米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第76回)
二、テーブルクロス
ケープタウンは確かに景勝地である。それは、南アフリカにおけるイギリスのケープ植民地総督だったミルナー卿が「美しきテーブルマウンテンの斜面の上に、他に比肩するもののない気候のうちに、独特なる景観を擁し、ケープタウンは立てり」と賛美されたことを持ち出すまでもなく、その位置と情勢を目の当たりにすれば、なるほどと首肯(しゅこう)するであろう。
六分儀を使って距離を測ってみると、約二マイルの角距離(アンギュラ・ディスタンス)と四十八度の中心角を有する弧度(こど)をなすテーブルマウンテンは、巨人の斧で横なぎに断ち切ったような不思議に平らな頭をケープタウンの正南三千五百八十二フィートの空にさらしている。その険しい断崖が直ちに威嚇するようにケープタウンの背後に迫って、さらには斜めに市の東部を巡って北西に走るものは、海につきるところで岬となって突き出し、はるかに南西の方角の獅子ガ鼻(ライオンズヘッド)と相対して半円形のテーブル湾をその間にいただいている。
テーブルマウンテンは奇しき想像をかきたてる場所としてよりも、人間としての葛藤を慰撫(いぶ)する者としてよりも、アフリカの野性の花が咲き乱れる天然の広大な花園としてよりも、さらにまた快適なケープタウンのよき気候の調和者としてよりも、テーブルクロスと称するきれいな白い雲冠(うんかん)と、それより分かれてケープタウンの空に風船のように揺曳(ようえい)する雲塊(クラウドバー)を生じさせるものとして一般にはよく広く知られている。ぼくは信じる──おそらく、天地間の最も勇壮で偉大な活発な現象のなかで、このテーブルクロスとテーブルマウンテンとの相互に影響しあう崇高な美と壮大な美との両方を発揮しているものは多くはあるまい。
夢のように淡い黎明(れいめい)の色はどこか意味ありげに、深くケープタウンの天地に立ちこめ、落ち着いた甘い悲哀(ひあい)のうちに見る人の心を溶(と)けいらしむるであろう。どこからか響いてくる、むせび泣くような音も、この静かな新しい一日をさらに静かに落ち着かせるのみで、すべては今ただ深き睡眠(ねむり)のなかにある。
万物がみな眠っているなかにさめたるものがただ一つある。テーブルクロスである。暁(あかつき)の静けさに、眠るがごとく峰をからめとり、その背後からどんどんとはいあがってくるその速さ。火の神が乗る火龍(かりゅう)がいて、いきどおりの呪詛(じゅそ)の白き炎を吐くかとばかり、幅広く濃く峰を越え谷を渡りて、一瞬の間に奇岩を噛み、ひだの多い岩壁を包みこんで、険しいものは優しく、硬いものは軟らかく、直線から曲線に、暗黒から灰白色(かいはくしょく)に変えてしまう。乳色の星空を背景(バック)に、黒く一線を横たえるテーブルマウンテンの峰々は今やまったく絵画的にぼかされて、こんな頑固で武骨な山塊もこれほどまでに、自然から技巧的に、現実から空想的に、露骨から神秘的に純化されることもあるという、偽らざる証拠を示しつつある。
美は同じ事象を保持しつつも一か所にとどまるものではない。見る人の眼を驚かすべく着々と進行しつつある。ダチョウの羽毛のごとく何層にも積み重なった山頂の白雲は、インド洋より吹き寄せる南東風の強い圧迫に耐えられず、三々五々と雪崩(なだれ)のごとく白く軽い流れが縞(しま)をなし、滝をなし、末は羊毛のごとく細い旋毛(せんもう)に終わりつつ間断なく下りてくる様子は、静かなる朝の景色に対応して、たしかに雄大にして崇高(すうこう)なる現象である。
もし、月光が冷ややかに山頂を照らす、空に一点の雲影(うんえい)なき晴れた夜、旋毛(せんもう)のような軟らかな雲が星を散りばめた空を忙しく横切り、テーブルマウンテンに偉大にして華麗なる雲冠(うんかん)をかぶらせるのを見れば、テーブルマウンテンとテーブルクロスとが相交渉する景物のなかで、さらに繊細にしてきれいな一面を味わうことができるだろう。
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