ヨーロッパをカヌーで旅する 21:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第21回)


こうしたことは休息について述べているだけで、真昼のぎらぎらした太陽が照りつける前後の比較的に涼しい時間帯に距離をかせぐためにカヌーを漕ぐとなると話はまた別だということは、わかっておいてほしい。カヌーを一生懸命に漕いでいるときには、そんな風にのんびりしている暇はないし、懸命に操船しているときに感じる楽しさも、川を下っていくにつれて変化していく。

出発する時は穏やかだとしても、やがて聞き慣れた水車用の堰(せき)で水が落下する音が聞こえてくる。そういうことは毎日ほぼ五、六回はある。堰に近づくと、ぼくは堰の際まで行って、一直線になっている堰堤に沿って漕ぎながら、そこから下流側を眺めることにしていた。眼下にある数え切れないほどの細流を調べて、どのコースを通るのが最適かを把握するのだ。その頃には、水車を設置している製粉業者やその家族、使用人や近所の人たちが物珍しそうにぞろぞろと集まってくる。ぼくはといえば、毎度のことだが小さなバックパックを背負い、パドルを岸に置き、カヌーを降りて引っ張りながら障害物を乗りこえたり、迂回(うかい)したりすることになる。ときには一つ二つの干し草畑を引いて通ったり、小道や壁に沿って引きずっていって、それから川が深くなっているところでまたカヌーを浮かべるのだった。こういう堰の高さはせいぜい四フィートあるかないかなので、カヌーに乗ったまま頭から「突っ込む」こともできないわけではないのだが、下に岩とかがあってカヌーがそれに激突しひんまがってしまわないとも限らないので、こういうときは素直にカヌーを降り、持ち上げて乗りこえたり、引きずって迂回するほうがよい。

他の場所では、カヌーの船尾にまたがり、両足を水につけた格好で座って、右舷や左舷の岩を蹴りながら慎重に操船しなければならないこともあった3

原注3: このやり方を思いついたのは、この川でだった、この方法の利点は、ラインフェルデンの急流を通過するときにさらに明白になった。あとでスケッチでも紹介するつもりだが、この方法は後に中東のヨルダンでも実際にやってみた。

こういう出来事や浅瀬での渡渉なども多少はあるものの、カヌーに乗っていると、水に濡れることはほとんどない。背もたれに持たれた状態で難所だってスムーズに抜けられるし、流れが早いところでは漕ぐ必要もないので楽ちんだ。そういうところで無理に頑張って漕いで加速させたとしても、何かに衝突したときの衝撃が大きくなるだけだし、そうなれば、どんなに頑丈な舟でも壊れてしまう。

そんなこんなで景色を眺めたり、川沿いの住民とふれあったりしていても、人間の心は貪欲なので、やがてそれだけでは満足できなくなったりもする。とはいえ、やがて何か水音が聞こえてくる。腹にひびくような轟音だ。激流があるのだろう。この音が聞こえてくると、それまで寝ぼけ眼(まなこ)でいたとしてもすぐに覚醒し、全身にエネルギーを充満させなければならない。ぼくはこれまでの航海でカヌーを転覆させたことはなかったが、舟を救うためにカヌーから飛び降りざるをえなかったことは何度もある。こういうときに最優先すべきは舟で、次が荷物だ。特にスケッチブックはなんとしても濡らすわけにはいかない。快適かつ速く進むというのはその次に来る。こういう激しい労働の喜びと休息とを何時間も続け、いろんなものを見たり聞いたりしたわけだが、それについて語りだすと長くなってしまう。ここでは、沈んでいく太陽や猛烈な空腹が、その日の終着点に近づいたことを教えてくれるとだけ述べておく。

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