現代語訳『海のロマンス』12:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第12回)


……波は……さざなみに至るまで、ありとあらゆる波はことごとく巨霊のカンナに削りとられて……いま沈みゆく、モヤのかかった赤い大陽は………………

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デッド・カーム(真の無風状態)

総帆を展開

帆船にとって風は生命(いのち)である。総量である。しかし、単に風といっても、微風(ライト)から台風(ハリケーン)まで風力の階段がある。北風、東風、西風等の方位の配列がある。熱帯風、貿易風、季節風等の風帯がある。

本船は十六日午前六時、館山の錨地を出て、九時まで機走を続けて完全な外海に出たとき、総員にて上はローヤルから下はコースまでの総横帆(そうおうはん)*1と、舳(みよし)はジブから、艫(とも)はスパンカーまでの総縦帆(そうじゅうはん)*2と合計三十余枚のセイルを展じた。ちょうどそのとき吹いてきた力強い西方の海軟風(シーブリーズ)をはらんでフワリと前方に張り出した放物線体の帆縁(セイル)の曲線美は、日ごろ見慣れている乗組員の目にも優美に映るとみえ、ここかしこに集まり、空を仰いで賛美する者が多い。実際、今まさに開こうとする蓮の花のような線曲率(カーバチュア)はどんな名工の塑像にも、どんな念入りの肉体美にも発見することのできない柔らかいデリケートな感じを与える。

昼の休みに冷たい甲板(でっき)に汗ばんだ体を投げて、高くマストの上に掲げられた風見の、色彩あざやかな吹き流しを見ていると、馬尾雲(ばびうん)と呼ばれる白い薄い柔らかい夏雲が軽く東へ東へと飛んでいる。船体は五百俵の米と二百樽の味噌や醤油の類と、氷室(アイスチャンバー)に納めた二百貫余の生肉とを満載しているため、赤い水平線を示す塗り色が波に埋まっているくらい喫水が深いので、縦揺れ(ピッチング)も横揺れ(ローリング)も少なく、船は一箇所に静止しているように思われる。かくして練習船はこの西風の好伴侶に送られてカリフォルニアの沿岸に達し、それから沿岸風を利用してサンディエゴに向かう予定である。

東西南北の四風をつかさどる風神のうちで、西風神(ゼフィラス)は最も穏やかな性質だという。この風の吹くところ、冷たい氷雪もとけ、野には薄くしい花が咲き、岡には黄金の果実が熟し、悠々としてくつろいだ雰囲気に満ちると言い伝えられている。われら海の子にとってはまたとない守り神である。

十八日に出帆して以来、青い海に咲く白い波の花と、夕方の空の濃い紫色の雲とをながめてすでに三日が過ぎた。その間も西風は絶えることなく吹き続け、強い黒潮の圧流とを受けて、日々二百海里余*3を走破し、二十日正午に位置は北緯三十六度十分、東経百四十八度四十七分、十九日正午からの航程は実に三百十九海里と、本船の帆走航程の記録(レコード)となるくらいだった。こうして、今や銚子から東に五百海里の沖にある練習船に、さらにこの後も西風神(ゼフィラス)の風が吹いてくれますように。


脚注
*1: 横帆 - 江戸時代の千石船のように、上辺(と下辺)に帆を張る棒(帆桁)がつき、マストと垂直方向に展開されるものを横帆という。
一般的な形状は、等脚台形に近い。
ロイヤル(セイル)もコース(セイル)も横帆で、一番下に張る大きな帆を特にコースセイルと呼ぶ。
メインマストのコースセイルが一番面積が広いため、これをメインセイルと呼ぶこともある。


*2: 縦帆 - 現代のヨットの帆のように、前縁を固定しマストと同じ垂直方向に展開する帆を縦帆という。
追い風を受けたときの推進力は劣るが、風上に向かうときや方向転換するときの効率がよい。
形状は三角形が多いが、ガフリグのように台形もある。
ジブもスパンカーも縦帆だが、ジブはマストの前側に展開し、スパンカーは船尾に展開する。


練習船大成丸は四本マストのバーク型と呼ばれるタイプ(写真)。
大成丸_figure02
前から三本のマストには、上から下へ五、六枚程度の横帆を展開し、
また、それぞれのマストから、ヨットのジブ(前帆)のように、斜めにロープを渡して三角形の縦を展開するようになっている。


ひとくちに帆船といっても多岐にわたり、マストの数や形状、建造年代によって呼び名もさまざまで、それぞれによって帆の名称も異なったりするが、総帆を展開した帆船は、おそらく人類が発明した「最も美しい乗り物」の一つ。


*3: 海里 - 長さの単位のマイルには、陸上のマイル(哩、約1609m)と海上のマイル(海里、浬、約1852m)がある。
原文では哩と浬が混在し、そのどちらにもマイルとルビがつけてある。
緯度経度や海上での距離の計算では主に60進法を使うので、明確に陸上と分かる場合を除き、ほぼ60の倍数となる海里を指すと判断してあります。

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