ヨーロッパをカヌーで旅する 85:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第85回)
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水辺にほど近いエレファント・ホテルのシャトー・ティエリでは快適な一夜をすごした。あくる日はカヌーを干し草置き場から引き出して川に浮かべた。流れは少しずつ速度を増した。ブドウ園の周囲は林になっていて、あちこちにイカダも浮かんでいた。そのイカダというのが、大きな樽をしばって連結させたものもあれば、板や伐採した丸太を組み合わせたものだったりした。巨木をそのまま利用しているのもあった。イカダの上にはそれぞれ小屋が作られている。いわば船長室だ。イカダ師たちは、この寄せ集めの木の構造物を岸から曳いたり押したり、流れに乗るよう操ったりして、二週間ほどかけてセーヌ川へと向かう。大変な作業だが、要は、組み合わせた木材の連結具合を調節したり形が崩れたりしないようにするだけだ。とはいえ、結構な仕事量ではある。このあたりでは、この手の人件費は非常に安い。

さらに川を下っていくと、羊の大群が水を飲もうと川岸に集まっていた。絵に描いたような昔ながらの牧歌的な光景だ。むろん、利口なシェパードが羊たちを制御している。もこもこした毛の大群がそこで水を飲むということを正確にわかっていて、ちゃんと冷たい水のある川辺まで到達するよう誘導している。そこを通りすぎると、静かな入江のようなところがあった。一人の村娘が牛を川まで連れてきていた。対岸にいる人と話をしている。相手の娘も牛を連れてきていた。そっちの牛は膝の深さまで川に入りこんで鼻先を下げて水を飲み、冷たい流れからまた顔を上げたりしている。道沿いには風変わりな荷馬車も停まっていた。家族全員が乗っているらしい。この馬車はヤギに引かれていた。その一家の子供があたりを跳ねまわっている。まだ仕事をする年ではない。今のうちに遊べるだけ遊んでおくことだよ、坊や。

ノジャンの橋があるところまで来た。その場所で、ぼくは一人の老人にカヌーを預けて上陸し、宿を見つけて朝食を注文した。仕事ができたコックは喜んでいた。壁には聖人の肖像画が飾ってあった。娘たちの縫った刺繍のサンプラーもあった。文字は二十五のアルファベットしか使われていなかった*1。アルファベットのWは今では本や新聞でもごく普通に使われているが、昔のフランス語の文法では無視されていたのだ。フランスではイギリスのスポーツ用語が使われてもいる。特に「不戦勝」とかレースでは「デッドヒート」を繰り広げるだろうといった表現が新聞でも使われている。

*1: 古来のフランス語のアルファベットには k と w は含まれない。k と w が使われているフランス語は、外来語に由来するとみなすことができる。

こうしたフランスの新聞では、舞台を下りた役者やフロックコートを着たバイオリン奏者のように匿名ではなく、たいした記事でなくても署名入りだ。

新聞についてはいろいろ言いたいこともあるが煩雑になるのでやめておく。

ここまでは何事もなく漕いできた。と、急に空に影がさした。見上げると雲が出ている。この六週間というもの晴れ続きで、ぎらついた太陽の下で川を漕ぎ下ってきていたので、ちょっと驚いた。羊の毛のようなもこもこした雲が太陽にかかっている。すこし暑さがやわらいだため、また元気がでてきた。ずっと長くぎらつく太陽の下にいて、しかも水面からの日光の反射にもさらされていたため、いつのまにか、ぎらぎらとした太陽の光をあびている状態が一番自然に感じるようになっていた。夏の日射し対策については、ボートに乗る人向けに、他のヒントとあわせて別途説明しよう。で、この日の川下りは快適だった。流れは安定し、いつものように川岸には地元の人がいて、青いシャツを着た田舎の人々が足をとめ、滑るように通り過ぎるカヌーを眺めている。ぼくは布製の靴と靴下を背中側のデッキに載せておいた。そこは濡れた服などを乾かすのに格好の場所なのだ。ときどきプレジャーボートも見かけた。カヌーがあちこちに浮かんでいる町もあったが、平底でデッキがなく、なんとも不安定だった──「ペリソワール」と言うらしい*2。そのうちの何隻かは金属製だった。が、十トン以下のボートに金属を使うのは大きな誤りだ。というのは、ボートが受ける負荷を考えると、こういう場合には同じ強度であれば木より鉄の方がずっと重いからだ。

*2:マクレガーと同時代の フランスの印象派の画家キュスターブ・カイユボットの「ペリソワール/ボート漕ぎ」というタイトルの絵画
Caillebotte oarsmen


たしかに、いかにも不安定な印象……

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