ヨーロッパをカヌーで旅する 78:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第78回)
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びっくりした後には、家族の情というものに接することになった。

川岸に、どう見ても心配しきりという様子の三人の女性がいた。母親と娘とお手伝いさんで、魚釣りに出かけたきり何時間経っても戻ってこない男の子二人を探しているのだった。

女たちは二人を見なかったかと、ぼくにしきりに聞き、何か気づいたことはないかと涙ながらにすがってくる。ぼくとしても、なにか安心するようなことを言ってやりたいのだが、そういう男の子は見ていないのだ! 川を下りながら、釣りをしている子供を見た記憶はなかった。女たちはとり乱した様子で去っていったが、ぼくの方にはやりきれない思いが残った──女の涙、特に母親の涙を見て、せつなく感じない者などいないだろう。とはいえ、岩場のど真ん中で必死でパドルを漕ぎながら、不意に、そういえば、彼女たちの説明する姿格好に当てはまる男の子を目撃したことを思い出した。

それで、すぐさま上陸し、おろおろしている母親たちを走って追いかけ、「その子供たちなら一時間前には無事でしたよ」と伝えた。二人には男の召使が付き添っていたのだが、お守りの男は釣りに夢中になっていて、子供たちはといえば、釣りに飽きてヤギと遊んでいたのだ。幼い息子たちが無事だと聞いた母親は喜びのあまりまた泣きだした。それを見て、こっちも自分の学校時代が鮮やかによみがえってきた。子供時代、自分が無分別に遊びまわり、そのことで母親をどれだけ心配させたのかということが。

そういうことがあってからは、川の様子や景観のイメージが一変した。ありきたりの埃っぽい街道やガタンゴトンとうるさい列車での出来事に比べれば、はるかに生き生きとした世界で、存分に楽しむことができた。

二度か三度、浅瀬でカヌーを引きながら歩いて渡ったり、カヌーが川底にぶつかったりした。「堰(せき)」も一つ二つあった。が、夕方までは快適に川下りを楽しめた。しかし、流れは遅く、遠くの地平線にセント・ニコラスの塔群が見えているのに、それが一向に近づいてこない。それどころか、横にずれていく。ということは、この川はとんでもなく蛇行しているということだ。カヌーを精一杯の速さで漕いだものの、夕闇が迫ってくるのも早かった。ボートに乗った二人組を追い越した。フランス人が運動のためにボートを漕いでいるのを、このときはじめて見た。ボートはカヌーについてこれなかった。川底につかえたのだ。そのまま置いてけぼりにしたものの、連中はあわてず騒がず、なかなか座礁したところから動かない。それで引き返して離礁を手伝ったりした。

その後で、高さが十五フィート(約三メートル)はありそうな大きな堰(せき)があった。これまで出会ったなかで一番の高さだ。ため息が出た。丸一日ずっと漕いできた挙句に、カヌーを下り、暗い中でカヌーを土手に引っ張り上げて堰(せき)を超えなければならない。おまけに、その下流では浅い迷路のようなところに入りこんでしまった。灯りもなく、どうやってそこを通り抜ければよいのか見当もつかない。一休みして立ちどまると、周囲を闇と沈黙が支配し、動くものは何もない。やっと流れのあるところに出る。が、喜ぶ元気もない。ぼくはカヌーを引っ張って渡渉し、そこでまたカヌーに乗り、さらに半マイルほど進んだ。すると、右岸で見張りをしていた男が大きな声をかけてくれた。「前方、風下側に橋と家があるよ!」と。われながら、思わず歓声を上げた。この最後の一時間の悪戦苦闘は、ほんの数行でまとめることができるかもしれない。流れはなく、危険もなかった。退屈極まりなく、水に濡れ、灯りもなく、ずっと気がめいるようなことが続いた、と。それで、ぼくはその間はずっと歌を歌ったり口笛を吹いたりしていた。

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