スナーク号の航海 (55) - ジャック・ロンドン著

「じゃあ、あんたも本を書いてるわけだ」と、彼は言った。ぼくは苦心して朝の分の執筆を終えたところだった。
「俺も本を書いてんだよ」と、彼は告げた。
おいおい、こいつの書いた物の面倒までみなきゃなんないわけかよ、とぼくは思った。イラッとした。文壇ごっこをするためにはるばる南太平洋まできたわけじゃないのだ。
「これが俺の書いてる本なのさ」と、握ったこぶしで大きな音をたてて胸をたたきながら、彼は言った。「アフリカのジャングルのゴリラは、音が一マイルも離れたところで聞こえるまで胸をたたくんだってよ」
「分厚い胸だ」と、ぼくはほめた。「ゴリラもうらやましがるだろうよ」

それからまもなく、ぼくはアーネスト・ダーリングの書いたすばらしい本の詳細を知った。十二年前、彼は死に瀕していた。体重は九十ポンド(約四十キロ)しかなく、衰弱して話すこともできなかった。医者たちもさじを投げていた。開業医だった父親もあきらめていた。他の医師の意見も求めた。望みはなかった。教師として、そして大学生として、勉強のしすぎで二度も続けて肺炎になって衰弱してしまったのだった。日ごとに体力が失われていった。与えられた固形物からは栄養を吸収できず、粒や粉状にしても胃が受けつけなくなった。体が衰えただけでなく、精神的にもまいってしまい、神経も張りつめていた。病気なのだが、薬はうんざりだった。人間もそうだ。人の話し声もかんに障った。注目されると、ひどく興奮した。どうせ死ぬのだから、悩んだりいらいらしたりしないで屋外で死にたいと思った。胃にもたれる固形物や薬をやめ、いらいらさせるおせっかいな連中がいなければ、死ぬことはないのではないかという思いが、ふと忍び寄ってきていた。

やせて骨と皮だけになったアーネスト・ダーリングは、生気もなく死にかけたままよろよろ歩いた。人や住宅地には背を向け、オレゴン州ポートランドの市街地から雑木林を通り抜けて五マイルも足を引きづって歩いた。むろん、頭がおかしくなっていた。狂気が彼を死の床から引きずり出したのだ。

とはいえ、森では、ダーリングは自分が求めていたものが休息だと知った。もうビフテキや豚肉で悩ませる者はいない。脈をとって疲れ切った神経をさかなでしたり、弱った胃に錠剤や粉末を飲ませて苦しめようとする医者もいなかった。症状は改善した。輝く太陽が、あたたかく降り注いでいた。太陽の光こそ万能の薬だ、と彼は感じた。疲弊した体全体が太陽を求めているように思えた。彼は服を脱ぎ捨て、日光浴をした。気分がよくなった。たしかに効果があった――苦痛にさいなまれたこの数ヶ月間ではじめて安息を得た。

症状がよくなると、起き上がれるようになったが、そうして、彼は気がついたのだ。自分という存在は、はばたいたり、さえずったりしている小鳥や、鳴き交わしたり遊んだりしているリスのようなものなのだ、と。健康で元気があり、幸福そうで、心配事もなさそうな存在をうらやましく思った。自分の置かれた条件と小鳥やリスの置かれた条件を比較すると、自分が病気になるのは必然でもあったのだ。となれば、自分は病弱で死にかけているのに、小鳥やリスはなぜあれほどにも元気なのだろうと疑問を呈せずにはいられなかった。小鳥やリスは自然のままに生きているが、自分は自然に反して生きている。生きようと思えば、自然に帰らなければならないという結論が導かれるのは自明だった。

森の中にただ一人いて、彼は自分の問題にけりをつけ、実地に応用しはじめた。服を脱ぎ捨て、跳んだり、はねたり、四つんばいになって走ったり、木に登ったりした。要するに、めちゃくちゃに体を動かしたのだ――そして、いつも太陽を浴びていた。彼は動物たちをまねた。乾いた葉や草で夜寝るための巣を作り、早秋の雨をしのぐため樹皮をかぶせた。「これはいい運動になるぜ」と、彼は両腕で体側を強くたたきながら言ったことがある。「おんどりを見てやってみたんだ」 また別の機会に、彼がココナツミルクを音をたてて飲んだので、ぼくが注意すると、彼は雌牛だってこんな風に水を飲むし、そこには何か意味があるはずだ、と説明した。実際にやってみて、体にいいとわかったので、何か飲むときはそういう流儀でしかやらないのだ。

リスは果物と木の実を食べて生きているとも言った。果物と木の実にパンだけの食事をはじめて健康を取りもどし、体重も増えた。三ヶ月間、彼は森の中で原始の生活を続け、それからオレゴンの激しい雨でそうした生活を断念し、人間の住むところに戻ってきた。三ヶ月と経たないうちに、二度の肺炎から生き延びた九十ポンドの生存者は、野外でオレゴンの冬をすごす十分な体力を回復させていた。

彼は多くのことをやりとげたが、意に沿わないこともあった。父親の家に戻らざるを得なかったのだ。そこで野外の大気を胸一杯に吸いこんでいた体で、また閉ざされた部屋の中で暮らすようになり、彼は三度目の肺炎にかかった。前にもまして衰弱した。死者のように横たわり、立つことも話すこともできず、いらいらして疲れ切っていたので、他の者の言うことにも耳を傾ける余裕はなかった。自分の意思でできる唯一の行為は指を耳に突っこんで、話しかけられる言葉を一つも聞きたくはないと示すことだった。精神疾患の専門家が呼ばれた。頭がおかしいと診断され、余命一ヶ月はあるまいと宣告されたのだった。

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漁網でこしらえたシャツ

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