スナーク号の航海 (40) - ジャック・ロンドン著

馬の通れる道といっても、それほど広いわけではない。これを造った技師のように、道自体が何にでも果敢にいどんでいるのだ。ディッチ(水路)は山塊を突き抜け、乗りこえ、峡谷を飛びこえたりしているのだが、馬の道──これからはトレイルと呼ぶが──も、この水路をうまく利用していて、その上を横切ったりしているのだ。この無造作に作られたトレイルは、平気で断崖を上り下りしているし、壁を掘削してできた狭い通路を抜けると、轟音をたてて白い水煙とともに落下している滝の裏側や滝の下に出たりする。頭上は数百フィートもの切り立たった断崖で、足元はと見れば千フィートもの深い谷になっているのだ。ぼくらが乗っているすばらしい馬たちも、トレイルと同様に、そんなことにはおかまいなしだ。足元は雨ですべりやすくなっているのだが、馬の自由にさせておくと、当然のように後ろ足をすべらせたりしながらも駆けていこうとする。このナヒク・ディッチのトレイルについては、豪胆かつ沈着冷静な人しか勧められない。同行しているカウボーイの一人は、ぼくらが宿泊した牧場では一番の勇者だと思われていた。生まれてからずっと、このハレアカラ火山のけわしい西斜面で馬に乗ってすごしてきたのだ。その彼がまず馬をとめた。他の者も当然のことながら前進をやめた。というのも、彼は牛小屋に野生の雄牛が迷いこんでいたら、平気でそれに立ち向かうような男だからだ。彼には名声があった。とはいえ、それまで、このナヒク・ディッチに馬を乗り入れたことはなかった。そうして、彼の名声はここで失われた。髪の毛が逆立つような最初の水路で、それに沿った道は細くて手すりもなかった。頭上で滝が轟音をたてているし、真下には別の滝があって、奔流が何段にもなって落ちている。一帯に水しぶきが舞い上がり、轟音が振動とともに伝わってくる──というようなところで、勇者たるカウボーイは馬から降り、おれには女房も子供もいると言い訳しながら、馬を引きながら歩いて渡ったのだ。

水路が地下深く潜っているところはともかく、峡谷で唯一救いになるのは断崖があることで、そして断崖で唯一救いになるのは峡谷にあるということだ。ぼくらは一度に一頭ずつ、もろくて流されてしまいそうな、左右に揺れる原始的な丸木橋を渡った。白状すると、ぼくは最初にそういう場所に馬で乗り入れるとき、最初のうちはあぶみから足を浮かせていた。垂直な断崖にあぶみが接触しそうになると、意識して足を谷側に寄せ、今度はその足が千フィートも落ちこんでいる谷につき出ているのを見てしまうと山側に寄せたりしていた。「最初のうちは」と断ったが、すぐになれてしまうのだ。クレーターの中ですぐに大きさの感覚が麻痺してしまったように、ナヒク・ディッチでも同じことが起きた。そのうち、ぼくらは深い谷について心配しなくなった。とほうもない高さと深さが延々と繰り返されているところでは、そういう高さも深さも普通に存在するものとして受け入れるようになる。そして、馬上から切り立った崖下を見ても、四、五百フィートは普通で、スリルがあるとも感じなくなってしまうのだ。トレイルにも馬にも無頓着になったぼくらは、目もくらむような高いところを通ったり、落ちこんでいる滝を迂回したり突き抜けたりして進んでいった。

とはいえ、なんという乗馬体験だろうか! いたるところで水がふりそそいでくる。ぼくらは雲の上や雲の下を、さらには雲の中を馬に乗ってつき進んだ。ときどき日が差し、眼下に口を開けた峡谷や火口縁の高さ何千フィートもある鋒が照らしだされたりした。道を曲がるたびに、一つの滝、あるいは一ダースもの滝が空中に何百フィートも弧を描いて流れ落ちている光景が目に飛びこんでくる。キーナ渓谷で最初の宿営をしたのだが、そこから見えるだけで滝の数は三十二もあった。この荒野では、植物も繁茂していた。コアとコレアの森があったし、キャンドルナッツの木もあった。オヒアアイと呼ばれる木もあったが、これは赤いマウンテンアップルの実をつけていた。豊潤で果汁も多く、食べてもうまい。野生のバナナもいたるところで育っていて、峡谷の両側にしがみついていた。トレイルのいたるところで、熟した果実の大きな房が落ちて道をふさいでいた。森の向こうには樹海が広がっていて、多種多様なつる性植物が、あるものは一番上の枝から茎を軽やかに宙に伸ばし、あるものは巨大なヘビのように木々にまきついていた。エイエイと呼ばれるツル性植物はとにかく何にでも登っていき、太い茎を揺らして枝から枝へ、木から木へと伸びていっては、自分が巻きつくことで当の木々を支えているといった格好だった。樹海を見あげると、頭上はるかに木生シダが群葉を広げ、レフアの木が誇らしげに赤い花を咲かせている。ツル性植物の下では、数は少ないが、米国本土では温室でしかお目にかかれないような珍しい暖色系の奇妙な模様をした植物が育っていた。つまり、マウイ島のディッチ・カントリー自体が巨大な温室のようなものなのだ。なじみのある多種多様なシダ類が繁茂し、小さなクジャクシダのようなアジアンタム属のシダ類から、もっと大きくて繁殖力旺盛なビカクシダなど、あまりなじみのないものまで、さまざまな種が入り乱れていた。このビカクシダは林業作業者にとっては厄介きわまりなくて、さまざまにからみあっては巨大化し、五、六フィートの厚さで数エーカーもの広さをおおいつくしてしまうのだ。

二度とできないような体験だった。これが二日続き、やっとジャングルを抜けて普通の起伏のある土地に出た。実際に荷馬車が通る道をたどり、ギャロップで駆けて牧場まで帰り着いた。こんなにも長くて厳しい旅の最後に馬を駆けさせるのは残酷だとわかっていたが、抑えようと必死にたずなをしめても無駄だった。ここハレアカラで育った馬は、そういうものなのだ。牧場では、牛追いが行われ、焼き印をつけたり、馬を調教したりする楽しい行事があった。頭上ではウキウキウとナウルが激しくせめぎあい、そのまたはるか上方には、陽光をあびた壮大なハレアカラ火山の頂上がそびえていた。

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羊毛のような貿易風の雲が、ウキウキウに駆りたてられて割れ目からわき上がっては消えていく。

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