米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第73)
三、浮浪者
ロンドンに浮浪者がいるということはかねて聞いていた。浮浪児(オーダーリーボーイ)としてハイドパークに眠り、テムズの河原にカゲロウのごときはかなき一生を終わるという話は、こちらの感情を刺激し、好奇心を引き起こさずに聞き流すことはできなかった。
すべての色彩がロンドンを髣髴(ほうふつ)させるという評判のあるケープタウンにもまた、類似の人々が存在しているのを見たとき、意外なところで思いがけなく長年のぼくの希望が果たされた気がして、その不思議さに驚かされた。それはテーブルマウンテンに登る予定で中央郵便局の前に集まっていた、静かで快(こころよ)い大気を感じたある朝のことだ。すぐ目の前のガス灯の台の上にいた三人の浮浪者に、浮浪児の放浪的生涯の片影をとらえることができた。
客観的に見れば、すこぶるみじめな境遇でも、自らその境地にあれば、自然と自分に都合のよい、住みよい一種独特の別天地を開拓しうるものとみえ、彼らの動作、会話、素振りにはこちらが思う不安気な様子は見当たらない。為政者が特別なことをしなくても、人間というものは自然に教化され、泰平(たいへい)な国の国民となっている。
三人ともそろってはだしである。さすがに帽子だけはかろうじて髪の毛をおおうに足るソフト帽めいたものを申し訳程度にかぶっているが、満足に衣服(きもの)をつけている者は一人だけで、他の二人はシャツだけで上着は着ていない。
一人が「紙屑籠(ウェイストペーパーバスケット)」の底の方から拾ってきた、吸いさしの紙巻きの先端(さき)を出して吸い、うまそうに鼻の穴から煙を吹きだしていたが、やがて生意気にペッペッとツバしたのが、さきほどから少なからず焦(や)け気味であった他の二人の足の上に落ちたといって、たちまち仲間割れで唯一のたまり場だったガス灯台から追い落とされる。追い落とされたやつは町の下手へと繰り出していって、客待ちのキャブ・ドライバーをつかまえ、さかんに同情を買おうとしている。居残ったやつらはと見ると、ちょうど巡回してきた紺ヘルメットに赤ひげの巨漢の巡査からこっぴどく叱られ、しおしおと、ちり取りと手箒(てぼうき)とを下げて馬糞(まぐそ)拾いにと退却してしまった。後を見送った巡査は仕様のないやつらだというように、酒の好きそうな赤っ面(つら)をゆがめ、舌打ち一つして悠揚(ゆうよう)と大股(おおまた)に歩き去った。たぶん酒場(バー)の亭主でもおどかしにいったんだろう。
四、威厳(いげん)のない巡査
巡査といえば、話に聞いたり本で読んだりして、ロンドンでは欠くべからざる市街の風物の一つであり、また往来における秩序の整理者であり、交通行政の支配者として、いかによくその恩恵と威厳が保たれているかについては、このケープタウンでぼくが現にさる絵葉書屋で手にした「赤ちゃんは王様(ヒズ・マジェスティ・ザ・ベイビー)」と題した一幅(いっぷく)の写真に描かれていた事実である。
見渡せば──、何とかサーカスというのだろう、その激しい往来の四つ角から深いくらい家続きの谷が三方に走り、静止状態にある写真を見ていてさえ五分間と耐えられないだろうと思うほど、なんとも目まぐるしい光景で、群衆は延々と立ち並んでいるし、広告をやけに貼った種々の車や行き交(か)う群衆が皿をひっくり返したようにうごめいている、その真ん中で、たった一人の肥大漢(ひだいかん)が振り動かす一本の短い棒の動くままに、人も馬もそれに合わせて動くという合奏(モーション・コンサート)がやすやすと行われている。そのさなかへ、かわいいさかりの一人の子供がチョロチョロと飛び出してくる。やれ危ないと息をのむ瞬間、巡査の指揮棒が一閃(いっせん)して合奏はひたと止(や)み、おそろしいほどまじめな静止状態の間を、無心の子供が恐れ気もなくヨタヨタと歩み去るその瞬間を写したものだ。
ケープタウンでは、アデレイ通りの一部をのぞくほか、他にはそんなに混雑するサーカスと呼ばれる円形広場を伴う道路もないので、このような図はもちろん、指揮棒をふるう交通整理の警官の勇ましい姿も見受けないためか、──ケープタウンではたいがい棒の代わりに手ですませているが──巡査の体重が少し物足りない感じがするのは無理もない。体格からみても、威厳という点からみても、アメリカの巡査よりはるかに劣っているように見受ける。六尺豊かな巨体に、いかめしい古代ローマの戦士の絵に見るようなヘルメットをかぶり、樫(かし)で作った指揮棒を玩具のように腰にぶら下げて悠々と歩いているアメリカの巡査は、都市の装飾としては随一であろう。
ケープタウンの巡査は身体も小さい、顔も平凡で、みすぼらしい紺色のラシャのシングルボタンの制服を着ている。そして、そもそも帽子から違っている。ケープタウンのはキノコのように末広がりの、あまり格好のよくない紺ヘルメットの前部に南ア連邦の紋章(コート・オブ・アーモア)をつけたやつを猪首(いくび)の巡査が着ている。なんだか明治維新のときの官軍を五十年後の今日、ケープタウンに連れてきたようである。しかし、なかなか親切で、道などは丁寧によく教えてくれる。先日、誰やらが「ウッド・ユー・カインドリー……(~してくださいませんか)」云々(うんぬん)といって、このお人よしを少なからずまごつかせたそうである。
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