ジョン・マクレガー著
現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第54回)
今回の航海の最南端ルツェルンを経てヴァンルツフートで、今回の旅の折り返し点を通過したことになります。
アーレ川はやがてライン川と合流した。土地の言葉ではリーナス川と呼ぶが、またこの大河にカヌーを浮かべることになった。川沿いに森のはずれという意味のヴァルツフートの町があり、高い土手の上から身を乗り出して歓迎しているように見えた。
少し低いところに道があり、崖の裾に小さな家々が一列に並んでいる。このあたりのライン川は流れが速く、水深もあって、強い渦ができていたりした。カヌーに気がついた年配の漁師が大声で話しかけてきた。自分が何者であるかを語りだす。某名家の世話係をしているが、そうなった経緯だとか、イタリアには七回も行ったことがあるとか、疑似餌のフライで魚が釣れるとか、自分は七十歳だが、ぜひとも自分の家に立ち寄ってくれ、といったようなことだ。
この手の漁師さんはその場限りの行きずりの人にすぎないが、まずは絶対に相手をしなければならない人たちもいる。税関吏だ。しかも、相手はカヌーについて何も知らない。ここでは、まず強い流れに抗して川をさかのぼり税関事務所まで出向いた。クモの巣にふれてしまったハエのような気分だ。で、おもむろに近づいてきたクモに捕えられるわけだ。ユーモアと笑顔を懸命にふりまいたものの、相手は意に介せず生真面目な顔をして、背中にかついで運べるような小舟をことこまかに調べている。そこまでやるほどのものじゃないですよ、と皮肉の一つも口にしてみる。まもなく、二人の役人は満足したらしく解放してくれた。ま、威厳を示すためだけにやっているようなものだろう。ぼくはかつて荷馬車屋だった建物の応接室のような立派な部屋にカヌーを置かせてもらい、丘を登った高台にあるホテルに向かった。そこで迎えてくれた人もまた、例によってカヌー旅について時間をかけて知りたがり、宿の主人にことこまかに多少の脚色を加えて説明するのだった。それが済むと、やがてそこでの滞在はすべてが快適で気持ちのよいものになった。
ヴァルツフートという町は一本の広い道路を中心に広がっているのだが、その道路自体はどちらの端も行き止まりになっていた。あちこちに美しい庭があり、高台にあるので見晴らしもよかった。周囲の景観は短時間でざっと見てまわるといったものではないものの、町自体は一時間も散歩すると見るところはなくなってしまう。
新聞各紙にカヌーについての記事が出たので、それを近くで見てみようという人々がやってきた。ある一人の紳士などは、ぼくが折りたたんだカヌーをポケットからとりだすのではないかと本気で思いこんでいたようだった。というのも、あるフランス語の新聞が「腕の下にかかえられるカヌー」で国中を旅している男という風に伝えていたからだ。その日、夕方になるとかがり火が焚(た)かれて活気づいた。街灯がわりに通りを照らしている。ぼくの寝室の窓のところにも設置されていた。ヴァルツフートではつい最近になって行われるようになったものらしかった。
ライン川は、ここからは西に向かって流れている。つまり、これからは出発地だったイギリスの方へと戻る恰好になるなるわけだが、その前に、ここまでのカヌー旅の経路と進んだ方向をざっと整理しておこう。
まず、テムズ川だ。七月二十九日に東に向かい、シューベリーネス経由で南下して河口のシャアーネスに着いた。そこから汽車でドーバーまで行き、蒸気船で海峡を渡って大陸側のベルギーのオーストエンデへ。そこで、また鉄道に乗り、八月七日にマース川に到着した。そこまではほぼ東進だ。オランダに入ってからは北東に向かった。それからライン川に入ったのは八月十一日で、そこまでは南東に進んだ。そこから南に川をさかのぼり、八月十七日にフランクフルトに到着した。そこから汽車で北東のアシャッヘンブルクへ。そこでまた川に入り、大きく曲がりくねった末に、またフランクフルトまで戻り、さらにライン川をさかのぼった。八月二十五日。方角は真南。フライブルクからティティゼーまでカヌーを貨車に積んで東進。さらにドナウエッシンゲンへ。八月二十八日、ドナウ川を下った。そのときはほぼ東に向かって流れていたが、大きく曲がって北に向かい、さらに南向きになり、九月二日にはウルムにいた。そこから汽車にカヌーを積みこんで南下し、コンスタン湖に着いた。この湖では南西の方向に帆走した。で、ツェラー湖経由でシャフハウゼンへ。ほぼ西だ。これが九月七日。そこから南に向かい、チューリヒへ。さらに湖を渡り、幅の狭い陸を横断し、ツークあたりで西に曲がり、ルツェルンには九月十日に着いた。そこが今回の航海の最南端になる。そこから北上し、九月十二日にヴァルツフートに上陸した。ざっと、こういうことになる。
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