スナーク号の航海 (37) - ジャック・ロンドン著

また朝になり、ブーツをはき、馬に乗り、カウボーイと荷馬を伴って頂上に向かった。荷馬は五ガロンの袋を左右に振り分けて合計二十ガロンの水を運んだ。クレーターの縁から数マイル北東の地域は世界のどこよりも大量の降水があるのだが、クレーターの内側にはほとんどないので水は貴重なのだ。上方に続く道は無数の溶岩流をこえていて、道の痕跡などは残っていないが、十三頭の馬はこれまで見たことがないほど見事に歩を進めた。馬たちはシロイワヤギのように着実かつ冷静に垂直な場所を上ったり下ったりしたが、一頭も落ちたりためらったりはしなかった。

人里離れた山に登る人々がみな体験する、よく知られた奇妙な錯覚がある。それは高く登るほど、広範囲の景色が見えるようになのだが、登る側からすると水平線が上り坂の向こうに見えるのだ。この錯覚はハレアカラ火山で特に知られている。というのも、古い火山が海から直接にそびえていて、周囲に壁や続いているエリアがないためだ。そのため、ハレアカラ火山のおそろしいほどの斜面を一気に登っていくと、ハレアカラ火山自体も自分たちも、周囲にあるものすべてが深い奈落の底に向かって沈みこんでいるような気がしてくる。自分たちより上に水平線があるように思える。海は水平線から自分たちの方へと下ってきているように見える。高度を上げるにつれて、自分たちが沈みこんでいき、はるか頭上は空と海が出会う水平線まで続く急激な登り勾配になっているように感じられる。薄気味が悪く、現実のものとも思えないが、北極海の水が地球の中心に流れこんでいるシムズ・ホールや、ジュール・ベルヌが地球の中心に向かって旅したときに通った火山のようだという思いが脳裏をよぎった。

そうこうしているうちに、とうとうこの巨大な山の頂上に達した。頂上は宇宙の大きな穴の中心に逆さにして置いた円錐の底のようだった。ぼくらの頭上はるかで、水平線が天となってぐるりと取り囲み、山の頂上があるはずのところは、ぼくらのはるか下方にあり、そこに深くくぼんだ巨大なクレーターとなっている太陽の家があった。クレーターの壁は二十三マイルも延々と続いている。ぼくらはほぼ垂直な西側の壁の端に立っていたのだが、クレーターの底は半マイルほども下にあるのだった。底部は溶岩流が噴出した噴石丘になっている。燃え盛る炎の消えたのがつい昨日のように赤くて、露出したばかりで浸食されていないようにも見えた。この墳石丘は小さいもので高さ四百フィート、大きいもので九百フィートあり、よくある砂丘のようにも見えるのだが、できたときの激しさはすさまじいものだったろう。深さ数千フィートもある二本の割れ目がクレータの縁にできていて、この切れ目を通して、ウキウキウが貿易風の雲を進入させようと無駄な努力をしている。この切れこみからうまく入りこんだとしても、クレーターが熱いために薄い大気に消散してしまい、どこにもたどり着けないのだ。

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石がこいの中で、ビーフジャーキーとタロイモを蒸して作ったポイで昼食をとる

広大だが、わびしく荒涼とし、けわしくて人を寄せつけないが、それでも魅了されずにはいない、というような景観だった。ぼくらは火と地震が由来する場所を見おろしていた。眼前に地球のあばら骨がむきだしになっていた。天地創造のときから自然はここで作られてきたのだ、と思わせるようなところだ。あちこちに、原始の地球のころの岩でできた巨大な堰があり、地球という鉢から溶けた岩石が一直線に流れ出て、ついさっき冷却したばかりのようだった。とても現実のものとは思えないし、信じられない。見上げると、頭上はるかに(実際には、自分たちより低いところに)ウキウキウとナウルによる雲のせめぎあいが展開されている。奈落のような斜面を目で登っていくと、雲のせめぎあいのさらに上空に、ラナイ島とモロカイ島が浮かんでいる。クレーターの南東方向には、やはり上にあるように見えるのだが、青緑色の海がある。その向こうにハワイの海岸に押し寄せる白い波が見えている。貿易風による雲の列の先に、八十マイルほど離れた空のかなたに、冠雪した巨大なマウナケア山とマウナロア山の頂上が天の壁よりさらに上方にそびえている。

伝説によれば、はるか昔、現在の西マウイにマウイという名の男が住んでいた。男の母親はヒナと呼ばれていたが、木の皮でカパと呼ばれる布を作っていた。作るのはいつも夜だ。昼間はカパを天日に干して乾燥させなければならないからだ。来る日も来る日も朝になると、母親は苦労して木の皮でこしらえた布を日光に当てた。しかし、太陽は速足で通りすぎてしまうため、すぐに夜になり、しまいこまなければならなかった。というのも、当時は昼の時間が今より短かったからだ。マウイは母親のむくわれない努力を見ていて気の毒に思い、どうにかしてやろうと決意した。むろん、カパを吊るしたり、とりこむのを手伝うということではない。もっと根本的な解決を求めたのだ。つまり、太陽の運行をもっと遅くしようとしたのだ。おそらく彼はハワイで最初の天文学者だった。島の各地で太陽を観察した。そこで得た結論は、太陽はハレアカラ火山の真上を通るということだった。ヨシュアと違って、彼は神に助けを求めなかった。大量のココナッツを集め、繊維を編んで丈夫なヒモを作り、現代のハレアカラのカウボーイがするように一方の端に輪をこしらえた。それから太陽の家に登り、寝ながら待った。太陽が顔を出し、いつもの道を一気に駆け抜けようとしたとき、この勇敢な若者は太陽から出ている最も強く最も幅広い光束に投げ縄をかけた。太陽の速度はいくぶんか遅くなり、太陽の光束はちぎれて短くなった。それでも彼はロープを投げては光束をちぎりとり続けたので、とうとう太陽がこらえきれず、なぜそんなことをするのかと問うた。マウイは講和の条件を示した。太陽はそれを受け入れ、以後、もっとゆっくり運行することに同意した。というわけで、ヒナはカパ布を乾かすのに十分な時間を確保できるようになったが、これが今の方が当時より昼間の時間が長くなっている理由なのだ。この言い伝えは現代の天文学の教えとも一致している。

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クレーターの縁で

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