ヨーロッパをカヌーで旅する 64:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第64回)
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翌朝、例によってカヌーを鉄道の駅舎まで運び、トランクや手荷物と一緒にカウンターに置いた。駅員たちは、カヌーを汽車に載せることを拒否した。カヌーを汽車で運ぶのを断られたのは、これが初めてだ。あの手この手で説得を試みたものの駄目だった。フランスで汽車へのカヌー積みこみの申請したのはこれが最初だ。これが前例となってしまっては、今後に尾を引いてしまう。

これまで他の七、八か国ではすべて受け入れてもらったんですよとも言ってみたが、このときばかりは、フランスの鉄道は頑としてカヌーを荷物としては受け入れようとはしなかった。後日談になるが、その後(つまり、この原稿を執筆している時点では)、フランスを旅した他のカヌーイストによれば、現在はフランスでもカヌーの運搬は受け入れられているようだ。

汽車で運ぼうとしたのは数マイルほどだ。それができれば、運河で遭遇するであろう五十ほどのロック(水位調整のための水門)を通過するのに必要な手間がはぶけるので、単調できつい運河でのロック通過に要する日数を二日は短縮できるはずだった。だが、カヌーを汽車で運べないとなると、また運河に戻すしかない。ま、運河のロックが不可避なのであれば、こっちの忍耐力をきたえる筋トレだと思って身体を目いっぱい使うしかあるまい。

ライン川とローヌ運河の管理人は非常に礼儀正しい人で、こっちが必要とする情報を積極的に与えようとしてくれたが、とはいえ、結局は、ぼくがカヌーで漕ぎ下りたいと思っている川について、人工の護岸で運河化されていない川について、そうした川の長さや深さや特徴については、さほど情報を持ち合わせていなかった。なので、これまでと同様、有益な情報を持たないまま手探りで進んでしていくしかなかった。

いろいろな問題があったものの、ともかくミュルーズに別れを告げ、カヌーの旅を続けた。川の様子は一新された。とはいえ、どうしてもそこを漕ぎたいというものではなく、楽しくないところも多々あった。堰(せき)はカヌー旅の障害になる。そういう堰やロックがこんなに必要になるほどの水量はなかった。で、ロックに差しかかるたびにルーチンの決まった作業をする必要がある。退屈で単調な作業だが、とはいえ慎重にやらないと、カヌーが壊れたり、自分がずぶぬれになってしまったりする。

具体的には、ロックの近くまで来ると、まずカヌーを土手に寄せなければならない。防水のエプロンを広げて荷物を包みこむのだ1。で、岸沿いにパドルを漕ぎながら適当な場所で上陸する。カヌーを降りて、水から引き上げる。そのころになると、たいてい二、三人は集まってくる。その見物人から、よさそうな人を選んで、手伝ってくれるよう堂々と依頼する。カヌーの一方を抱えたぼくに手を貸し、反対側の端を持ち上げて運搬に協力するのはむしろ名誉だと感じられるような説得の仕方をする。そうやってロックの反対側まで運んでから、また水面に浮かべる。それほど裕福でなさそうな人の場合はいくらか謝礼も払う。ロックによっては、許可証を求められたり、私有地を通る運河の「通行証」を求められることもある。そういうとき、ぼくとしては笑い飛ばすしかない。「だけどね、旦那」と、しつこく要求されたときは、騒ぎを聞きつけた役人がやって来て首をかしげながらも仲介してくれるまで、通行証のことは冗談扱いし続ける。実際に、公道沿いの生垣を乗りこえ、迂回してから運河に戻ったこともある。そのときはロックの水も使わなかったり、ロック管理人に手をわずらわせることもなかった。「通行証」は料金五ペンスの単なる形式にすぎなくて、詮索されたりせずに通過できるのは合理的なのだが、このカードは運河の始発地点でなければ入手できないようになっていた。

原注1: バルト海を航海した際には、荷物はカヌー前部の甲板に乗せていた。そのときに比べると、ぼくのロブ・ロイ・カヌーもいろいろ改良されていて、以前のものに比べれば重量で十ポンド(約四・五キロ)ほど軽くなっている。新しい改善としては、ヨルダン川を航海したときに重宝した「郵便物」用防水バッグがある。

公的な生活でこれほどルールや制度を厳守することで知られているフランス人が、政府を変えようとするときには、フランス革命のように、ひどく暴力的になるのはどういうことだろう? 規則については柔軟に運用し、新しいことにもすぐに取り入れるアメリカ人が、自分たちの政府の形態については幅広く継続させているのはどういうことだろう?

おそらく、アメリカ人は、自分たちのような新しくて巨大な国家では共和制が最善であるか、唯一可能な形態だと思っているのだろう。こういう新興国には君主というものが存在せず、個人たる君主を擁立するために絶対的に必要な、長期にわたる直系の支配者一族が欠落しているためだ。

アメリカが王国になるのは、フランスに共和制が根づくのと同じくらい難しいだろうし、それに比べれば、アメリカ人が君主主義者になるほうが、イギリス人が共和主義者になるより容易だろう。とはいえ、アメリカでの成功とフランスでの失敗に関して、もっとましな理由はないのだろうか? フランスには宗教というバックボーンがなく、すべて神経と関節でできているようなものだし、他方でアメリカには、生まれながらに君主たることを主張できる者は誰もいないが、人々の間には神への真実の信仰があり、それを率直に告白する勇気があり、一人の永遠なる至高の主権者に対して誠実に献身しようという熱意が広く浸透している。

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