現代語訳『海のロマンス』8:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若さあふれる商船学校生の手になる異色の帆船航海記が現代表記で復活(連載の第8回)


今回は、六分儀(セクスタント)を使った現在位置の測定(天測術)について述べています。
ヨットのスナーク号で太平洋を周航した作家のジャック・ロンドンによれば、彼のような素人にとって、天測を行う航海士は、凡庸な人でも「神聖な儀式をつかさどる司祭」(『スナーク号の航海』)のように見えたそうです。
現代のヨットマンにとっても、ある種の憧れがある、高尚な(なんか奥深そうな)技術に思えますが、練習船では、、、


山を裂き、岸を噛み、咆哮(ほうこう)と怒号(どごう)に満ちた自然が、その偉大で巨大な手を人間の頭上にかざすとき、人間というこざかしい二本足の動物は冷笑しつつ、見えないように隠れて、ちょこまかと小馬鹿にしたような抵抗を大自然の足元に加えるのだが、天測もその一つである。六分儀(セクスタント)はその目的のために用いる最も皮肉な武器である。

昔、スミスという男は、鏡は人間の個性を消し、人間の尊厳を軽んじる曲者(くせもの)だと述べた。六分儀にはその鏡が二つもついている。いくら日々の船の正午の位置を出すためとはいえ、太陽や月や星の別なく、とにかく赤や青に光るものを見れば、親のかたきにめぐりあったかのように、ただちに二枚の鏡でとって抑え、二つのネジで水平線に並ばせ、長く細い望遠鏡をくぐらせたり、はてはシェイドグラスで赤や青や紫など、さまざまの色に染め分けるなど、なんとも冒涜(ぼうとく)の極みであって、八大地獄の呵責(かしゃく)のムチを受けるのも遠くはないだろう。あるいは、タイタニックが沈んだのも、オリンピックでの失敗*1も、太陽神の知らせによって海神がくだした冥罰(みょうばつ)かもしれない。

アリアン族の理想は太陽神アポロである。大和民族の信仰の最高位は日の女神の天照大神(あまてらすおおみかみ)である。ペルシャの住人は日輪を拝して教えとなし、春秋の民は三尺さがって師の影を避けた。影でさえ三尺さがって踏まなかったのに、最も神聖な天地間の具象を断りもなく玩具(おもちゃ)にするとは大逆もいいところで、ありえないことだ。

練習船では、午前の八時と正午に左右の四舷直*2の学生のいずれかが、専任教官の監督の下で必ず太陽の高度を測定する。ピーッと専任教官の用意を促す笛が鳴りわたると、すわとばかりにテレスコープをのぞく眼差しは稲妻のように光り、各人各種のシェイドグラスで、あるいは真紅に、あるいは紺青に、鴇色(ときいろ)に、鶯茶(うぐいすちゃ)に、無残にもとらえられた太陽の影像を逃すまいとばかりに調整用のねじを動かして、離れよう離れようとするものを無理やりに、空と水とを分ける一本の水平線に引き下ろす。やがてピーッと鳴る専任教官の合図で、そのときの高度の値にクロノメーターの時分秒を組み合わせて自船の位置が決定される。

正午の観測は子午線高度(メリオン)と称し、太陽南中の高度、すなわち一日で太陽が最も高くなったときにレンズに収めて角度を測ることをいう。瑠璃(るり)色の空を切り裂いて、ひた昇りに昇る直径三十二分*3の太陽を追い詰めた一人が「いまだ。もうのぼらない」と叫ぶ。「どっこい、まだ動いてるよ、静かに静かに」と他の一人が舌打ちをする。まるで太陽をモデル扱いにしている。中には「まずいよ、下がりかけた、ちょっと待ってくれ」とどなる二十世紀の浄海入道*4もいる。

しかし、太陽はまだ問題が少ない方で、月とか星とかになると、ちょっと面倒である。ことに銀色に輝く何千万という星屑(ほしくず)の中から、命ぜられた一つの星を抜き取るのは至難の業(わざ)である。要するに、本音をいえば、天測は厄介な作業の最上位にくる。
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訳注
*1: 練習帆船大成丸が世界周航に出発したのは1912年。この年の4月にタイタニック号が沈没し、日本が初参加した同年のオリンピック・ストックホルム大会で、当時の世界最高記録保持者の金栗四三(かなくりしそう)が日射病で倒れたことを指す。 
*2: 舷直とは、乗員を作業グループごとに分けた、いわば勤務シフトのようなもの。
*3: 直径三十二分は太陽の視直径(見かけの大きさ)のこと。平均した太陽の視直径は地表から見た角度で0.5331度、これを時分に換算すると31.99分になる。
六分儀を用いた天測術(太陽や月、星の高度や位置を測定することで、自分の位置を割り出す技術)については、「ノウハウ 天測航法」で詳細に説明しています。
*4: 浄海入道 - 平清盛の戒名。

お断り
現代表記に改める際は原文の表記を尊重して行っていますが、現代の一般人の理解を容易にする範囲で、漢字や仮名遣(づか)いに加えて、[檣(しょう) -> マスト]など、名称の表記や表現自体を変更した場合があります

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