深かった。

この町で、一人のフランス人紳士と出会った。陽気で快活な人だったが、あの、楽しくもあり、無分別でもあり華々しくもあるパリと比較して、国境に近いこの町が大きな工場の城下町のようになっていることを嘆いていた。氏によれば、パリでは何日もベッドで眠ることなく舞踏会や芝居見物やパーティーに明け暮れるのだそうだ。その人はご親切に、その大きな製塩工場に連れていってくれた。そこで精製された塩はヨーロッパ中に送りだされているらしい。ここの岩塩は石炭の鉱脈のように地下深くで採掘され、坑道から運び出される。坑道は長くて、高さもあった。水槽に水がためてある。それに岩塩を入れて溶解させる。そこから平たい釜に流し入れる。炉の熱で水分が蒸発し、吹きだまりの雪みたいな乾いた塩のかたまりができる。重量単位で販売する塩にはまた水をかけて湿らせ、容積単位で売る塩は結晶化させて、すきまだらけのいびつな形にして可能な限り大きなスペースをとるようにしてある。なかなか商売上手である。

この場所にも運河があった。川はとても浅いので、カヌーはこの人工の水路に浮かべた。強く絶好の風が吹いているので、すぐに帆走した。この運河は行き交う船が多く、ロックは数えるほどしかなかった。だから退屈することはなかった。ロックでは許可証の提示を求められた。ぼくとしては、これまでと同様に、笑顔の顔パスで通ろうとした。が、運河沿いを巡回していた運河の係員が重大な規則違反だとみなし、ロックでは「通行証」を作る必要があると言ってきかなかった。最後の手段として、ぼくは相手にもう何度も人に見せてすりきれかけているスケッチブックを見せた。すると、彼はすぐに興味を示してページをめくった。規則違反の容疑者のスケッチに大笑いした後に、まじめな顔をして罰を言い渡すことはできない──というわけで、なんとか通してもらった。

不思議なことに、地方の人々はちょっとしたスケッチでも本当に喜んでくれる。なにかと邪魔をしてくる人には、ときどきスケッチを見せたりする。相手は必ずといっていいくらい他の連中にも見せようとその場を離れる。で、彼らが戻ってきたときには、こっちは影も形もないという寸法だ。一度、女の子にぼくの弟の似顔絵を渡したことがある。すると、彼女は翌朝にその絵を戻してくれたのだが、なぜかしわくちゃだった。母親によれば、その娘は一晩中ずっとその絵を握りしめていたのだという。

これは君らにも有効だよ、若いカヌーイストたち。不運な浮浪児となかよくなるには、子供向けの冒険の本でもあればいい。子供たちには物乞(ものご)いするのではなく、稼(かぜ)ぐことを教えよう。色のあせた茶色っぽいボロ服ではなく、靴磨きの子のように明るい赤いコートや少年水夫のような明るい青い上着に変えさせよう。そうして「チチェスター」みたいな川岸に設置された浮浪児の収容施設に声援を送ろう。本の読み方を教え、「イギリスの働く人々」や「少年新聞」、「少年少女文学」とか「おしゃべりっ子」とかを渡し、ゴミみたいな新聞は破り捨てよう。

カヌーに乗っているときは、姿勢をただし、ゆったりと座ろう。

そして、こうした子供たちみんなのために祈ろう。でなければ、君のやっていることは意味がない*1。祈るときは膝まづけという偉そうな「説教」など気にすることはない。ずっと下流では、君やぼくに伸ばされる力強い腕が待っている。少年少女たちがお互いに恵まれない境遇のぼくらに声援を送ってくれるのだ。

*1: 著者のジョン・マクレガーは自設計のカヌーによる航海を行う一方、ロンドンの法廷弁護士として活動し、キリスト教に基づく貧者救済のフィランソロピスト(社会奉仕活動家)としての側面も持っていた。
当時のベストセラーとなったロブロイ・カヌーによる航海記の印税はすべて、難破船の海員協会と王立救命艇協会に寄付されている。

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