ジョン・マクレガー著
現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第82回)
水もれするカヌーに乗っているのは、なんとも情けなくみじめだ──足を引きづった馬に乗ったり、銃身の曲がった銃を使うようなものだ。カヌーでは多くの機能が必要とされるが、最優先すべきは信頼性である。それで、最初の村まで来たところでカヌーを止めた。そこで修理してくれる人を見つけてパテなどを調合してもらい、それを継ぎ目に押し当てた。岸辺の宿で食事をする間に硬化してくれるはずだ。その場所では、長大なイカダが組み立てられていた。パリまで下るのだそうだ。宿ではエネルギーに満ちあふれた農夫たちが一瓶二ペンスのワインを飲んでいた。
カヌーを修理してくれたイカダ師は、自分の仕事ぶりが大層自慢らしかった。それで、知り合いが通りかかるたびに呼びとめては、ことのいきさつを簡単な言葉で説明していた。修理代金を支払う際、彼は「このカヌーはフランスのど真ん中にある***村で完璧に修理されたことを忘れないようにな」と言った。しかし、ぼくはその村の名前を今どうしても思い出せない。とはいえ、彼の仕事ぶりがためされる機会はたくさんあった。マルヌ川には堤防や障害物が多く、そのたびにカヌーを引っ張ったりしなければならなかったからだ。そのうちのいくつかは、特に変わった構造をしていた。堰(せき)が流れを横切っているのだが、三段の階段状になっていたりするのだ。水は堰の上を乗りこえて流れ落ちる仕組みになっている。流れ落ちる先は平らだ。水はこうした段差を流れ落ちていく。段差直前の水が盛り上がっているところでも水深は数インチしかなく、そこから八インチほど落下する。むろん、これだけだったらカヌーで乗りこえるのは簡単なのだが、問題は、段差の下の平らな部分に鉄製の棒が一列に埋めこんであることだ。しかも、それぞれの棒のてっぺんから隣の棒の根本に向けて斜めに鎖がつながれていて、それがずっと続いている。流れが速いところでこれを潜り抜けるのは至難の業だ。
こういう場合、たいていは陸に上がって視察し、段差を斜めにすべり下りながら通過する角度を計算したりする。この奇妙な障害物には何度も遭遇し、いくつかは無事に通過した。が、とうとう最難関の堰(せき)に遭遇(そうぐう)してしまった。鎖がたるんでいて、通るべき隙間(すきま)は両側に一、二インチの余裕しかない。しかも、ちょうどそのとき偶然にも男が一人、ぼくの動きを眺めていた。で、彼は近くで仕事をしていた仲間を見物するよう呼び集めたのだ。はからずも見物人に注視されながら通過するはめになったカヌーの乗り手として、ぼくはとにかく冷静になろう、落ち着こうと思った。だが、残酷な試練にさらされることになってしまった。あらかじめ計算した通りに操船したのだが、流れが想定したより速く、カヌーのバウ(先端)が狙った場所から一インチほどずれてしまい、そのとたん、鎖に引っかかってしまった。ぼくとしては、あわてずさわがずカヌーから降りて、なんでもないですよという風に、ゆっくり口笛を吹きながら、カヌーを持ち上げ、鉄製の罠(わな)の向こうに押し出してから、また乗りこんでみせた。ずぶぬれになったが、平気な顔をしていた。すると、作業員たちは大声でブラボーと喝采してくれた! 素人さんの拍手喝さいをあびつつも、カヌーイストとしては、そういう見栄をはる自分をはずかしく思う気持ちもあった。次の角を曲がって姿が見えなくなったところで、ぬれた服を着替えた。ぼくとしては一つ利口になり、みじめさは増したが、体も服も乾いた。
マルヌ川のこのあたりはシャンパンの本場だ。周囲はなだらかな丘陵地帯で、ブドウ園がどこまでも連なっている。シャンパン用のブドウは非常に小さくて、支柱にからみつきながら育っていく。だから丘陵の中腹にある広大な地域は、密集して垂直に立てられた何百万という小さなとがった毛を植えたブラシのようにも見える。シャンパン用のブドウは必ず赤で、白はない(と栽培する人たちは言っていた)。白ブドウは食用だ。航海の最後の二カ月間というもの、ぼくほどブドウをたらふく食った者はいないだろう。
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