ヨーロッパをカヌーで旅する 92:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第92回)


この航海記の初版では、川下りで遭遇する岩のかわし方について、六つのパターンに分けて説明されています。その概略をこちらで紹介します。著者ジョン・マクレガー自身が描いた図です(下記で個別に拡大します)。

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それぞれの図で、川の流れは「下から上」に流れ、カヌーもその流れに乗って「下から上」に進むと想定されています。川の流れは岩で分流したりもするわけですが、それは薄い線で示してあります。岩については、斜線部は隠れ岩(沈み瀬)で、白枠のみは水面上に見えている(露出している)岩です。図1~図3と図5では、すべて隠れ岩になっています。


図中の太い線はカヌー(の中心)が進むべきコース(推奨)を示しています。


慣れれば自然にこのコースをとれるようになるが、いずれの場合も岩からカヌーの長さの半分以上の距離を空けて通過すること、としています。


このあたり、現代の高性能で軽量なカヌー/カヤックでは対処法も異なるかもしれませんが、ゴムボートによるラフティングや小型のボートによる川下りでは頭に入れておいた方がよいでしょう。


では、個々の事例について、具体的にマクレガーの説明を紹介しましょう。


カヌーが川に浮かんでいて、特に障害物がない場合、カヌーはそのまま流れに乗って進み、前方に露出した岩があれば、川の流れは自然にその岩を避けて、どちらか一方の側にカヌーを運んでくれる。

これが最も単純なケースで、こういう状況が一番多い。

習うより慣れろで、パドリング技術を要するわけではないので、特に注意すべきことはない。

障害物(岩)を回避する基本パターン

川で前方に露出していない隠れ岩が一つあり、川面の様子からカヌーがその上を通過できるだけの水深があるかはっきりしない場合
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・ 図1のように、岩の手前(上流側)で迂回(うかい)するか、
・ 図2のように、岩の脇をやりすごしてから下流側で迂回する

川下りの最初の頃に実際に何度か意識して、

「隠れ岩の上流側」
「隠れ岩の下流側」

の両方で、カヌーの先端の向きを変えて(進入角度を変えて)半円を描くようにスムーズに方向を調節する練習を積んでおくと、もっと複雑な状況に遭遇した際にあわてなくて済む。

回避すべき岩が複数あって、やや複雑な状況では、どうすべきだろうか?

岩の数がどんなに多くても、通過する際にカヌーが通るべきパターンとしては「3つの岩の組み合わせ」に集約できる。

図3~6では、カヌーは岩Aと岩Bの間を通り、それから岩Bと岩Cの間を通るべきである。岩Aと岩Cの間は通らないこと。

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岩Aと岩Bの間、岩Bと岩Cの間を通過するのは図1と図2の応用(組み合わせ)になる。

カヌーがAとBの間を通過する際の進入角度は、カヌーの長手方向(縦)の軸と、BとCの間を通過して次にどの方向に向かうかによって変わる。

だから、図1と図2の隠れ岩を迂回する際に、図3以下の場合に求められる角度を想定して、それをかわす技術を身につけることが重要になってくる。

(図4~6については次回)

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ヨーロッパをカヌーで旅する 91:マクレガーの伝説の航海記 付録 - 役に立ったものと不要だったもの

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記(連載の第91回)。
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以下は、初版本巻末の付録です。
現代のカヌー/カヤックの長期航海と共通する点もありますね。

1. カヌー旅で役に立ったもの

装備
・パドル: 両端にブレードがついているタイプ。
・係留用ロープ: はじめのうちは9 m強。のちに約6 mに切り詰めた。
・スポンジ
・防水カバー: カヌーの開口部にかぶせる。大きさ 1.5 m x 0.7 m
・ユニオンジャック旗: 絹地で青色。大きさ 30 cm x 20 cm
・マスト(帆柱)
・ブーム(帆の下側を支える)
・ヤード(帆の上側を支える)
・ラグスル: (三角帆の上部を切り取ったような)四角形の帆。
帆関係の名称
・予備の帆: 日よけとして使用。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 90:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第90回-最終回)
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そして今、漕いだり帆走したりしてヨーロッパの大河を旅してきた一千マイルの最終日、もやいを解き、カヌーに乗りこんだ。旅の終わりがこれほど早く来るとは思っていなかったので、どこかさびしい気持ちもあった。

それで、川のせせらぎを聞きながらセーヌ川に入ったところで上陸した。カヌーは川に浮かべたまま、涼しい木陰で横になった。都会の喧騒(けんそう)が近くに聞こえる。パリはもうそこだ。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 89:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第89回)
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また広い川に出て、パリ近郊のヌイイまでやってきた。日曜は川下りも休むことにしているで、目的地までは三十マイルほどだった。たいして疲れもしなかった。カヌーはとあるサマーハウスに置かせてもらい、ぼくはその屋根裏部屋で寝た。屋根裏の天井が低くて立つことができなかった。今回の旅の宿としては最底の部類になるかな。「ジョリー・ロウワーズ(陽気なボート乗り)」という看板にだまされてしまった。翌日はまた流れの速い川を下った。中洲のような島が無数にあるため水路が複雑に入り組んでいる。どのコースを通るべきなのか、選ぶのがむずかしかった。こうした状況の一番の問題点は事前に準備ができないということだ。ルート選択に役立つ情報は地図にも掲載されていないし、川の周辺で生活している人々も、どこを通ったらよいかなどについてはまったく知らない。出発する際、泊まった宿の家主はパリには二時間もあれば着くよと言っていた。そこから十マイルほど進んだところで出会った知的な男性は「パリまでの距離かい? ここから六時間くらいかな」という返事だった。その次にあった人は「この場所からちょうど三リーグ半*1だよ」と答えた。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 88:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著


現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第88回)
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翌朝、気分もすっかりリフレッシュし、また川にカヌーを浮かべた。今日も長時間の川下りに備えておく。川の水は透明で、水中では濃い緑の草が優雅な曲線を描いてなびいている。川が湾曲し影の差した水域に小さな中洲が点在しているが、それによって周囲の景色が変化する。こんな風にカヌーに乗って旅をする者にとって、景観には目に見える三つの領域がある。まず大きなアーチを描いている空だ。それから周囲の陸上風景。川の縁まで迫っている木々や花々。そうしたものすべてが川面に美しく映っている。川には驚くほど深くなっているところもある。川とその周辺の生き物や岩場や低湿地、低い川岸にある花々や苔なども目にすることができる。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 87:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第87回)


宝島の作者スティーヴンソンやナポレオン三世に影響を与えただけでなく、欧米においてカヌー/カヤックによる旅の可能性を広く知らしめることになったジョン・マクレガーのカヌーによる欧州大陸の川旅もいよいよ大詰めです。
今回から最終章となります。
フランスの大平原の川や運河を漕ぎつないでセーヌ川へ、そしてパリへ、さらに故国イギリスへ──、

第十五章

月が出た。非常にはっきり見える。とはいえウサギならぬ「月の男」は見えない。月光に照らされて結婚披露宴を行っている人々がいる。若い連中は庭に移動し、爆竹やクラッカーを鳴らしたりしてさわいでいる。ぼくが部屋の窓から信号灯で近くを照らしてやると喝采が起きた! その翌日、披露宴の出席者全員が朝食を食べるために集まっていて、上機嫌の花嫁の父の大盤振る舞いでマディラ・ワインやシャンパンをあびるように飲んでいた。ドイツ人たちはまだモーには来ていなかった。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 86:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

(緑色)現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第86回)
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次に立ち寄ったのは「ラ・フェルテ・スー・ジュアール」である。かなり距離があった。ラ・フェルテという名のつく町はいくつかある。これはイギリスで、語尾が「カスター」や「セスター」となる町が多いのと同じだろう。ここのラ・フェルテの特産は石臼(いしうす)だ。高品質の石臼は五十ポンドもするし、大量に輸出されている。ここの石にはもとから穴が開いていて、それが臼(うす)の刻み目として利用できるので、その分の加工が不要になるという利点がある。ラ・フェルトでは、干し草小屋にカヌーを置かせてもらった。宿の食事では、パリから来ていた頭のいい腹をすかせたブルジョワ氏も一緒で、マナーもおかまいなしの食欲旺盛な女房殿を同伴していた。彼らの向かいの席には、町の噂話をあれこれしゃべり続ける人がいた。他人のやること、言うこと、失敗話、儲け話など、なんともつまらない馬鹿話を際限なくぺちゃくちゃやっている。とはいえ、ぼくを含めてこの四人の客のテーブルで、まったく毛色の違う二つの話が同時進行で展開されたのも、まあ面白くはあった。一方は延々とラ・フェルテの人間の噂話を披瀝(ひれき)し、他方は話題を靴やスリッパに向けようと懸命になっている。それというのも、このブルジョア氏は、各地を旅しながらブーツを売り歩いているのだ。結局のところ、ぼくらの日常生活における会話というのも多くは似たようなものだろう。イギリスの内閣にとって些事(さじ)にすぎないことでも、ホノルルでは高尚な政治問題だったりするわけだ。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 85:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第85回)
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水辺にほど近いエレファント・ホテルのシャトー・ティエリでは快適な一夜をすごした。あくる日はカヌーを干し草置き場から引き出して川に浮かべた。流れは少しずつ速度を増した。ブドウ園の周囲は林になっていて、あちこちにイカダも浮かんでいた。そのイカダというのが、大きな樽をしばって連結させたものもあれば、板や伐採した丸太を組み合わせたものだったりした。巨木をそのまま利用しているのもあった。イカダの上にはそれぞれ小屋が作られている。いわば船長室だ。イカダ師たちは、この寄せ集めの木の構造物を岸から曳いたり押したり、流れに乗るよう操ったりして、二週間ほどかけてセーヌ川へと向かう。大変な作業だが、要は、組み合わせた木材の連結具合を調節したり形が崩れたりしないようにするだけだ。とはいえ、結構な仕事量ではある。このあたりでは、この手の人件費は非常に安い。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 84:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第84回)
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翌日は早朝に出発した。川の流れはまずまずで、この日も青空のもと、強めの追い風を受けて帆走したりもした。川沿いで出会った農夫や市場へ向かう人たちとも興味深い話をした。そういうフランス人が一番驚くのは、ぼくが一人旅で、それで幸せでいられるというところらしい! 身勝手に思われるかもしれないが、こういう旅では完全な一人旅の方が絶対にいい。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 83: マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第83回)
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こうした丘の一つに、マダム・クリコの館があるのに気づいた。この名前は多くのシャンパンのボトルやそれ以外のボトルのコルクにも刻印されている。エペルネの近くのアイのブドウ園はこのワインの名産地だ。ワインは瓶詰にされた後、ボトルの首を下に向けて沈殿物をコルク周辺に集める。それから熟練した職人がコルクを交換する際に、瓶内の圧力で少量のワインもろとも沈殿物を吹き飛ばす。ボトルは「洞窟」や巨大な貯蔵室に保管されるが、そうした場所は温度変化がほとんどない。そのために瓶(びん)が破裂することもある。ボトルの四分の一がそうやって爆発したこともあったそうだ。この有名なマダム・クリコでは、一八四三年の暑かった夏、四十万本のボトルが失われたという。その後、大切な貯蔵庫の冷却用に十分な量の氷がパリから調達できるようになると、そういうことはなくなった。フランスでは毎年約五千万本の「本物」のシャンパンが製造されているという。世界中で「フランス製シャンパン」と称するものが年間に何百万本飲まれているのか、確実なところは誰にもわからない。イタリアのワインの産地として有名なベローナでも、ここのシャンパン・ボトルは尊重されている。

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