ヨーロッパをカヌーで旅する 90:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第90回-最終回)
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そして今、漕いだり帆走したりしてヨーロッパの大河を旅してきた一千マイルの最終日、もやいを解き、カヌーに乗りこんだ。旅の終わりがこれほど早く来るとは思っていなかったので、どこかさびしい気持ちもあった。

それで、川のせせらぎを聞きながらセーヌ川に入ったところで上陸した。カヌーは川に浮かべたまま、涼しい木陰で横になった。都会の喧騒(けんそう)が近くに聞こえる。パリはもうそこだ。

「これが今度の航海で本当の最後。これでやっとのんびりできる」と、ぼくはつぶやいた。天候に恵まれたし、単独行だったが、決して孤独というわけではなかった。目をなかば閉じると、この数カ月にわたる楽しかった航海で見たものや土地や人々が夢のように浮かんでくる。心に浮かんでくる風景は広大で美しかった。が、航海が進んでいくにつれて、同じような出来事の繰り返しが多くなってくる──というわけで、もう休暇は終わったのだ。仕事に戻らなければならない。

これからは、これまでの楽しみだけが続く生活ではなくなる。つまり、これからは「お上品な社会」の一員としての身だしなみや行動が求められるということになる。帽子をかぶり、襟つきの上着に装身具を身につけ、手袋をはめ、チョッキをつけ、鍵を持ち──おそらくは、こまめにカミソリでひげをあたり──傘を手放さない、という生活が待っているのだ。ぼくの体の関節や手足は、こうした手かせ足かせに抵抗しようとするだろうが、それには従わざるをえない。

セーヌ川をすべるように下っていく。少しずつパリに近づいていく。それにつれて、また新しい感情がわいてくる。鉄道や蒸気船に乗ってパリまで行くのとは違い、また埃っぽい街道を歩いてパリにたどり着くというのでもなく、水の上で一生懸命に腕を動かしてパドルを漕ぎながら首都へと入っていく。ぼくを乗せたカヌーは今、幅が広く湾曲した流れの上を運ばれている。郊外住宅の数が増え、家が密集するにつれて庭は小さくなってくる。川岸には荷船が連なり、交易とそれに伴う動き、贅沢品や装飾の品々。ぼんやりと見えている地平線から抜け出した尖塔や丸屋根が大きくなってくる。そして多くの橋がぼくの方に浮かび上がってくるように感じられた。都会の喧騒(けんそう)がさらに深く、せわしいものになってくる。かわいらしいささやきのような川音は往来の騒音にかき消され、さらにヨーロッパ大陸の首都ともいうべき、政治の中心であり、世界の娯楽や華麗さ、欺瞞(ぎまん)の中心となっている大都会に脈打っている、なんとも言葉では表現できないぞくぞくするような興奮にまぎれてしまう。

ノートルダム寺院のあるシテ島を通過する際、ぼくが選んだ側の水路が幸運にも正解だったとわかったのだが、それでも、いくつかある橋の下では、川の流速が不自然に増すことに気がついいた。原因は、川の水位が極端に低くなっているためだ。この日は、ぼくの記憶しているときより三フィートも下がっていた。段差がむきだしになって、川の水はその上を流れ落ちている。川幅は十分にあるものの、最後の橋のところまでくると、水深が非常に浅くなっていて、頭上で見物している人々は明らかに、ぼくがきっと転覆だろうと予測していた。その付近では他にボートを見かけなかったことからも、大きな難所が迫っていることがわかる。橋の上には非常に多くの見物人がいた。橋には通過できるアーチがいくつかあったが、彼らは特定のアーチの上に集まっている。最初、そのアーチの下を通り抜けるのがむずかしいんだろうなと思った。

今回の川旅の最後となる橋で、とうとう最初の転覆をするのかと悪い予感がした。ぼくは頭を必死に働かせる。とるべきコースの可能性について取捨選択を行い、最後に「橋のあのアーチの下を通るのがベストのはずだ。なぜなら、あの見物人たちは、ぼくがそこを通ると思いこんでいるから」という判断を下した。で、ぼくは猛然と前方に向かってダッシュした──渦が巻いている。波がぐるぐるまわっている。しかも川は浅い。が、ぼくとカヌーはなんとかその難所をうまく乗りこえた。「ブラボー!」という喝采が降ってきた。イギリス人たるぼくはカヌーに乗ったまま、下から頭上のフランス人たちに向けて「ざっとこんなもんです」と応じた。

この光かがやく、喧噪(けんそう)に満ちた大都会たるパリほど、カヌーを着ける場所を見つけるのが大変なところはなかった。川に浮かんでいる浴場に行ってみたが、係留は断られた。ちょっと変わった古い船があったので漕ぎよせてみると、彼らも頭を横に振った。石炭の荷揚げ場に行ってみたが、利用可能なのは市民だけという。これまでの川下りで仲よくなるのが常だった川沿いの洗濯場にも寄ってみたが、彼女たちも口をそろえて駄目だという。もうやけくそだ。改築中とおぼしき水上浴場に向かって漕いでいく。近くに寄ろうと向きを変えたとたん、釣りの邪魔をするなと、そこの経営者にめちゃくちゃ怒鳴(どな)られた。フライにする魚を釣り上げるべく格闘中だったのだ。

とはいえ、カヌーで旅をしているという事情を説明すると、氏の態度もやわらいで、一晩そこに係留してよいと認めてくれた。それで荷物をかつぎ、ホテルまで歩いていった。

ホテル・ムーリスには、ヨーロッパ大陸のアルプスや洞窟の観光を終えて帰国するイギリス人たちが大勢いた。通りはにぎやかで、太陽の下で眺めるにはまぶしいほど白かった。木陰では人形芝居が演じられている。馬車にはめかしこんだ男たちが乗っている。きびきびした所作の兵士たち、チリンチリンとなる馬の鈴、こぎれいなカフェなどなど。

これだ。これがパリなのだ──以前にもまして輝いていた!

ぼくとしては、この夏の数カ月を、ぼくのようにカヌーに乗ってなんでもすべて一人でやってきた旅行者が一人くらいいるのではと淡い期待を持ってもいたのだが、やはり皆無だった。

カヌーを英仏海峡に面したカレーまで運ぶ汽車の運賃は八フランだった。フェリーに乗り換え、イギリスのドーバーまでの運賃は二シリングだった。ロンドンの中心にあるチャリング・クロス駅までの鉄道運賃は無料だった。そこから二人のポーターに頼んでカヌーをテムズ川まで運んでもらい、また懐かしのテムズ川に浮かべた。

夏の夕方だった。上げ潮で、快適に楽しくシールズまで直行した。そこでカヌーの積荷を下ろした。カヌーは安全で、頑丈だった。感謝しかない。やっとまたニューイングランドならぬオールド・イングランドの岸辺に戻ってきた。

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一千マイルもの、急流や沈木とも遭遇した旅の間、
ずっとひるがえっていた旗

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「ヨーロッパをカヌーで旅する」(本編)は今回で終了です。
引き続き、参考となる技術メモのいくつかを紹介し、その後、ジョン・マクレガーの今度は小型外洋ヨットによる航海記を連載いたします。

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