米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第13回)
船中の音楽とメス猫
すさみやすい船乗りの心をやわらげるものが音楽であることを知るならば、無骨者が集まった越中島(えっちゅうじま)*1にピアノの音が響き、バイオリンの調べが聞こえるこることが、それほど不思議でないことがわかるだろう。
百二十五名の、生死をいとわない海の児が乗った練習船にも、尺八をはじめとしてマンドリン、ハーモニカ、横笛、バイオリン等の軽便にして雅趣のある楽器がたくさん持ちこまれている。また、日曜や大祭日(たいさいじつ)などの休日には学生用食堂の中央に一台の蓄音器が設置され、午前・午後と交代で非直になった者がニコニコしながらそれを取り巻いて座を占める。人々の顔にはもう予期した笑の色が流れる。やがて「鳩ぽっぽ」「雪やこんこん」の無邪気なものをはじめとして「野崎の連引(つれびき)」「三十三間堂」などの呂昇(ろしょう)*1の肉声に至るまで、それぞれ歓笑のうちに迎えられる。大きな子供等が髭面をくずして納まり返るところは本当に無邪気なものである。
この他に日曜の午後には汁粉(しるこ)の缶詰が開かれ、紅茶が供される。これも航海中に日曜を待ち遠しく思う要素の一つである。
前回の米国西海岸のサン・ペドロへの航海のときには、船には犬とワニと猫と三種の小動物がいて、少なからず船内の空気を華やかにした。ジャックと呼ばれた犬と、小さなワニとは在留日本人の贈り物であった。他の愛玩物たる猫は虎ブチのはいったやつで、愛らしい表情と、すばやい目つきとを持った、二等航海士(セカンド)のお気に入りであったが病気になったため、その後任者として三毛の美しい子猫が二匹やってきた。
誰やらの思いつきでさっそく赤と黄のリボンを首につけたまではよかったが、メス猫だからと頭からしたたかに香水をふりかけたところ、面食らって士官室に飛び込み、悪事たちまち露見して大目玉をくった風流児もあった。かてて加えて、こやつ、女に似合わぬしたたかな悪戯(いたずら)者で、さる人の秘蔵のマンドリンにじゃれて糸をめちゃめちゃにして手ひどいお叱りを受け、それからというものは糸の音には耳を伏せて逃げるのが一愛嬌となった。ときどき船倉(ホールド)の底で二匹が可愛らしい赤い口と口を、小憎らしい口ひげと口ひげとを寄せ合っているのを見うける。
「きっと、われわれの世界は動いてやまずとかなんとか言っているにちがいないぜ、君」
と言って、いあわせた者を笑わせた剽軽(ひょうきん)者もあった。この頃では三毛先生もすっかり船に慣れて、揺れ動く床の上を歩く腰つきも巧みである。
風下当番、舵手、見張り
船は今、右舷後方からの順風を満帆にはらみ、五、六度のこころよい傾斜をなし、軽く紺青の水の上をすべって行く。
風はさそれほど強くはないが、風の神の呼吸が規則正しいことを示すかのように、力ある一定の速力でそよそよと吹いてくる。なんとも穏やかで快適な航海である。こういうときには、風下当番(リーサイド)は少しのんびりした心持ちになる。
暁(あかつき)の海が血潮(ちしお)の色に燃える日も、重みのある黒い帆の影が甲板(デッキ)の上にはっている清い月の夜も、船が水に浮かぶかぎり船橋(ブリッジ)の上には必ず二人の学生の影が見られる。停泊中にあっては「甲板当番(かんぱんとうばん)」と呼ばれ、帆走中にあっては、すなわち「風下当番(リーサイド)」となる。
練習船では第一次の遠洋航海をすませた者を二期生と呼び、新乗船者を一期生と呼ぶが、風下当番は二期生および一期生より一人ずつ一時間交代に選び出されるのだ。「風下の水平線を注視し云々(うんぬん)」という指示がこの名称の由来になっているが、そのほかに晴雨計、乾湿計、海水寒暖計等の記入、時鐘(タイムベル)をたたくことなども、なすべき任務である。
時鐘(タイムベル)については、ここに面白い伝説がある。いつごろの世紀からか帆船の船乗りの間に大晦日(おおみそか)の正午の八点鐘*3を打つ独身者には、パンドラ姫のごとく、うるわしき幸ある花嫁が与えられるだろうとの言い習わしがあった。この民間伝承にあるような雰囲気は二十世紀の練習船の中にもはっきり残っておったものとみえ、サン・ペドロへの航海の際に、南カリフォルニアの近海で迎えた昨年の大晦日には、どちらかといえば敬遠されるこの役目を希望する者が多くて、ついにクジで決めたというほほえましい争いもあった。
世の中がだんだん手軽に、都合よく、科学的になって、野菜畑やビリヤードルームまで備えたオリンピック号やタイタニック号などの巨船が生まれてくるという時代に、蒸気力(スチーム)や水圧力(ハイドロール)すべての機械力を白眼視して、白い帆に黒い風が抱擁されるのを待つ帆船の艤装には、黒船のそれに比べて異なったところがたくさんあるが、舵輪(ホイール)などもその一つである。
練習船の艫(とも)には黒船に見られない樫(かし)またはチーク等の堅材で作った直径八フィート大の舵輪(ホイール)がある。これには二人の大の男が常にとっついている。一人は風上舵手(ウェザーヘルム)で他は風下舵手(リーヘルム)である。風上舵手(ウェザーヘルム)は二期生が担当し、一期性は風下舵手(リーヘルム)となる。やはり一時間交代である。舵能(ステアリング)の会得は多年の経験と、高度な技量とを要するもので、その研究は優に一科目を形成するものであるとは、日本航海界の権威たる松本教授の言であるが、実際にも風速、風位、潮流、波の高低および大小船の喫水等と深い関係がある舵能(ステアリング)の修練はとても困難であり、しかも趣(おもむき)のある問題である。だから、舵手(ヘルム)は常にマストヘッドの風見と航走羅針盤とを眺めて、風の方位と進路の保持に細かく心をくだくのである。
「左舷船首(ポートバウ)二点三マイル*4のところにクジラが見えます」と叫んで叱られた先人の逸話は、いまも見張り当番に立つ者が心ひそかにほほえむ種を作っている。手にメガホンを持って船首楼に立ち、水平線を凝視し、舷灯(ランプ)が見えないか、島影はないかと注視するのが見張りである。
夢よりも淡いサンサルバドルの島を遠く水平線のかなたに見いだしたコロンブスの喜びも、三角波が立ち騒ぐインド洋に船を進めてテーブルマウンテンを近くから仰ぎ見たバスコ・ダ・ガマの喜びも、ともに無名の一見張りの鷹のような鋭い視線によるのである。
脚注
*1: 越中島 - 東京都江東区の地名。ここでは東京商船学校(東京高等商船学校、東京商船大学を経て、現在は東京海洋大学)を指す。
*2: 呂昇 - 当時、人気が高かった女義太夫師の豊竹呂昇(1874年~1930年)のこと。
*3: 八点鐘 - かつて船で時間の経過を知らせるために鐘を鳴らしていたが、最初の三十分経過時に一つ鳴らし、一時間後に二つ、一時間半後に三つと、半時間おきに鐘の数を増やし、四時間経過時に八つ鳴らしたことから八点鐘と呼ばれる。通常、当番は四時間おきなので、当番終了を告げる鐘でもある。
*4: 左舷船首二点三マイル - 二点は、360度方位を32度方位で表したときの方位で、一度が11度15分なので「左舷の船首から22度30分の方位で、距離は三海里」の意味になる。ちなみに、陸上の1マイルは1609m、海での1マイル(海里)は1852m。
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