現代語訳『海のロマンス』74:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第74)

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五、古本屋とストリート・ミュージック

二週間という短い碇泊(ていはく)中、アデレイ通りに一軒、パーラメント通りに一軒の古本屋を探し当てて、何か掘り出し物をと渉猟(しょうりょう)したが、多くは経済上とか工業上から南アフリカの状態を書いたもの、あるいは一九〇〇~一九〇二年のボーア戦争記*1などで、それが堂々と赤の山羊皮の背皮の装丁で幅をきかしている他には、これぞと思うめぼしい物も見当たらなかった。なかには「南アフリカ植民者の心得(こころえ)」「いかにして金鉱を発見すべきや」などという本に五シリングとか七シリングとかいう定価が貼られているのを見て、これは!とばかり、さっそく店を出てしまった。

*1: ボーア戦争 - 南アメリカの植民地化をめぐり、イギリスと現地在住のオランダ系アフリカ人(ボーア人)との間で生じた戦争を指す。
オランダの背後にはドイツの存在があり、ドイツ包囲網の一環としての日英同盟(1902年)の締結にも影響を与えた。
大成丸の世界一周はそれから約十年後のことである。

 

ケープタウンには大道商人はほとんどその影を見せないかわりに、大道芸人にはちょいちょいぶつかることがある。それも大抵は夕方から夜にかけてにぎやかなアデレイ通りの片側で、西洋芝居の道化役が着用するような滑稽(こっけい)じみた服装をした、男女五、六人の一隊が景気よく鳴り物入りでさわいでいるのが普通である。ピアノ、マンドリンなどの神経質で歌曲のような響きの音楽に乗って、したたかに厚化粧したかなりのオールドミスが歌い、かつ舞っている。通りがかりの人は必ず好奇(ものずき)の眼を光らせてのぞいていく。しかし、向こう側の通行人はまたかとばかり、ちょっとこっちを向くばかりで、ずんずん行ってしまう。東京などでよく見るように、どれどれなどと町を横切ってくるような物見高いやつは一人もいない。

このごろ、アデレイ桟橋の脇の空き地に見世物がかかって「わがサーカスはその世界的なる内容において他に匹敵するものなし」などと、大げさな旗を押し立てて軍制改正前の師団騎兵(しだんきへい)のような服装をした楽隊(バンド)がよく市中を練りまわすのを見た。

このほか、さらにケープタウンの街頭の風物として異彩をはなっているものに、ネイティブのパイナップル売りがある。ワゴンに果物を載せたまま町の四つ角にそのまま店を開いている。大きな白い建物の角から、涼しい快い風が吹きこんでくる。敷石の上で、瀟洒(しょうしゃ)な軽いスカートを風になびかせながら美しいレディーが三々五々、一ダース一シリングの香りのよい新鮮な果物を買っている様子は、たしかに南緯三十三度近くの南アフリカの夏景色を代表する有力なる光景の一つである。

六、アルハンブラ

外国人というとき、ぼくは最も上品にして含蓄(がんちく)の深そうな英国人が好きである。しかし、ときどき例の「自覚せる個人主義」や「洗練(リファイン)せる常識」を突然に遠慮もなくあてつけられるときは、パラドックスなるものは、最も懸命にして最も文明的なる民族につきまとう普遍的な一個性なり、と断言せざるを得ぬ。二ペンス、三ペンスで済みそうなものをわざわざ、タッペン、スロッペン、チキなどと訳もわからぬスラングの英語を使い、田舎者が戸惑っているのを見ては、恐縮するふりをしつつも得意になって喜んでいる。これが英語と米語でつづりが違うといって*2米国人を成金だの植民地人だのとくさすジョンブルの所作(しょさ)であるから驚く。

*2: 原文(といっても日本語ですが)では、「これがかの Honor と書くといって米国人を、、、」となっています。
Honor は栄誉のことですが、英語では Honour と u が入ります。
米語ではそれを省略するから教養がないと馬鹿にする風潮がある、という趣旨になります。

ライオンズ・ヘッド近辺にいくと、例の「国花保存主義」から銀葉(シルバーリーフ)摘み禁止の立て札があちこちにある。ただ単に「とるな」の三字ですみそうなものを、わざわざひねくれて「公道以外に踏み入る紳士はたちまち犬をけしかけられるだろう」とかなんとか、やさしく威嚇(おどか)しているのがしゃくにさわる。

二月十九日夜のアルハンブラ観覧は、これに類する矛盾的好意から遠来の賓客(まろうど)をたくみに愚弄(ぐろう)しさったという効果があった。どういうことかというと、アルハンブラという美しい名前をいただくリェベック街の広壮(こうそう)なる建物が、いわゆる活動写真館(えいがかん)であったのには、少しばかり驚いた。そもそもケープタウンでは、活動写真の流行がさほどでもないためか、またはその上映館が少ないためか──ちょっと歩くと街並みに、活動とオペラとを混同したようないわゆる「シアター」が鼻をつくほどあるサンディエゴに比べて──、ケープタウンの人々はまだ「活動を珍しがる」という発達段階にあるものと見える。したがって、立派な紳士風のよい客種(きゃくだね)が多く桟敷(さじき)でみられるし、料金も比較的安い。フィルムもジゴマや児雷也(じらいや)*3などという恐ろしいものはなく、例のお決まりのほれたはれたのすこぶる甘い物ばかりである。奇をてらったり行き当たりばったりにいい加減なことを言う弁士(べんし)の説明がないから非常に静かで、自分の想像力が妨害されなくてよい。無言劇(ダムショー)でも見てるようなつもりで、このおとなしい映画を観客が見ている光景は、どうやら「活動」という名とは逆に思われる。上映の合間に、「次の映写はわれらの敬愛する賓客(まろうど)のために特に……」というような前触(まえぶ)れがでた。どんなものが登場するのだろうかと、心楽しみだったが、幕が開いてみると、心配したことが実際に行われて、イヤな気分になった。二人のキモノを着た女が出て、池ノ坊や千家流や小笠原流のもてなしの所作や客を迎える準備などの様子はよかったが、縁どりした動きやすいたっつけ袴*4をはいた女軽業師(かるわざし)が出現するのを見てはたまらなくなった。バカにするなよ……と言ってやりたかった。

*3: ジゴマはフランスの怪盗小説シリーズを原作にした映画。当時の日本で大ヒットした。
児雷也(じらいや)は江戸時代の読本に登場する忍者キャラクターの盗賊。

 

*4: たっつけ袴とは、袴をズボン状に左右に縫い分け、膝下は脚絆(きゃはん)を巻きつけた形ですっきりさせて動きやすくした袴。現代でも、男女を問わず、祭りなどではよく着用される。

偉そうな顔をしているが、なるほど外国の奴は抜けているわいと思った。「特に……愚弄(ばかに)されてたまるものかと思った。酒飲みに酒宴の詩を歌って聞かせて、どうだこれでよいご機嫌になったろうというのが無理なら、ライオンが徘徊(はいかい)するアフリカの一隅で、見当違いな下らない絵を見せて、どうだこれで十分故郷を懐かしむことができたであろうと、とんちんかんな、おめでたい心持ちになれるものなら、ホームシックなどという病気は後を絶つだろうし、むやみに非人情を振りまわさないでもすむわけで、すこぶる天下泰平である。

はたで見物している観客までが、ときどき盗み見しては、いかに彼らの喜悦(きえつ)や満足が発現されるだろうかというような好奇の目を光らすにいたっては、しゃくにさわることおびただしい。親切が仇(あだ)になるとはこのことである。後で日本人という人種はうれしい時には笑わないものだなどと不思議がっている心得違いの者があるかも知らんとちょっと以上のように断っておく。

テーブル・マウンテンから吹き下ろす涼しい風に吹かれながら、虫が鳴くような、時雨(しぐれ)のようなピアノの音が漏れ聞こえてくるドック・ロードの暗い道を帰りながら、日本でもお客様に向かってこんな不調法がなければよいがと思った。

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