ヨーロッパをカヌーで旅する 20:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第20回)


マクレガーは、ロシアを除くヨーロッパで最長のドナウ川(全長2850km)の源流からの川下りを開始しました。


仲間の同行者が誰もいなくなって砂漠でラクダに進むべき方向を教えたり、人跡未踏の荒野で一人で馬を駆ったりするのは刺激的ではある。だが、両岸が高い崖になっている未知の川で急流を漕ぎくだっていくカヌーには、そういうものを超えた爽快感がある。

この楽しさは、一つには単に感覚的に動きがとても速いということによる。川で急流を下っていくのは、高所でロープにぶら下がって前方に飛び出すのと同様に、胸がしめつけられるような緊張感がある。ドナウ川での最初の数日は急流だった。水源からドイツ南部にある交通の要所のウルムまでの間、川には千五百フィート(約450メートル)ほどの高低差があった。5日間の航海で毎日三百フィート(90メートル)ずつ下っていく計算だ。だから、そういう日の航海というのは、午前に食事をとる頃が一番元気で、それからは夕方に上陸地点に着くまで休むことなくロンドンのシティーにあるセント・ポール大聖堂と同じ高さを下っていかなければならない。

この航海の楽しみのもう一つの要素は、難所を切り抜ける満足感にある。水路がいくつかに枝分かれしていて、自分が選択した流れに従って半マイルほど進んだところで、選ばなかった水路が中洲を迂回して自分の選択した水路に合流してきたりすると、まちがった水路を選択しなくてよかったと、自然に誇らしい気持ちがしてくる。

こうした感慨にひたりながら緑濃い大平原を曲がりくねりながら進んでいった。川にかかる橋にさしかかると、それだけで文明化した場所のように思えてくる。ある橋の下をくぐろうとしたとき、ドナウエッシンゲンから戻る陽気な歌い手たちを乗せた緑の枝で飾った馬車の一つが、ちょうど橋の上を音をたてて通過していくところだった。むろん、彼らはカヌーを見るなり馬車をとめて歓声をあげ、ドイツ語なまりの英語で「あのイギリス人だ!」「あのイギリス人だよ!」の大合唱になった。

カヌーでドナウ川の水源を出発した朝に集まってくれた、このにぎやかで愉快な人々との出会いがあったおかげで、ぼくの航海はニュースとして近隣の町々にすぐに広まった。そのため、ぼくのカヌー旅はどこでも歓迎され、ドイツやフランスだけでなくイギリスでも、さらにスウェーデンやアメリカでさえも、その進捗状況が新聞で報じられるようになった。

ガイジンゲンという村で、エンジンに燃料を補給する必要があることが判明したので、つまり腹が減って朝飯を食わなきゃと思ったのだが、川の近くには集落がなかった。近くに人もいたし、ぼくは係留ロープを使ってカヌーを岸から離して浮かべておき、利発そうな少年に、ぼくが戻るまでしっかり見張っていてくれと頼んだ。そうしておいて大きな建物まで歩いていって扉をノックし、中に入って朝食を頼んだ。座っていると、すぐにすばらしい食事が運ばれてきた。すると、村の人々が一人また一人と妙な服を着たよそ者を見物しに来た。こいつ、どうやってこんなところまで来たんだ、というわけだ。連中はひそひそ声でそういったことを話しあっていたが、ぼくが食事を終えて代金を払うと、どこへ行くのか確かめようとでもするかのように、ぼくの後をぞろぞろついてくる。こんな風に、いつも旅のそこここで、好奇心にかられた、しかし遠慮深い観察者たちが集まってくるのだった。

話を元に戻そう。八月の日差しは強烈だった。だからといって、途中でやめるわけにはいかない。高い岩場の下や涼しい洞窟、木橋の下や松が生えている崖の際(きわ)のちょっとした長い日陰などでカヌーをとめて休んでいると気持ちがよかった。

ぼくは昼日中には(体を動かすのも嫌なので)岸に上がり、建物の陰や草の生い茂った土手で何度か休んでみたりもした。だが、一番快適だったのは、葉を茂らせたオークの巨木の下にカヌーを係留したまま足を思い切り伸ばし、本を片手に夢見心地で寝そべったり、一日の航海を終えた夕方、川の流域で栽培されている安いタバコの葉を手に入れて前日に宿で作っておいた巻きタバコで一服したりすることだった2

原注
1: 高低差については、地図帳や地理書によって、ここに記載した数値と相違している場合がある。


2: イギリスでよく知られている二つの刺激物──紅茶とタバコ──は、ドイツでも広くたしなまれている。
(1) タバコの木(自生するので雑草木扱いされることもある)の葉を乾燥させて丸める。適当な道具を用いて火をつけ、その煙を吸引する。
多くの人で生じる効果は、気を落ち着かせることだ。が、食欲がなくなることもある。タバコはトルコで過剰に使用されている。葉には毒が含まれている。
(2) 茶の木(栽培もされている)の葉を乾燥させて丸める。適当な道具を用いて加熱処理し、成分を液体に溶け出させて飲む。
多くの人で生じる効果は、元気になることだ。が、眠れなくなることもある。紅茶はロシアで過剰に使用されている。葉には毒が含まれている。
この二つの嗜好品は安くて携帯可能だし、あらゆる地域で何百万もの人々が日常的に楽しんでいる。どちらにも支持者と反対者がいる。この植物が人間にとって有用であるか否かの議論は決着していない。


[訳者注]
タバコがヨーロッパで知られるようになったのは、コロンブスのアメリカ大陸発見以降。日本には、戦国時代にポルトガル人によって鉄砲が伝来したときに一緒に持ち込まれた。
なお、ヨーロッパで紙巻きタバコが普及したのは、十八世紀後半になってから。
また紅茶についても、大航海時代以降にヨーロッパに伝えられ(最初は緑茶)、十九世紀になると、カティーサーク号のような、中国から紅茶を運ぶティークリッパーと呼ばれる大型帆船が速さを競うようになった。
つまり、造船や航海術の進歩と嗜好品を含む新しい産物の伝来や普及とは、コインの裏表のように切っても切り離せない関係にある。
このあたりは、現代のテレビやパソコンやスマホの普及と人々の生活様式や文化の変化との関係に似ている。

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