スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (45)

しかし、クレーの教会には、愚かというよりもっと悪いものが掲示されていた。それまで耳にしたことはなかったのだが、リビング・ロザリオの会という団体があって、そこがやっていることだった。貼ってあるポスターによれば、この会は一八三二年一月十七日、グレゴリウス十六世の書簡によって設立されたという。教会の彩色されたレリーフに描かれているところでは、それとは別のあるとき、聖母マリアがロザリオを聖ドミニクに与え、幼児だったキリストが別のロザリオをシエナの聖カタリナに与えたことにより設立された、とある。聖母や救世主自身に比べると教皇グレゴリウスでは印象が薄くなってしまうが、事実としてはこっちの方が近いだろう。この教会が純粋に信仰上のものなのか、慈善行為を目的としているのかについては、はっきりとはわからなかった。少なくとも非常に組織化されていて、月当番の週ごとに担当として十四名の既婚婦人や未婚女性の名前が記入されていた。たいていは、そのグループの責任者として、先頭に既婚婦人一名の名前が記されていた。その協会の義務を果たすと、罪の全部または一部が許されるらしい。「ロザリオの祈りをささげると罪の一部は許される」「ロザリオの祈りを必要な回数だけとなえる」ことで罪の一部がすぐにも許される、というのだ。人々が自分の罪を消すため、預金通帳の残高を気にするように神に奉仕するというのであれば、そうした打算的な意識というものは必ずや人との接し方にも現れてくるだろうし、となれば人間の生活そのものが、なんとも悲しく、あさましいものになりさがってしまうのではないかと不安にならざるをえない。

とはいえ、もっとましなことも一つ書かれていた。「こうした罪の償いが免除されるという仕組み」は、すでに煉獄に入ってしまった人の魂にも適用できるらしいのだ。だったらお願いだから、クレーの婦人たちにはそのすべてをすぐに煉獄にいる魂に適用してもらいたい! スコットランドの国民的詩人だったロバート・バーンズは純粋な愛情で祖国に奉仕することを選び、晩年の詩については報酬を受け取らなかった。彼女たちは、生活のため収税吏を務めていたこの詩人の真似をしてみてはどうだろう。そうしたからといって煉獄にいる人々の魂の状態がさほど改善されるわけでもあるまいが、オアーズ川流域に住んでいるクレーの人々には、現世でもあの世でも今以上に悪い扱いを受けなくてすむ人が出てくることだろう。

航海中の日誌を元に原稿を書きながら、生まれも育ちもプロテスタントであるぼくが、こうしたポスターを理解し、その価値に見合う正しい対応ができるのかと問われれば、ぼくにはその資格はないと答えざるをえない。ぼくと同じように、こうしたことがカトリックの信者にとっても醜悪で侮辱的だと感じられるとは思えないからだ。このことは、ユークリッド幾何学の問題と同じくらいに明白だ。というのも、これを信じている人たちは弱いわけでも邪悪でもない。彼らは、まるで聖ヨセフがまだ村の大工ででもあるように、この聖人の使命を銘板に掲げ、「必要な数のロザリオの祈りをささげ」ていて、それであたかも神に対して誇れる仕事をしたかのように免罪を手にし、教会の外では、このすばらしい川の流れを平然とながめ、オアーズ川よりはるかに大きな川を集めたよりもずっと大きな宇宙の星々を胸を張って見上げることができているのだ。プロテスタントであるぼくの目には見えず、ぼくが夢見ているものより気高くて宗教的にも深い精神を持つ、ぼくとは違う人々が存在するのは間違いないだろう。

こうした人々は、ぼくのような人間に対しても同じように許しを与えてくれるだろうか! クレーの婦人たちのように、ぼくが寛容というロザリオの祈りをとなえれば、ぼくにもすぐに罪の許しが与えられますように。

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