現代語訳『海のロマンス』40:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第40回)

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うぬぼれ挑発策

世にも名高きアメリカ松をざっと荒削(あらけず)りしたばかりの、幅一尺厚さ五寸の巨材を密着させて敷きならべた、サンタフィの埠頭(はとば)から五百歩ほど歩み去ったとき、そこに海員読書室と看板を掲げた粗略(ぞんざいな)一木造家がある。

どんなところかとドアを開けて入ると、正面に、

新兵は守ってやれ。君や俺の子供ではないかもしれないが、どこかの母親の子だ。

と書いた額がうやうやしく掲げられてあった。なるほどと、ちょっと感服して立っていると、奥から人の好さそうな好々爺(こうこうや)が出てきて、ゴトゴトと何か一人でなまった英語で挨拶したのち、少し指に疼痛(いたみ)を感じるくらいの温かい握手をしてきた。なるほど、こんなものかなあと、二たび腹のなかで感嘆の声をもらした。

前の日曜に当地の中央教会からわざわざ練習船に礼拝に来た時、声量のある美声で、「吾(われ)は旅人、家は遠し、異国(とつくに)の黄金(こがね)と光る磯の辺(へ)に」と歌い出したのを聞いて、暗い哀れっぽい情の塊がふわふわと腹の底から浮かび出てきて、それが何の容赦もなく横隔膜にこびりついて、むせっぽく咽喉(のど)の奥を刺激した。

第七街のキリスト教会から懇親会(こんしんかい)に招かれて行ったとき、日本の歌なるものを所望せられ、「春雨」と「箱根の山は」とを唱(うた)って、大いに面目(めんもく)をほどこした。晩餐(ばんさん)の最中、サンディエゴ市長が起立して、「現在の日米の友好関係が、ささやかながらも今宵(こよい)の集まりに反映されています……」と、食事の場で簡単にして心のこもったスピーチをした。

こういう話も聞いた。日本人に対する感情が比較的におだやかな南カリフォルニアでも、政策に関して州の主だった人々の間にも排日を叫ぶ人が多いという。だとすれば、中流以下のヤンキーが対等の交際をしてくれないと憤慨(ふんがい)するのは、梅ケ谷に向かって腕立てするごとく、奈良の大仏に向かってけんかをふっかけるがごとく、少しも反響の聞こえぬ、実績のあがらぬ努力であろう。ともかく、これからの世の中は、消極主義、当たりさわらず主義が二十世紀的な利口な方法(やりかた)というものであるという理由から、このごろは盛んに敬虔(けいけん)な日本人のキリスト教徒(クリスチャン)ができるそうだ。結構なことである。自分がうぬぼれを言うとき、相手が茶化さずに神妙に聞いてくれるのはこころよいものである。自分が自慢とし得意とするところを、嘘であっても賛美してくれるのは気持ちがよいものである。このうぬぼれにつけこみ巧みに応用したものが外交術である。というわけで、必要でもない外国の国旗が用意されたり、意味もわからぬ外国国歌が変な調子で合唱される。

とりわけヤンキーは鼻の下の長い人種である。船に来ても道で会っても、二言目には、サンディエゴはどうですか、とくる。練習船にキリスト教徒(クリスチャン)でない人は何人いますか、とくる。百二十五人と答えてやったら、奇蹟(ミラクル)にでも出あったように変な顔をしておった。かかる郷土(くに)にあって、かかる先生たちを相手に、対等の交際(つきあい)をするためには、いきおい食事の前のおまじないのように、額の上で十字を切ったり、日曜ごとに教会(チャーチ)の聖鉢(ボウル)に手をつっこみに行くぐらいの犠牲は安い安いと言わねばなるまい。

現に日曜の晩、練習船に布教に来るごとに小さい紙片を出しては教徒の署名をくれというので、もの好きな外交的な連中が面白半分に書いてやると、なるほど単純(シンプル)なものだ! この一夜づけでできた教徒の名簿をありがたそうに持ち帰っていった。というようなわけだから、日露戦争前までは、日本は朝鮮の属国で、屋根の瓦(かわら)は黄金(きん)の延ばした金箔であるなどと、突拍子もない日本の紹介が行われたのも無理はない。

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