現代語訳『海のロマンス』70:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第70回)
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「ハハア、そう憤慨するなよ。とかく日本の役所は税制整理とか制度整理とかいって表面づらはきれいで、帳面尻(ちょうめんじり)は合っても、内容はからっぽじゃ。表は西陣(にしじん)や錦繍(にしき)を着ていても裏はつぎはぎだらけか……ハッハッハ」

「口先ばかりは、国民膨張の先駆けだとか、海運界の責任は諸君の双肩にありとか、熱心なる海事思想の鼓吹者たれとか、やれ無冠の外交官だとかいっておきながら、旅費を減額されて、立派な外交官が目的地へも行かれず片田舎の木賃宿(ボクチンホテル)に転がっているしだいか……ヤレヤレ」

「七千円の金子(かね)といえば、十二インチの砲弾二つ打てばすぐになくなるじゃないか。二百人で三十五円ずつだしてでも、なんとしても行こうじゃないか、二十五億八千という外債の利子だけでもちょっと一億円、七千円といえばその何分の一か……三井、岩崎などといっても日本の富豪は、実にこういうときに、ぼくらの眼からは金を抱いている骸骨(がいこつ)にしか見えない……」

「言うな言うな、肝っ玉の小さなやつばかりさ……ロンドン経由世界一周などとなると、校長にとっては学校の経営者として、あるいは企画者としての才覚と計略を、船長にとってはその実行者として運用上および社交上の技量や能力を発揮する絶好のチャンスと舞台じゃないか。ずいぶんと欲がなさすぎる。しかし、英雄はもともと欲が少なく淡々としているというわけか。それもよかろう。こまるのはどうせこっちばかりだ……」

こんな会話がいたるところで行われている。不平と癪(しゃく)と自暴(やけ)と失望は、このときの船内の空気を形容する言葉である。

しかし、ひるがえって思う。金が今七千円、たとえひょっこり船内に舞いこんできても、とうてい船は「ロンドン行き中止」を断行する以外はないと思う。

静かに考えてみれば、「ない袖は振れぬ」以外に、ロンドン行き中止の原因は他にいくらもあるようなのである。

第一は甲組および乙組の学生(合計約七十人)の履修期間超過である。船では二期生約九十名を三つに分け、甲組(練習船の課程を終了して直(ただ)ちに卒業するもの)、乙組(これにプラスして半年の汽船見習いが必要なもの)、丙組(砲術学校に半年、汽船に半年の未達成課程を持つもの)としている。このうち、甲組と乙組とは、ロンドンまで航海するとすれば、二年間の練習船課程の期限を超過し、多いものは四カ月、少ないものでも一、二カ月の履修期間超過となる。たとえ本人はそれに甘んじてこれを承認しても、学校は父兄に対して責任上苦しい立場になる。

第二は、一般乗組員の健康状態がようやく不良となる傾向のあることである。すでに、この傾向は百十七日の長い単調な航海においてその兆(きざ)しが現れ、ケープホーン通過のときは、生鮮食糧の欠乏と長期にわたる航海の疲労からか、多少の脚気(かっけ)患者を生じたほどである。従って、ロンドン行きを続行するとすれば、二度の赤道通過と、寒い英本国海面の出入という、健康上からも危険な地を通らなければならない。

この二つと、前に述べた経費の節減とは、どうしても逃(のが)れることのできない、絶対的な、格好(かっこう)の中止原因として十分に値する。

とかく青年は血の気が多い。とかく燃えやすい。ここは静かに考えるべきところだろう。かくしてロンドン行きはとうとうオジャンとなった。不平と失望と罵詈(ばり)と、やむなき理由とのうちに……

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