ジョン・マクレガー著
現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第84回)
翌日は早朝に出発した。川の流れはまずまずで、この日も青空のもと、強めの追い風を受けて帆走したりもした。川沿いで出会った農夫や市場へ向かう人たちとも興味深い話をした。そういうフランス人が一番驚くのは、ぼくが一人旅で、それで幸せでいられるというところらしい! 身勝手に思われるかもしれないが、こういう旅では完全な一人旅の方が絶対にいい。
このあたりでは、川の両側には感じのよい木々や瀟洒(しょうしゃ)な庭園が続いている。が、人家はどこにあるのか、住民はどこにいるのか、その姿はどこにも見えない。アメリカの作家のアルテムス・ウォードが述べているように、これが観察の鋭い旅行者を「まごつかせる」フランスとイギリスの違いだ。フランスの最高の旅のルートでは、何時間も私有地を見かけないことがあるのはよく知られている。一方、イギリスでは丘や森林から眼をこらすと、ほとんどの場合、目の前に広がる景観の奥に立派な館があったりするし、街はすべて、陽光を受けて明るくほほえんでいるような郊外の住宅群まで広がっている。フランスにはイギリスとは異なる流儀やファッションがあるし、この国はアメリカと同じく独自の基準を持てるだけの大きさもある。そういう自負もある大国なので、国民は堂々と鼻にかかる音で話すし、「農耕具」のことを書く自由を主張してもよい。
フランス人やアメリカ人に比べるとイギリス人は寡黙だ、というのは誤りだ。ぼくはこれまでフランスやアメリカ両国で何百人もの人々と一緒に食事をした経験があるのだが、彼らは自国の宿屋で食事をするイギリス人よりも静かだし、まったく無言だったりもした。イギリス人は仲間内だとわいわいおしゃべりしながら食事をすることに慣れているのだが、外国人と食事をするときには、くつろいでいたとしても気が張って口数が少なくなるため、そうした外国人には寡黙な国民だと思われたりもする。だが、イギリス人観光客向けの大規模ホテルではない、純粋なフランスの食卓では、イギリスにおける食卓と同じように一般的な会話はあまりない。アメリカ人の食卓ではもっと少ない。
ここでは、いま六、七人の中産階級の男が食事にやって来ている。昨日から滞在しているので各人用にナプキンが保管されているのだが、それには本人による結び目がつけてあって、それで区別がなされている。客は赤ちゃんのよだれ掛けのように一方の端をあごのところまで引き上げ、他方の端で皿やフォークやスプーンを軽くふき、多くの皿から少量ずつ食べている。皿をこすってほぼきれいにしてから出かける。その間ずっと一語も発せられない。
さらに、フランスでは気候も自慢の種になっている。太陽は、疑いもなくまぶしく輝いている。が、逆に、まぶしすぎて、毎日十時から四時までは日よけでも引いて全室を暗くせざるを得ない。正午には、街は墓地のようになる。誰も出歩いたり馬に乗ろうとは思わないし、暑いさなかに窓から外を眺めている者もいない。午前七時から九時までと、日没の一時間前から夜の涼しくなるまでの時間は、屋外にいると快適だ。しかし、夏の普通の気候として、一週間もすれば、フランスよりもイギリスでの方が太陽を見る時間が多いことに気がつく。というのは、フランスでは、太陽光線が強烈なので一日に六時間は目をそむけていることになるからだ。実際、イギリスと比べて南にある国での生活では、午前十一時をすぎると早く気温が下がる夕方にならないかと待ちわびる気持ちになるし、来る日も来る日も何かがやってくるのをずっと待っている。それに対してイギリスでは、夏の日光はずっと快適だ。おまけに、イギリスと比べて南にあるフランスのように太陽がさんさんと輝く国では、たそがれどきの時間は半時間ほどしか続かない。物思いにふけったり、長い影が伸びたりする、すごしやすい時間なんてものは、南国の人々が経験することのない北の地方の特徴である。
今回の航海でマルヌ川を下った二百マイルほどは快適だった。が、血わき肉おどるといった冒険はなく、未知の川をそのまま漕ぎ下っただけである。来る日も来る日も忍耐強くカヌーを漕ぎつづけた。たえず漕いでいたので体は鍛えられた。カヌーのパドルを十時間、ときには十二時間もぶっ続けで握っていたりしたのだが、疲れは感じなかった。
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